ナイジェルさんのweb論考シリーズweb空間における「パブリックな私」を考える4つのメモ(3)それもまたパブリックな私 より。
 
氏の所属の仕事関係で、社外の人なのだが、名前こそ伏せているが氏の所属や関係業界のネタをネットでずっと書いている人がいるらしい。で、彼いわく、「何 かもうここまで主観的に書けるわ、っていう感じ。実はうちの課でもバレバレなんやけど、まぁみんな知らん振りしとんねん」。
 
 うう、私もバレバレで、知らん振りされているだけだったらどうしましょう。上のような、業界話のブログは好きです。そういうブログを見ると、実名こそ隠しているけれど、周囲の人はそのブロガーの「中の人」を知っていて、
「お前このネタブログに書くんだろ」
と言われたりする場面があります。それならば、読まれて困るようなことは書いていないのでしょう。
 それはがっかりです。「本当のこと」は誰も言わない、本にも書かれていません。ネットは匿名ゆえに、私が理解できる事実が書かれる貴重なメディアでした。
 
身元がばれないようなことしか書かない → 身元がばれても構わないようなことしか書かない
 
になっていくのでしょうか。
 ネット上の実名匿名論がありますが、身元がばれても構わないようなことしか書かないとしたら、事実上実名に移行し始めていたりしないでしょうか。匿名だからこそ書けたことは、ネットの危険性が流布されるほど怖くて書けなくなります。
 
 このブログに書いてあることは、発達障害を隠して現実世界を生きる、ID:chargeup2003の中の人にとっては究極のプライバシー情報です。そして、ネット界に生息するID:chargeup2003にとっては現実の私がプライバシーです。
 私も読者の1人にプライベート情報を漁られそうになって怖かったことがあるので、警戒心を持たなければならないとは思っているのですが、スパムにつぶされたトラックバック、説教するニートにつぶされた労働者のようです。
 
 スポンサーに配慮する必要もなく(全くないとは言いませんが)売上予測を気にすることもなく、無責任で匿名で玉石混合ですよという隠れ蓑によって、これまで発信されなかった情報が表に出るようになりました。
 実社会で活躍している人が匿名で発信する情報は価値がありそうなのに、自分が誰かわかると困るようなことはネットに書きこむなという「常識」によって、ネットもまた当たり前のメディアになっていくのかと思うと残念です。
 
 
 2月2日の記事。広告がテキストのみ最新記事末尾表示強制となってから、記事と一体化していて、まるで私が記事中に広告貼っているみたいなので、画像広告に変えました。これなら私が貼ったようには見えないでしょう。画像つきだと重くなる原因になるのではないかと心配です。
「血腫見落とし」、過失は認めず 墨東病院、帰宅後死亡 (アサヒコム)
 
見落としはあったが、たとえ入院させていても救命は非常に難しく、医療行為上の過失は認められない
 
 警察の言葉ですが、本当のことでもこんなこと言われたら遺族はカチンと来ませんかね。私が会社でこんな言い訳したらメチャメチャ怒られるような気がします。こういう時はどういう言い方をしたらいいのでしょう。
 
 ものの本には、相手が勘違いしてカッカと腹を立てている時は
「とりあえずは謝罪して、相手が落ち着いた頃を見計らって説明に行くとよい」
とありますが、余計火に油を注ぎそうです。こんな作戦が一般には有効なのですか。私には失敗した記憶しかありません。多分、相手が落ち着いた頃を見計らうという芸当ができないのですが。
 病院の場合は謝罪してしまうと、過失を認めたと言質取られて訴えられたりするのでさらに大変です。
 
 善語悪語にも似ています。
「できないとわかっていても一生懸命やる姿勢を見せることが大事」
「できないとわかっていることに時間をかけるのは無駄、もっと効果のあることにその時間を回すべき」
の、どこまで行っても並行する対立。
 
 災害か何かで怪我人に対して圧倒的に医師の数が足りない時、助かる見込みの高い患者を低い患者より優先するみたいな話を読んだことがあります。(フィクションかも知れません)
 逆の方向性、つまり放っておいても大丈夫そうな患者よりも放っておいたら確実に死ぬ患者を優先するという倫理観も存在するでしょう。善語的には
「人命は全て平等に大切」
で押し通さないといけませんし、法律も多分そうだろうと思います。
 
 選択基準を自分の内部に置くか、外部に置くかの違いでもあるのでしょうか。「外部」が大勢いる場合、全員を納得させることはできないでしょう。自分の倫理観を取り出して証明することは難しく、
「後から考えれば」
何とでも言えることがいろいろ出てきて、主張すればするほどきれいごとになってしまったり、責任回避の言い訳に見えたりしそうです。
 
 
 1月31日の記事。いよいよ、最新記事中に広告が表示されるようになりました。グーグルアドセンス。今までの広告と違ってポイントにならなくなりました。広告料はアメブロがもらうんだな。
値上げ、止まらない 電力・ガス大幅 牛乳30年ぶり
http://www.asahi.com/life/update/0126/TKY200801250344.html
 
 ガソリンの値上げのニュースは、車に乗らない私にはさほど興味引かれぬ話でした。カップヌードルの値上げは残念でした。私は1個100円以下でしかカップヌードルを買わないと決めていたからです。
 しかしカップヌードルは食べなくて済むなら食べない方がいいくらいの食べ物ですし、以前より頻度が落ちたものの、値上げ後も100円以下で売っているのを見かけます。
 
 先日、新発売の「スープヌードル(カレー) 」が100円以下で売っていたので早速買ってきて食したところ、カレーヌードルにお湯を多めに入れてかき混ぜたような、逆に言えばカレーヌードルのカレーの元を減らしただけのような気がしないでもありませんでした。経費節減努力の一環でしょうか。
 
 それらに比べると、電気やガス、牛乳の値上げのニュースは、毎日使っているものだけにショッキングです。4月から大幅に上がるという表現も、4月には失 業中の身となっている可能性が高いだけに怖いものがあります。このタイミングでの発表は私に対する嫌がらせかと被害妄想します。
 
 大幅というからどれくらい上がるかと思ったら、電気ガスが1世帯あたりそれぞれ150~160円、牛乳は5%だから200円なら210円ということですか。私は1週間で1リットル入りを1パック買うので、月あたり40円、全部合わせても350円。
 
 こう書くと消費を直撃というほどではありません。物価高を肯定する訳ではありませんが。他にも値上げ品目が上のニュース記事中に出ているけど、保存の効くものはセールの日にまとめ買いすればいいし、料理をしないせいかあまり
「高くなったわあ」
みたいな感覚が芽生えません。牛乳は保存が効かないし、電気ガスも毎日使うものだから自分としては一番気になりますが、30年も値上げしていなかったなんて結構がんばったのでは思ってしまいます。
 
 各家庭の所得を月額平均350円上げても景気の活性化につながらないけど、企業の収益単位で見たら馬鹿になりません。政府から見ればその方が景気対策としては有効なのでしょう。私個人の景気は悪いのですが。
 私は大変お上に従順な国民であるため、こういう社会的な動きに対する危機意識が薄い(仕事が見つかるのかという超近視眼的悩みでそれどころではない)の ですが、 国民に還元しないと企業も政府も困るんだぞ、みたいな方策を考えないと(私が考えても仕方ないけど)ジリ貧です。
 
 
 1月29日の記事。20:80どころか、上位2%くらいでないと日本の景気に影響しないでしょう。底辺は底辺なりに。
 三原じゅん子は離婚してモテモテ だそうですが、私のように、モテモテでないちゅうねん女が身につまされる事件がこちら。
 
「メル友続けたくて」会社の金盗んだ疑いで女逮捕
 
 1億5千万の横領など別世界の話ですが、多分最初は少額で、自分の貯金から出していたのでしょうね。貯金がなくなったので、給料が出たら返すつもりで会 社のお金を一瞬借りて、それがボーナス出たらになって、そこまで来たら今までの努力を無駄にできなくなって、エスカレートしたということなんでしょうね。
 だから、特にモテない系としては、どんなに好きで、信頼できる人でも、100円たりとも貸さないという精神力が必要なのですね。そう言うとそれも極端ではと言われるのですが。
 
 この事件で衝撃的なのは、
「出会い系サイトで知り合い、メールのやり取りをして01年ごろから交際を始めた」
のに、
「顔を合わせたのは昨年10月、会社が男女に損害賠償を求めた名古屋地裁の法廷が初めて」
ということです。1回も会っていないとは、それ、交際していたという範疇に入るのですか。
 上のニュース記事の表現だと、メールのやり取りをしただけでは交際になっていなくて、ここからが交際であるという何かが存在したように見えます。
 
 電車男を参考に、男女が交際でない状態から交際に至る過程を検証します。なぜ電車男かというと、一応実話ベースなので、漫画や小説、ドラマよりは実態に近いと考えられるからです。
 
1 食事に誘う
2 何回かデートをする
3 交際を申し込み、承諾を得る(あるいは愛を告白する)
 
 メールでも、3に相当する儀式があれば交際を始めたとみなすことができるのでしょう。立ち読みした週刊誌で読んだのかはてブで見たのか忘れましたが
「女が、私たちつき合っているの、いないの、と聞くのがうざい、言質取ったところで何の保障もないんだからさ」
と男が言うのがありました。このカップルは2のままで、3の儀式を済ませていないと推測されます。
 
 電車男でも、3の儀式は辛く苦しいものとして描かれ、できれば避けて通りたいもののようです。つまり女子側のための儀式なんですね。
 すると、ある男女が交際しているかいないかというのは男子側が決めることになっているんですか。私は3までたどり着いたことがないので、ないと困るものなのかどうかわかりませんが、聞かれたら答えてあげればいいのにと考えるであります。
 
 
 1月27日の記事。今日(2月3日)は節分なので、恵方巻というのを買ってきたのですが、顎関節症の私にはとても丸かぶりできませんでした。運が向いてくれるでしょうか。
 今の仕事は3月で終了することになりました。この後、3年目の壁 をどう乗り越えていくか、乗り越えられないとしたらそこに何があるのか、などを検証していく予定でしたが、企画倒れです。
 正社員ではないので、いつクビになるかわからないのは覚悟していたつもりでしたが、毎日普通に働いていると、あと1年くらいはこのまま行けるだろうと錯 覚してしまいます。毎日今日クビかも、明日クビかもと思いながら働くのも精神衛生上悪そうなので、これはこれでよいのでしょう。
 
 次が見つかるだろうか、見つかったとしてもやっていけるだろうか、また仕事覚えられなくて怒られまくるのだろうか、と不安いっぱいなのは間違いないのですが
「当分このネタで行けるぜ」
とお気楽なこともよぎる脳内です。
 
 就職活動ネタは原点に返ることでもあります。このブログを始めた時は失業中でもあり、社会復帰を果たすまでの記録を綴る目的もありました。
 自分で言うのも何ですが(言うな)あの時期の記述は毎日が赤裸々で、就職活動中の人やこれから就職活動をしようという立場の人にも有意義な記録であったと思います。
 
 それだけ書けたのは、当時私がネットの怖さだのネットリテラシーだのを、全くわかっていなかったからです。インターネットの恐ろしさを嫌というほど見聞 きしてしまうと、契約終了を告げられる前後のドキュメントや、今後の就職活動の記録などを書いたら、私が誰かわかってしまいそうな不安が生じます。
 
 写真や個人情報をアップするのでなければ、たかだか訪問者数1日100人前後のブログでそんな心配するなどナンセンス、という考え方もできます。今の会社の人や、今後就職活動で会う人の目にこのブログが触れる可能性はとても低いし、万一触れたとしても
「似たような人がいるものですねえ」
で済む話、かも知れません。
 
 ファン限定にする、パスワード制の別ブログにする、パスワードなしの別ブログを作るがここからはリンクせずハンドルも変える、などの方法は考えられますが、ちゃんとキャラを継続させて公開で書きたいという野望も捨てられません。
 今の時期にしか書けないことであり、私の書くニュースコメントや妄想話などよりも、公開するに値する題材と考えるからです。
 
 
 1月26日の記事。YahooのSNS、Yahoo!Daysが2月から完全公開になるということでしたが、その「2月」は2月1日のことではなかったようです。どんな風になるのか楽しみだったのに。