新作です。本編が暗いので、久々にトラックバックステーション に参加。お題は「ロングヘアーVS.ショートヘアー」他の参加者の記事では、ロング派が多そうな感じです。(集計した訳ではありません)

 

 私は10年来のロングヘアですが、それまでは10年来のショートヘアでした。そのさらに前は伸ばしていましたが、母がショート派で、髪を切る切らないで毎朝血みどろのケンカを繰り返していたので、私の方が根負けしたのです。友達も、長い子は毎日親と髪のことでもめていると言っていたので、私に根性が足りなかったのかも知れません。

 

 ショートの方が手入れが楽なのはわかりますが、何と言ってもショートは美人でないと似合いません。私が短くすると、男っぽい、子供っぽい、おばさんぽいの三重苦です。

 男性でたまにショートカットが好きという人がいますが、これは美人が好きの間違いです。ショートの似合う女性は美人ですから。逆に美人がロングにしていると平凡に見えてしまいます。美人のショートは性格もよく見えるので不思議です。

 

 社会人になってショートからロングにする時は、結べるくらいまで伸びるまでが大変でした。中途半端な縮れ毛の爆発ヘアが悲惨で、朝懸命にセットしても昼にはサイババ状態。

 それでもがんばったのは、ちょっと憧れた人がロングヘアが好きと言っていたからです。でもその人は、私の髪が伸びきらないうちに遠くへ行ってしまいました。もう私のことなど覚えていないでしょうけど、覚えていてくれているなら、せめてその姿がサイババでないことを祈ります。

 私が幸せを願ってもバチ当たんないよね、と思ったのですがバチは当たるようです。
 予定が立たないといられないことや、少しでも文句言われるのいやだから事前にきっちり決めておきたいなどを譲歩してもらえればと思ってその後の記事を書いたのですが、受け取る側には絶望的な要求をしてしまったようです。
 それはそうでしょうね。私だって相手のルールに合わせるの大変だから、相手も私のルールに合わせるのは大変なのでしょう。
 やっぱり私が全面的に合わせないといけないのでしょうか。フレーズの細部にまで気を使い、何を言われても我慢し、それでも努力が足りないと言われて、うう、引きこもりたいです。

 診断以前は、自分が悪いとは少しも思っていなかったため、強引に「こういう人」と通してしまうことが多く、友人にも
「最初はびっくりしたけどすぐ慣れたわ」
と言われるので、新しく知り合った人にも
「最初はびっくりするけどすぐ慣れますから」
と通していました。全員が慣れてくれた訳ではありませんが、特に自分が友達少ない方だとは思いませんでした。私が気づかなかっただけで、異常にストレスを与えていたのでしょうか。

 会社の上司(すぐ怒る人除く)に
「私は使いづらいでしょう」
と聞くと
「考え方が丸見えだからむしろ使いやすい」
と言われました。
 お世辞を言われてもわかりませんから、みんな本当のことを言っていないかも知れません。苦労して合わせてくれていたのでしょうか。何だか心配になってきました。

 

 

 7月12日の記事。Yahooの不具合でコメントは入らない記事は表示されない、で、このアメブロ版開設が7月13日。ここまで追いつきましたか。これからが怖いんだけど。

 以前から、Yahooで突然通告なし削除事件(不具合の可能性あり)が繰り返されていたので、次に作るならどこにしようかと研究はしていました。作った時は急に作った感じでしたが。今ではアメブロ版だけの読者様も多くいらっしゃるようで、ご支援ありがとうございます。

 この記事のあたりは、追いつめられてかなり不安定。自分としてはとても謙虚なつもりなのに、少しでも希望を書くとわっと攻撃されることに、

「私だけがひたすら我慢し続けなければならないのか」

という疑問がわいてきて、例の事件の伏線となる表現もちらほら入っています。

 私は人を傷つけてはいけないけれど、人は私を傷つけてもよい、こういうことは言わないで欲しいと頼むのもわがままになる、二言目には「自分が傷つくのは敏感だけど、人が傷つくことには鈍感」

 もしかしたらこれも後で非公開にするかも知れません。

 結婚はもうないと思いますが、私の配偶者となる方がどんな結婚生活を強いられるか、ジムで自転車こぎしながら妄想のひと時。なお、当方結婚の経験がありませんので、実際の結婚生活にこんなことはない、と思っても突っこまないで下さい。

 共働きは無理そうなので専業主婦。料理は本に書いてある通りになら作れるから、毎日一生懸命やれば何とかなります。今だって日常生活1人でやっているのです。朝、その日の家事を書き出して一覧にし、順番どおりやればできます。
 問題は会話です。ここは実は妥協して欲しいポイントです。
「どこを妥協するとかしないとか決めつけないで、話し合いながらお互いにいいようにやっていこうよ」
私はあらかじめ決めておきたいのですけど、普通の人は分類を嫌いますから仕方ありません。恐らく相手に相当の我慢を強いることになるのですから、できるだけ私が譲歩するようにしませんと。

 今日は夕飯家で食べるから、と言って帰ってこないとおろおろするから、予定が変わる時は早めに連絡してね。
「急に残業入ってそのまま同僚と飯食ってくることだってあるから連絡できるとは約束できない」
だって予定がどうなるかわからないと不安だから、これは言ってはいけないのね。予定をはっきりさせろ、というのはいやがられるのです。私が譲歩しないと。私の方が100倍くらい譲歩させているんだから。

 新しい冷蔵庫買ってもいい。
「いくらぐらいするの」
何万円かはすると思うけど。日曜日に一緒に買いに行かない。
「疲れるから1人で行ってきてよ」
だったら私がどんなのを買ってきても怒らないでくれる。
「何だよその言い方」
これも聞いてもいけないんだ。でも怒られないという保証がないと怖いです。こんなの買ってきたの、あっちの量販店の方が安かったのに。そんなことを言われたら、毎日冷蔵庫を見る度に思い出してしまいます。

 予定を聞いてはいけません。怒るかどうかを聞いてはいけません。私が努力しないと、多分向こうの方が大変だから。冷蔵庫の件だって、私が別な言い方をして、ついて来てもらう工夫をすればいいんだ。メモメモ。

「何でメモ見ながら話すんだ」
ごめんなさい。(怒られないように、なんて言えません)
「責めているんじゃないよ。何でメモ見ながら話すのか聞いているの」
ごめんなさい。(言ってはだめ、こういう時は何と言われても直接的な言葉を言ってはいけないのよ。すぐストレートに返して失敗する。ストレートに言ってはいけない、相手にもそれを求めてはいけない)
 会話は疲れます。筆談かメールにしたいと言ったら怒るかな。がんばらないと。できる限り努力しないと。私がいるだけで迷惑かけているんだから。

「こっちも努力しているつもりだけどさ、もう少し歩み寄ってくれない。全然歩み寄ろうという気がないように見えるよ」
私全然努力しているように見えなかったんだ。あんなにがんばって、予定聞かないようにして、怒られるかどうかも聞かないようにして、我慢したのに、何にも努力していない、自分の都合を押しつけているだけに見えたんだ。
 大爆発、はいカット。この先は悲惨すぎてお見せできません。

 やっぱり結婚は無理です。私が100m全力疾走しても、外からは1センチずれたくらいにしか見えません。それで努力が足りないように見えるのでしょう。そこまでわかっているなら直せよ、と言われるかも知れませんが、会話は常に瞬発力の世界、全く同じシチュエーションは2度とありません。家事なら毎日やっているうちにうまくなるかも知れませんが会話はそうはいきません。会話の譲歩、難しいですか。

 

 

 7月10日の記事。私の妄想によるシミュレーションなんですが、実際に結婚していらっしゃるASの方やその配偶者によるとかなり当たっているとか。

 この記事にそらさんの「学生結婚1 」という記事がトラックバックされ、その続編である のコメント欄に初登場したひろしとミカのカップルが、今も妄想小説のキャラとして生きています。(すみません、かなり内輪ネタ)

 昨日写した「マラソン」という記事は非公開にしました。(Yahooには残したままですが)コメント下さった方ごめんなさい。後に起こる「例の事件」の伏線となる記事だったので写した方がよいと思ったのですが、私もとても反省を残した記事なので、今の時点では公開に耐えられない(表現も、私自身も)と考えました。

 七夕ですね。別に七夕に関係のある話を書こうとしている訳ではないのですが、祈っておこうと思いまして。幸せになれますように。
 ブログを初めて5ヶ月、発達障害とわかり、いろいろごちゃごちゃ考えてきたけど、わかって本当によかったです。知ったからこそ生きやすくなったし、全てに感謝できるようになりました。
 
 今の職場を選べたのも、自分を知ったからです。時間に正確で緻密な自分の長所を生かせるし、同僚がいないから人間関係の問題もありません。人間関係苦手なんてずっと認めたくなくて、そんなこと口にするのは言い訳だと思って、そんなダメな人間ではないと思いたくてがんばりすぎたけど、素直に認めることができて、ストーンと落ち着けました。
 会話も少しうまくなりました。こう言ったら相手はこう思うだろうからこういう風に言おう、多分普通はこう取るだろうから、こんな風に、と予測を立てて、シナリオ作るのは変わりませんが、もしかして空気読んでるかな。ちょこっとだけ。
 
 自分を知ることで、身の丈に合った環境を選ぶことができます。他人を知ることで、世界に近づけます。うれしい。楽しい。大丈夫、大丈夫。私が幸せになったっていいですよね。そんなに苦しまなくてもいいですよね。

 

 

 7月7日の記事。主要メンバー(と私が勝手に考えている人)が集まってくれて楽しかったのです、が。ここに私は例の事件の萌芽を見出します。私は幸せになどなってはいけなかったのです。這い上がるための血のにじむような努力を、少なくともブログの文面には出さなければならなかったのです。

 自己PR語こそが正しいと信じる(正しいのは正しいのですが。多数派だから)人々は、幸せになりたくはないのでしょうか。自分は幸せになりたいけど人がなるのは許せないのでしょうか。だから人をおとしめることでいかに自分の優越性を示そうしたのでしょうか。彼らがいる限り、私は幸せになりたいと語ることすらできません。

 時期としては、カウンセラーにADHDの可能性を告げられ、まだ病院には行っていない頃でした。自閉の知識はありません。

 ストレスがたまりにくい体質に改善するには、スポーツとか漢方薬とかいろいろ試してみるしかない、とカウンセラーに教えられました。
 新しいことを始めるのにいつも勇気がいる私。ダイビングをやっている友達に、どうだろうか、と恐る恐る聞くと、
「ダイビングはストレス解消には最高よ」
と自分が通っているダイビングスクールに連れて行ってくれました。
 補足すると、当時の私はストレス解消とは「楽しい」の比ゆ表現だと思っています。楽しいことをするとストレスが解消する機能が一般人に備わっていることを知りません。
「私泳げないんだけど」
「ダイビングは沈むのが目的だから泳げなくていいのよ」
そうか。沈むのは昔から得意だったのよ。

 イケメンのインストラクターがダイビングの楽しさについて語ってくれるのですが、私がどんなに
「ストレスを解消したいのではなく、ストレスがたまりにくくなるよう体質改善を図りたいのだ」
と力説してもどうも通じません。
 どんなにダイビングそのものが楽しくても、準備や移動や着替えやぬれた髪の始末や他の人と楽しそうに会話しなければならないと思うとうんざりです。
「そんなの大丈夫だよ、みんな楽しんでいるよ」
私は気になります。最初から最後まで、全貌が明らかにならないと不安です。
 ダイビングでストレス解消ができると期待している訳ではありません。体質改善を図りたいのだがそういう目的で始める人や、実際に成果があがった例はあるのか、と聞いても
「そういう人もいると思うよ」
とあいまいです。

 結局お金がかかりすぎることと、そのインストラクターとのコミュニケーションがイマイチだったことでやめてしまいました。やめておいてよかったです。始めていたらストレスますますたまっていたか溺死していたことでしょう。
 今ならもう少しうまく会話できると思います。大前提が違うと表面上の会話が成立していても内実すれ違いまくりです。

 

 

 7月6日の記事。私が事前に知りたがることは、人様から見るとくだらない、どうでもいいことのようで、なかなかまともに答えてもらえません。でも、水泳でも一番気になるのは着替えや髪の始末なのです。