トラックバック論争に終わりを告げたかに思える、わたりとりさんの「トラバ貸借 」にトラックバック。
 Yahooがそうだったので、ある時期までトラックバックを「相互リンク自動生成機能」だと勘違いしていました。たまに他社ブログにトラバして、自分の記事の方にリンクが反映されなくても、Yahooのいつもの不具合だと思っていました。Yahoo同士でもよくそういう不具合はあったからです。

 アメブロを始めてから、トラックバックにYahooの時にはなかった違和感を感じました。先方が、私の記事を読んで書いた訳ではない、元々ある記事をトラックバックするケース。リンクも、私の記事への言及もありません。せめてどちらかがあれば違和感はないのですが。
 2005年12月12日現在、アメブロ版についているトラックバックは全部で20あります。
 
A 言及ありリンクあり 8(Yahooブロガー5、アメブロガー2、他社1)
B 言及ありリンクなし 1(アメブロガーのみ)
C 言及なしリンクあり 0
D 言及なしリンクなし 11(アメブロガーのみ、全く記事と無関係が3)
 
 なお、そらさんのエキブロからのトラバはYahooブロガーに含みます。よくトラバ記事を書いてくれるイメージのあるアメブロのオレンジさんでさえ、アメブロ版ではDしか入っていません。
 
 これは、トラックバックに対する考え方が違うのでしょうか。
 Yahooはコメント欄が小さいためコメント代わりにトラックバックをすることがあります。今書いているこの記事も、そういう意味合いがあります。
 アメブロ版はコメント欄の字数制限がなく、空白や改行も使えるため、記事のようなコメントをつけることができます。Yahooブロガーとのトラックバックには、先方のブロガーとの交流の意味合いが大きいようです。
 
 アメブロで訪問者の多いブログに行くと、同じテーマのトラックバックがずらっと並んでいることがあります。読む側としては便利です。同じ材料からいろいろな切り口で読むことができます。
 Yahooにもこのタイプのトラックバックはありますが、元々そのブログの常連同士だったり、トラックバック先の常連さんだったり、コミュニケーションの度合いが大きい気がします。コミュニティと全然関係ない人が参加すると、便乗と受け取られそうな雰囲気があります。(私の気のせいかも知れませんが)

 私は今までやっていなかったのですが、どうもアメブロでは、相互リンクにするために、トラバがあったらトラバを先方に返すというローカル・ルールがあるようです。言及があるのにリンクがない記事があるのも、そういう暗黙の前提があったからかも知れません。言及なしリンクなしのトラバ記事の人もそのつもりだったのかも知れません。
 だとしたら、私はとっても失礼なことをしていたのでしょうか。5ヶ月もやっていて今日初めて気づきました。

 わたりとり様、この記事との貸借関係はいかがでしょうか。

 

 

 12月12日の記事、後にこの記事から海風さんの「大体さ、トラックバックって何なわけ? 」に追加トラバしました。言及・リンクに対する考え方の違いを異文化とみなす論争は他でも起こっているようです。「同テーマずらっと」タイプのトラバは、Yahooだとスパムとみなされかねません。

 アメブロはエロトラバがやたらつくため、特に女性ブロガーはトラバ拒否にしてしまった人が多いです。最近はかなり改善されてきましたが、少しはつきます。削除すれば済むものなので、説教コメントよりましです。

 ASを主人公としたミステリー小説「エデンの命題」 の中で、主人公の少年が年上の女に
「あなたが望むなら、私がずっと一緒にいるわよ。あなたにガールフレンドができるまで」
と迫られるくだりがあります。
「できなければ?」
「ずっと一緒にいるわ」
少年は安心します。
 
 これは普通なら(こんな場面が普通にあるとは思えませんが)
「あなたみたいに素敵な人なら、かわいいガールフレンドがたくさんできるわ。私のようなおばさん、あなたの方がいやになるわ」
というのではないかと推測します。
 私がもしこの少年で、信頼している人間にこんなこと言われたら、大人になった今でもパニクって泣き叫びます。それほど親しくない相手なら、悲しくて、がっかりして、
(この人と突っこんだ話はしないようにしよう)
と考えるに留まるかも知れませんが、それでも脳内では電流が行き場を失って暴走中です。
 
 私が、じゃない、少年が聞いたことに答えていないからです。
「ずっとガールフレンドができなかったらどうなるか」
をあらかじめ予定しておきたいのであって、ガールフレンドができるかどうかを聞いているのではありません。
「わからない」「答えられない」
の方が、愉快ではないにしてもまだましです。聞いたことに答えてくれない、全然別なことを言う、予定が立たない、の三重苦に目が回って、それまで順当に進んでいた脳内電流は、今書きながら想像しただけで暴走しそうです。
 
 一見無表情でも内実は大パニック、8歳モードに突入し、落ち着いて説明できるような心持も語彙能力もなくなります。
「質問の意図を説明すればいい」
と簡単に言われそうなんですが、そんな状態ではありません。
 私が今思いつく解決方法は、どんな相手も完全には信頼せず、距離を置くことです。この人は訳のわからないことを言って混乱させるかも知れないと、あらかじめ予測を立てておくことです。8歳モード突入は避けられないにしても、公共の場で泣き叫んで暴れだす事態は避けなければなりません。
 
 この年上の女性はASとの会話の仕方を心得ていると思われます。この小説は、ストーリーの派手さはありませんが、所々に主人公のASっぽい思考や行動が何の解説もなく現われます。知識のない状態で読むと、
「なぜ彼らがエデンの外の世界で生きられないか」
に気づかず通り過ぎてしまうほど、さりげなく。

 

 

 12月10日の記事。今日もYahooは重いですが、がんばってたどりつきました。この記事、後で読むと危ない人ぎみなので、苦しい言い訳をします。

 成人後はさすがに公共の場で泣き叫んだことはありませんが、怒りを抑えられないことはあります。言語能力が一時的に低下するのでうまくその怒りを伝えられません。自分が加害者となるシーンは描写が難しいです。隠すつもりはありませんが

「誰でも同じ」「みんな我慢している」

と言われがちだからです。ブログの初期に私が暴れた時もそうでした。その時は、発言者が自閉症のお子様をお持ちの方だったので、余計そんなことを言われるとは予想だにしませんでした。

 お子様が自閉症だから理解があるとは限らない、そんな風に書くとまた怒られそうなんですが、パニックを防ぐためであって、人を信じられないとかそういうことではないのです。ごめんなさい、カテゴライズして一緒にするつもりはありません。私自身も、人はひとりひとり違うのだと知らなければならないというだけです。

 仕事上の会話でもわりと頻繁に出る言葉ですが、このブログにおける数々の研究により
「どうして~なのか」
と聞かれた時は文字通り理由を聞かれているのではないということが判明しております。自分に責任はない、もしくは不満であると言っているだけです。
 高校生の時、アメリカ人(生粋ではなく移民)と会話した時にも、私がWhyで始まる疑問文で聞いているのにBecauseで答えてくれずぐわーとなったことがありました。よく日本よりは外国の方がASは暮らしやすいと聞きますが、このルールは万国共通なのでしょうか。

「どうしてだめなんですか」

と自分が聞かれた時、まっすぐに答えてはいけないとわかっていても、理由を答えずに別な言葉を発すると、ものすごくいやーな気分がのしかかります。自分が質問する側であれば、その回答でない言葉が返ってくると猛烈にストレスがたまるからです。
 回答が出せなければ
「わかりません」「答えられません」
でもいいから質問に対応した答が欲しいのに、全然違うこと言われると

「ぐわー」

です。
「わかりません」「答えられません」
も悪語(説教族されそうな言葉)でした。そんなに悪語がいけないのですね。悪は嘘(私の言語世界内の)より罪が重いのです。

 自己PR語もそうですが、受信はできても
「向こう側のルールに合わせた」
発信がなかなかできません。自分がされていやなことを人にしてはいけないとしつけられませんでしたか。自分が聞いたらいやなことを人に言って、まわりまわって自分に返ってくるのではないかと思うとぞぞっときます。
 慣れでしょうか。いつか平気になるのでしょうか。

 

 

 12月8日の記事。趣旨は

「自分がされたらいやなことを他人にしなければならず、そのいやなことを自分が他人にされたら、相手に悪意がない限り我慢しなければならない」

です。

「自分が他人にいやなことをしたら、それを他人にされても我慢しなければならない」

というしつけもありませんでしたか。されていやなこと、うれしいことはだいたい誰でも同じであるという大前提がこの種のしつけを成立させています。

 1週間ぶりのアメブロ版更新です。最近夜9時を過ぎるとYahooが重くてどうにもなりません。Yahooブログで過去記事にたどりつくにはトップページから少なくとも2回クリックしなければならず、真っ白になるばかりでした。

 1週間前の新作記事のコメント欄はずっと続いていて内容も面白いです。こればっかりはYahooでは無理。時々やってみたいですけど、論者の皆様に負担をかけるのが悩みの種です。

 思い切って公募してみようかしら。論者として参加してみたい方、いらっしゃいますか。(私への批判・否定は相変わらず禁止ですが)なお、コメントの最後に

「削除しても結構です」

とつけないで下さい。私の罪悪感がチクチク痛むので。削除したい時はします。 

 新作です。説教族という言葉で検索した時に当たったブログがたまたまアメブロだったので、(勇気を出して)アメブロ版よりトラックバック。

 記事は、「喪男・オタ・電波男を観察する人たち 」オタとASは共通項多いから説教族のターゲットになりやすいのでしょう。説教族の一味はあちこちで迷惑をかけている模様です。彼らがいろいろな場所に出現しているのは間違いないようです。

 

 この記事の文中には説教族というキーワードはありません。内容は説教族論ですが。ヒットしたのはコメントです。

>説教族の脳が何者かに侵略されてるんじゃないかとすら思います。

そうか、あれは侵略されていたのですね。

 

 まだ彼らの正体は研究中で、全貌が見えません。異文化として認めるべきか、全く別な枠組みの中にいるのか、彼ら自身も、他者を攻撃することでしか自我を保てないマイノリティなのか。はっきり言って一緒にはされたくありませんが。

 説教族という言葉自体はそれほどオリジナリティはありませんが、検索するとだいたい私かお友達のブログにたどりつきます。だから自分の造語(初出は8月24日のコメントでした。多分)と思っていましたが、おつき合いのない他のブログにこの言葉があって、同じ意味で使われているのはなかなか興味深いものがあります。

 

 この記事の最後の一文

「喪男やオタを考察したがるサイトに、脱オタ経験者が多いのはなにかの偶然だろうか…?」

が、Yahoo版の方にわたりとりさんが下さったコメント

「説教族は自分に近い環境・背景の相手ほど、確信を持って「同じであれ」と迫る。それが攻撃の形態をとって現れる。マジョリティかマイノリティかは、関係ないかもしれません。(マイノリティの説教族のかたも、いらっしゃいましたね)。違う価値観を攻撃する・排斥する心理の底には、なにがあるんでしょうね? そこに光を当てたい、その先に答えがあると私は思っています」

とシンクロします。何があるのでしょう。

 前に紹介 したミステリー小説「エデンの命題」読み終わりました。新書半冊分くらいの中編なのでそんなすごい話ではなかったけれど、イブはアダムのクローンという話は面白かったです。
 聖書ではイブはアダムの肋骨から作られたとなっています。それでクローン、というのはわかりますが男性のクローンが女性になれるのか、というのはなかなか新しいです。この小説の中では科学的に可能と説明されています。
 
 ASがどんな風に描かれているかというのは、ネタばれになるといけないので詳しくは申せませんが、ASはだまされやすいので気をつけましょうということです。
 昨日の占いの話 ではありませんが、世の中には本当に悪い人間も絶望も不安も危険も不公平もいっぱいあるのに、言葉にする時は世界は素敵で未来は希望に満ち、世の中にはいい人があふれているように表現しなければなりません。
 何度も言っておりますが、その善語にいつもだまされるのです。自分を守ろうとする時、私の言語はネガティブと呼ばれます。
 
 現実にはアスピー・エデンは存在しませんが、R氏の話 の時、私は
「地上の楽園はきっとあります」  
と書きました。これ悪語ですか。その語の展開を考えると悪語っぽく受け取られた(甘えている、努力する気がない、など)ような気がします。
「いくつになったってチャンスはある」
は善語ですよね。どっちも他力本願的なのに。楽園と言う言葉が悪語なのでしょうか。もしや「楽」という字が楽をしようとしているように見えるとか。
「生きていける場所はきっとあります」
ならどうでしょうか。
 読書感想文コンクール佳作の海風先生の 解説 から定型発達者語への翻訳方法を学んでおります。とても面白そうです。

 

 

 12月7日の記事。ネタばれに気を使ってろくな感想が書けません。善語悪語研究は面白いけど、実用化するには背中がかゆすぎます。みんなこんな言葉を使って背中がかゆくならないのでしょうか。

 説教族で検索かけたら、関係ブログが出てきます。わが造語も世界に羽ばたく、わけはありません。