会社の偉い人でも
「まずはやる気です」
と言う人いました。
「どこを見てやる気があると判断するんですか」
「やる気があるかどうかは見ればわかります」
わからねーよ。こっちは発信能力ないんだからさ。こうすればやる気があるとみなす、とか具体的に教えてくれないと。
 と言ったらそんなこと言う人間にはやる気はない、となります。定型発達者にとっても無意識だからわかりにくいのですが、やる気ありそうな発音とか表情とか歩き方とか、あるみたいです。
 要するに非言語コミュニケーション。苦手な非言語コミュニケーション。それがスカスカの抽象語を意味ある言葉に変えます。
 
 なぜ同じフレーズを使っても違って受け取られるのか、初期は混沌としていてうまく説明できませんでした。
 お世辞を否定する時、言葉では否定しても非言語で
「でもほめられてうれしいです」
という情報を発信しないと、感じ悪い、下手すると卑屈と受け取られそうです。
 否定会話ルールは非言語コミュニケーションと多分セットになっています。それがわからずに否定の部分だけ真似してはいけません。
 
 ロボットのように全く発信できないのではなく、誤った情報を発音や仕草に乗せているかも知れません。日本には
「いやよいやよも好きのうち」
という誤った言い伝えがありますが、私が言葉で言っていることをそのまま受け取ってもらえないのは、私が誤って発信している非言語情報が間違って伝わり、私は相手の発信する非言語情報を読み取れずに言葉を文字通りに解釈する、といったところでしょうか。

 

 

 3月29日の記事

「どこを見てやる気があるとみなすのか」

と聞くと怒られます。

「そんなことを聞く人間はやる気がない」

と。自分の何がどう見られているのかわからないまま。

 1月4日から始めた漢字ドリル 、84章あるうち72章まで来たから、もう少しです。表題の
「有為転変」
読みの問題にあったのですが、今まで
「有為変転」
だと思っていたような気がします。日常生活で使わない言葉なので気づきませんでした。
「ういてんへん」
より
「ういへんてん」
の方が語呂がよさそうなので、脳内変換してしまったようです。
 
 本当の読み方は
「ういてんぺん」
でした。まさか「ぺ」で語呂を合わせていたとは。天変地異という言葉もありますからね。漢字違いますが。
「有為変転」(ニセモノ)
でググッたら55件ヒットしました。少なくとも55人は私と同じ間違いをしていた訳です。ちなみに
「有為転変」(ホンモノ)
は44700件でした。間違い率約0.1%ですか。割と少ない。がーん。
 
 有為を抜くと「変転」17万3000対「転変」13万1000で変転の勝ち(何の勝負だ)。転変は有為から離れて単独ではあまり使われないみたいです。
 
有為転変(広辞苑第四版より)
 この世は因縁によって仮にできているから、移り変わってしばらくも一定の状態にないこと。
 
 は、そんな意味だったんですか。深いです。私は移り変わってもしばらく気づきそうにありません。

 

 

 3月28日の記事。漢字ドリルは無事終了しました。 

 いろんな人が親切でいろんなアドバイスをして下さると、ゴチャゴチャしてよくわからなくなります。ブログでも混乱しましたが、現実世界はもっと混乱します。
 発達障害者の就業支援にジョブコーチをということがさかんに言われますが、ジョブコーチがそういう人たちをシャットアウトしたり、通訳になってくれると助かります。
 
 仕事を指示する人、指導する人は1人で、私にわかる言葉を使う人、というのが理想です。前にいた会社では若手の採用を抑えていたため、管理職がヒラより数が多く、私も4人の上司に仕えたことがあり、かなり混乱しました。
 診断以前は、幸い(他の人にとっては不幸)なことに、自分でなくゴチャゴチャ言う人の側に原因があると信じて疑わなかったため、周りに上記の理想を押しつけてジョブコーチ化していました。上司でなくても、何人かに1人は、私の言葉がわかる人がいるものです。変わった人だがまあしょうがないなということで、後は人格とその後の実績でカバーです。
 
 これは直接雇用だと通ることもありますが派遣だと厳しいですね。絶対許さない人もいましたが、そういうところではどちらにしろ続きません。
 前にこの話を書いた時説教族に特攻されてえらいことになりました。きっとすごいわがままに見えるのだな。それでもいいです。素直で優しいニートより、わがままな社会人になります。周りに合わせようという気概が欲しいとつけておけば大丈夫でしょうか。

 

 

 3月27日の記事。これ絶対説教されそうシリーズ(いつの間にそんなシリーズが)のためコメントは拒否にします。いろんな人がいろんなことを言って、いちいち従っていると別な人に叱られる、というパターン。そのせいで私が目の前でどなられていても

「私がこうしろと言ったんです」

とかばってくれる人は少ないです。よくわかっていない人に

「こうするといいよ」

と言われ、上司に言われたことと違うからいけないのではないかと思いながらも、できない理由をうまく説明できないと、そうせざるを得ません。

「はい」

とその場では言ってしない、となると

「素直じゃない」

と後でひどいことになります。上司は1人がよいです。

 ほめられたら否定しなければならないというルールに、小さい頃から気づいていなかった訳ではありません。ただ、何となくうまくいかなくて失敗していました。自分では
「謙虚」
のつもりでも先方は
「ネガティブ」
と受け取ったり、謙譲の美徳のつもりで、ほめてくれた人に
「お世辞がお上手ですね」
と言って親にめちゃめちゃ叱られたり。でも私が誰かをほめるというか、肯定的なことを言って
「お世辞がお上手ですね」
と言われたことはあります。相手と自分の年齢や立場のバランス、その時の状況や前後関係で、同じフレーズでも適切であったり不適切であったりするのでしょう。
 
 子供は大人が話すのを聞いて言葉を覚えるはずなのに、大人が子供に話す時の言葉を、子供が大人に話す時にそのまま使うと、ものすごく叱られます。大人語と子供語の違いを、普通は幼児期から区別して使っているのでしょうか。
 ASの子供が偉そうなもの言いをするという情報をたまに見かけますが、それは誰か大人がその子に言ったフレーズを真似して使っているだけではないんでしょうか。私はリアルASの子供を見たことがないので想像に過ぎないのですが。
 
 他の人は言ってもいいけど私は言ってはいけない言葉、というのが次々と出現するのに混乱していたのでした。
「そういう時はこう言えばいい」
というコメントをブログ初期にいっぱいもらいましたが、リアルでもいっぱい言われました。しかし全く同じ場面は存在しないため、いつも不適切になってしまい、余計混乱していくのでした。

 

 

 3月25日の記事。なぜかコメント欄はカレーライスの話になりました。関係ない話題で盛り上がるのは好きです。

 謙譲の美徳すると向こうがさらに否定し、それをさらに否定し、と繰り返すうちに段々ムキになったりして妙な雰囲気になってしまいます。少しでも肯定するとお世辞を本気に取る人になってしまうし、お世辞を言う側の人が先に折れてくれないと困ります。

 ところで、景気が回復傾向だそうです。信じられませんが、
「優秀な人が採用できない、やっと育ったと思ったらやめる」
というバブル再来かと思われる声も聞こえます。嘘でしょ、世はまだまだ就職難の雰囲気です。
 優秀な人が採用できないのは低賃金の契約社員やパートで募集するからです。1人暮らしなど到底できない薄給、仕事のレベルはどんどん上がるのに昇給はなし、昨日入ってきた新人と同じ時給では、モチベーション保てません。
 
 本当に、正社員の言う
「正社員だっていつクビになるかわからない時代だよ」「組織に捕らわれない方が気楽だよ」
は嫌味です。非正社員が自分で言うならいいけど。富豪が
「金があるというのも大変だよ」
と言っているのと一緒です。だったらその金下さい。
 
 会社というのは経営者が「大局を見て」決めたことに、「目の前の事しか見えない」末端の社員が苦労させられる図式です。営業により数百万利益を上乗せするのは大変ですが、1人分の人件費を削れば簡単に利益が出ますから、その旨みに気づいてしまったら元には戻せないようです。
 
 末端の正社員は優秀な契約社員、パート引きとめに必死
→評価していると昇給も匂わせる
→会社はびた一文昇給などしない
→悪かった、自分はがんばったけど
→がっくり、モチベーション低下
 
 期待するようなこと言わなければいいのに。こういう昇給だとか評価の決定権は、誰が持っているのかわかりません。目の前で
「がんばれば時給上げるから」
と言っている人が持っていないのは確かなんだけど、社長が持っているかというと、ちょっと距離が遠すぎます。実際時給が上がらないと
「自分は上げたかったのだが上の人が」
とごまかします。これはこういう演目のお芝居なんでしょうか。出来レースなのに。

 あ、これ自分のこと言っている訳ではありませんよ。私のようなポンコツを雇ってくれるだけでありがたいです。モチベーションが善語から生まれるとは限りません。私の今のモチベーションは悪語から生まれました。ぜいたくを言える立場ではないのですから、今あるものに感謝したいです。この仕事が決まった時ブログ上で祝って下さった皆様にも。この職場で、勤続1年経ちました。

 

 

 3月24日の記事。記事タイトルは、Yahooの背景をひまわりに変えたことから取りましたが、一応内容ともからめたつもりです。(深い?)

 個人がどんなにがんばったところで、偉い人から見れば代わりはいくらでもいます。個人の裁量に頼りすぎて、その人がいないと成り立たない事業は、会社としてはリスクが大きすぎます。代替のきかない人材になることはむしろリスキーです。誰にでもできる仕事にしがみつくのが賢明です。(悪語)