会社の偉い人でも
「まずはやる気です」
と言う人いました。
「どこを見てやる気があると判断するんですか」
「やる気があるかどうかは見ればわかります」
わからねーよ。こっちは発信能力ないんだからさ。こうすればやる気があるとみなす、とか具体的に教えてくれないと。
 と言ったらそんなこと言う人間にはやる気はない、となります。定型発達者にとっても無意識だからわかりにくいのですが、やる気ありそうな発音とか表情とか歩き方とか、あるみたいです。
 要するに非言語コミュニケーション。苦手な非言語コミュニケーション。それがスカスカの抽象語を意味ある言葉に変えます。
 
 なぜ同じフレーズを使っても違って受け取られるのか、初期は混沌としていてうまく説明できませんでした。
 お世辞を否定する時、言葉では否定しても非言語で
「でもほめられてうれしいです」
という情報を発信しないと、感じ悪い、下手すると卑屈と受け取られそうです。
 否定会話ルールは非言語コミュニケーションと多分セットになっています。それがわからずに否定の部分だけ真似してはいけません。
 
 ロボットのように全く発信できないのではなく、誤った情報を発音や仕草に乗せているかも知れません。日本には
「いやよいやよも好きのうち」
という誤った言い伝えがありますが、私が言葉で言っていることをそのまま受け取ってもらえないのは、私が誤って発信している非言語情報が間違って伝わり、私は相手の発信する非言語情報を読み取れずに言葉を文字通りに解釈する、といったところでしょうか。

 

 

 3月29日の記事

「どこを見てやる気があるとみなすのか」

と聞くと怒られます。

「そんなことを聞く人間はやる気がない」

と。自分の何がどう見られているのかわからないまま。