電話をかけて目的の相手がいなかった時、
「それでは結構です」
と言っても食い下がられることがあります。
 
「ご伝言ございましたら承ります」
マイルールでは原則、業務上の伝言はしません。取り次ぐ人の個人的解釈で、誤って伝わる可能性が高いからです。どっちにしろ後で伝わったかどうか確認しなければならないので、直接伝えた方が安全です。
 以前は、自分が伝言を聞こうとして相手に断られると、
「この人私のこと信用していないんだわ、しくしく」
と脳内ですねていたので、自分が聞かれた時はなるべく伝言を伝えるのが礼儀だと思っていました。しかしどうも、むしろ断るのが礼儀のようです。
  
否定会話ルール第1条(今決定) 目上の人が「何かしましょうか」と言ってきたら断る。
 
「戻りましたらお電話差し上げるよう伝えます」
これも相手との距離感により微妙ですが、相手の手をわずらわせることになるので、目上の人であれば1度は断った方がよさそうです。
 私はこれも、自分が言って断られると悲しくなったものです。電話はかける側がコントロールでき、受ける側が支配される関係のような気がして、相手がかけると言っているのにいや自分がというのは、見下している感じがしました。

 上記の返答は電話応対としては定型的なので問題ありませんが、予期せぬ言葉が返ってくると判断基準が揺らぎます。
「普通はどうするか」(知識として知らないと思いつかない)
から
「自分ならどうして欲しいか」(この判断基準はとんでもなく外れることがままある)
にシフトします。翻訳する暇がなくて文字通りに受け答えしてしまいます。
 
「ご用件お伺いしてよろしいでしょうか。私でもわかる件かも知れませんので」
いやあなたにはわかりませんという訳にもいかず、ついご用件(複雑な経過報告でも)をぺラペラしゃべってしまい、
「それでは○○にそのように伝え、○○か私から折り返しご連絡いたします」
となったら、後悔の念が押し寄せます。
 言えませんというのも反射的に失礼と考えたから話しただけなのに、伝えて欲しいなんて言っていないのに。しかし言ってしまった以上なかったことにできません。
 
 今度から
「いいえ、またこちらからお電話します」
と切り抜けることにします。また食い下がってきたら、このシチュエーションは
「それでは結構です」
の後さらに食い下がられた時を想定しているので、2回ルール(↓下記)に基づき、ご用件を白状しないといけません。
 
否定会話ルール第2条 2度否定されたら相手の言葉に従う。(通称2回ルール)
 
 その場合も全部話すと伝わる段階での誤解が大きくなるので、△△の件で、と簡潔なフレーズを用意しておかなければなりません。これだけ準備を整えても、また予期せぬ別なフレーズをを言われると、応用が利かなくて失敗してしまうのだな。
 
 
 4月12日の記事。聞かれたら答えなければいかんとは思わない方がいいな。
 はてブ巡りすると、説教族について語ったエントリーは結構見かけます。もちろん説教族という表現ではありません(そんなメジャーではない)が、他者をおとしめることで自分の優位性を保とうとする人々や、違う価値観を排斥する行為に対する漠然としたイヤ感と申しますか。みんな嫌なのだな、あれ。
 
 本人のブログでやるならともかく、コメント欄で常連説教族が自論を展開するアレ、閲覧者としてはどんどん不愉快になりますが、ちょっちぷんさんのように割って入って戦う勇気がありません。普段コメントしているならまだしも、見てるだけだと。
 
 いわゆるネガ系のブログというのは、私の知らないすさまじい体験が描かれていてそれ自体が興味深いのに、コメント欄に常連説教族がいると思わず(脳内で)波動砲をぶっ放します。ブログ主さんがきちんと対応していらっしゃると余計に、他の常連さんも黙ってしまいます。現実でもありがちです、こういうシーン。
「もっと前向きにならないといけませんよ」
「そうですね。ありがとうございます」
こんな単純ではありませんが、うぜー。ブログ主さんの文章や考え方が好きで見に来ているんだから正しくて立派なお前の思い通りに修正しないでくれ。議論が目的のブログならともかく、自分の体験談を書いているだけなのに。
 
 私は人間ができていないので見るのも嫌です。ブログ主さんがうざいと思っているとは限りませんが、前の時のことを思い出すし、人にいつも助けてもらっておきながらそういう時に何もできない自分にも、自己嫌悪です。じゃあ見るなよということで見なくなるのですが、記事でなくコメント欄が原因で見たくなくなるというのは残念です。
 そう思うとコメントも、そのブログを構成する立派なコンテンツです。エロトラックバックがいっぱいついていると、ブログ自体の価値を落とすのと一緒です。あ、うちのコメント者の皆様は優秀です。
 
 
 4月11日の記事。トラバ承認制にしているけど、1回先方に見に行かないと公開できるものかどうかわかりません。見に行くと・・・だったりして。最初の2行くらいでいいから管理画面でも表示してもらえるとよいのですが。アドレスがブログなのでクリックすると、全然違うURLに飛ばされたりもします。迷惑メール並に怖いぞ。
 説教族論は禁断の果実だったかも知れませんが、人の心をむき出しに体現したその姿に、私は惹きつけられて(好意的な意味ではない)やみません。
「たとえ役に立たないことでも、あなたのためを思って言ったんだからそのことには感謝しないと、今に誰にも相手にされなくなるよ」
はい、これが典型です。短い文章にいろいろな要素が。
 
ポイント1 あなたを思っての強要
ポイント2 自分に感謝しろの強要
ポイント3 主語が不特定(今に誰にも・・・って誰のこと?)
ポイント4 呪いの予言(お前はインチキ占い師か)
 
 1~3は何度か話題になったので、今回は4について。普通の方でも
「来年の今日、お前は死ぬ」
と言われたら怖いですよね。
「お前はもう死んでいる」
がそんなに怖くないのは、死が過去のものになっているからです。
「今から5秒後お前は死ぬ」
は5秒間怖いです。
 
 予言に期限が切られていないので、一生有効です。予言が発動するのは明日かも知れないし80歳の時かも知れません。そして、予言が当たった時だけこいつら再登場して
「ほら言った通りでしょう」
と言いそうです。「今に」だから死ぬまで何も起こらなくても外れたことにはなりません。
 過去に登場した説教族の皆様も、私が駄目な人間になると予言していたけど、どこでどうそれを判断するつもりなんでしょう。駄目な人間の定義も不明です。
 
 駄目な人間になるということは今は立派な人間だとほめてくれているのでしょうか。悪徳商法の人は商品を買ってもらうと
「これをお選びになるなんてあなたは賢い」
と言いながら脳内で馬鹿にしているでしょうから、その逆とか。
 保険の営業の人を断ったら
「病気になっても誰か助けてくれるとたかをくくっているのね。自立してないんだ」
と捨て台詞されてむかついたこともありました。前に別な議論で出てきた
「社会でやっていけない」
というのもそうだけど、こういう呪いを一生忘れないからいけないのです。
 
 説教族と悪徳商法の人は私の中ではすごく似ているんですが、立派で賢い私の言うことを聞かないと呪いがかかるぞ、って気持ち悪いです。よそでやっている分にはいいけど近寄らないで欲しいです。
 
 
 4月9日の記事。説教族同士がお互いを説教しながら楽しく生きていくというのは、悪徳業者がお互いの商品を買い合って生きていくことと同じくらい難しそうです。つまり彼らの文化を許容するには犠牲者が必要です。もしくは説教されるのが好きでたまらない人とか。中にはいるかも知れません。

 ほうれんそうこと報告、連絡、相談というのは、新社会人が最初に教わることの割には、高度なテクニックを必要とします。交渉力、コミュニケーション能力(言語、非言語とも)、読心術、タイミングを読む力など、総合的な人間力を求められます。
 
 それほど大事だと言われるのに、報告される側はどのように聞いているのでしょう。
 
「この人数では納期に間に合わない、人数を増やすか、納期を伸ばして欲しい」
  ↓
「どこもギリギリの人数でやっているんだ。踏ん張って欲しい」
  ↓
結局駄目
  ↓
「なぜもっと早く言わなかった」
 
 報告の内容信用する気がないならほうれんそうなんかいらないのでは。それだったら大丈夫ですと言い切って、そのプレッシャーをエネルギーに変える方がまだ成功の可能性が増します。困って相談しても何の対策もしてもらえないと、エネルギーを倍消耗します。
 上の上司が悪い人間だという意味ではなく、権限がない人間がほうれんそうされても何の意味もなくて、ほうれんそうのためのほうれんそうになっているということです。権限がない人に相談するだけ時間の無駄なのに、相談しておかないと後で責任を押しつけられます。
 
 今書いていると、あの人たち偉そうにしていたけど本当は権限なんてなかったんだなあと思い出します。トラブルがあった時はいかに他の人間のせいにするかが重要なんですが、状況が読めないといつの間にか全て自分が悪いことになっています。
 ほうれんそうを上手にさばける人が社会で上手に生きていけるのだ、というのが、偉い人の新人への最初の教えだったのです。かなり深いです。真に受けていましたが、あれは謎解きでした。
 
 しかし時代は変化もします。現代の報告はメール、業務上のメールを見なかったら見なかった人間が悪い、というルール(そうしないとメールを送った後必ず確認の電話をしなければならないことになる)ができつつあり、少しずつ流れは変わっています。
 部下の仕事をチェックする上司の人件費を他で使った方が、それにより部下たちの成果が多少落ちたとしても対人件費効率はよいという考え方も出てきました。
 
 気概が欲しいでは乗り越えられない危機管理と、責任転嫁の象徴、ほうれんそう。21世紀のほうれんそうに期待しつつ、このシリーズを終えます。(多分)

 

 

 4月6日の記事。権限委譲問題。ほうれんそうが無駄に1人歩きします。権限ないのに偉いことになっている人に報告したって時間の無駄なのに報告しないと怒るからな。上司が複数いて、それぞれに別々に報告しなければならなかったり。報告とは

「あなたは偉い」

とたたえる場のようです。真面目な話、これはもう変わっていきそうです。変わっていって欲しいです。

 中間報告で大丈夫です、順調ですと言っていて、締切り間際に大幅な遅れがあることがわかった、これは周りに迷惑をかけて最悪、早め早めに報告、連絡、相談をしましょう、というエピソードは、よくほうれんそう訓話に登場します。
 
 本当は遅れているのに大丈夫です、順調です、という人は実社会にはたくさんいます。これ、ただの善語ですよね。遅れていて間に合うかどうかわからなくても、絶対間に合わせるという気概が欲しいということです。
 会社の偉い人はすぐ前向きとか気概とか言うのに、都合が悪くなると下の人間が嘘をつくのが悪いみたいに言うのはいやだなあと思いました。前向きや気概が私の世界では既に嘘なんですけど。
 都合の悪いことを隠匿して、後で発覚して大騒ぎという事件(大小問わず)が後を絶たないのは善語文化の賜物と見えます。ピンチにも前向きに考えれば自分に都合のいい展開になるとは限りません。少年漫画はそのパターンですが。
 
 ある仕事が遅れ気味で、しかし五分五分で間に合う可能性もある時の対処。
A 大丈夫ですと報告、実際ぎりぎりセーフ
B 大丈夫ですと報告、実際は間に合わず
C 遅れていると報告、実際ぎりぎりセーフ
D 遅れていると報告、実際も間に合わず
 
 この場合、評価高い順からACDBですね。ACBDかも知れません。下手するとABCDか。少なくともCとDは報告段階で怒られます。報告したことで評価を上げることはなく、むしろ遅れさせたことで評価を下げそうです。
 ABか、CDかなら、頭のい人間はABを選びます。報告を重視するならCDABか、せめてCADBでないと割に合いません。
 頭の悪い私はそのことに気づかず、最初の訓話を鵜呑みにして、自分に不利なことでもきちんと報告することが最終的には信頼されるのだ、とさらに間違った道に進んでいくのです。
 
 報告することで、BがCに転ずる可能性があるかというとまたこれがいろいろ面倒なのですが、長くなるといけないので続きは明日。(まだやるつもりか)

 

 

 4月5日の記事。危機管理は善語文化と大局にあります。実はネット社会は、規則に厳格でシミュレーション好きな自閉的発想に合っているのではないかと推測します。前向きや柔軟性では万一を防ぎ切れません。

 ところで、昨日からコメントを承認後公開にできる機能がついたので、早速採用しました。結構スパム対策がんばってくれています。議論の時は外すつもりです。この状態で議論に盛り上がるであろうかという心配はありますが。