ほうれんそうこと報告、連絡、相談というのは、新社会人が最初に教わることの割には、高度なテクニックを必要とします。交渉力、コミュニケーション能力(言語、非言語とも)、読心術、タイミングを読む力など、総合的な人間力を求められます。
それほど大事だと言われるのに、報告される側はどのように聞いているのでしょう。
「この人数では納期に間に合わない、人数を増やすか、納期を伸ばして欲しい」
↓
「どこもギリギリの人数でやっているんだ。踏ん張って欲しい」
↓
結局駄目
↓
「なぜもっと早く言わなかった」
報告の内容信用する気がないならほうれんそうなんかいらないのでは。それだったら大丈夫ですと言い切って、そのプレッシャーをエネルギーに変える方がまだ成功の可能性が増します。困って相談しても何の対策もしてもらえないと、エネルギーを倍消耗します。
上の上司が悪い人間だという意味ではなく、権限がない人間がほうれんそうされても何の意味もなくて、ほうれんそうのためのほうれんそうになっているということです。権限がない人に相談するだけ時間の無駄なのに、相談しておかないと後で責任を押しつけられます。
今書いていると、あの人たち偉そうにしていたけど本当は権限なんてなかったんだなあと思い出します。トラブルがあった時はいかに他の人間のせいにするかが重要なんですが、状況が読めないといつの間にか全て自分が悪いことになっています。
ほうれんそうを上手にさばける人が社会で上手に生きていけるのだ、というのが、偉い人の新人への最初の教えだったのです。かなり深いです。真に受けていましたが、あれは謎解きでした。
しかし時代は変化もします。現代の報告はメール、業務上のメールを見なかったら見なかった人間が悪い、というルール(そうしないとメールを送った後必ず確認の電話をしなければならないことになる)ができつつあり、少しずつ流れは変わっています。
部下の仕事をチェックする上司の人件費を他で使った方が、それにより部下たちの成果が多少落ちたとしても対人件費効率はよいという考え方も出てきました。
気概が欲しいでは乗り越えられない危機管理と、責任転嫁の象徴、ほうれんそう。21世紀のほうれんそうに期待しつつ、このシリーズを終えます。(多分)
4月6日の記事。権限委譲問題。ほうれんそうが無駄に1人歩きします。権限ないのに偉いことになっている人に報告したって時間の無駄なのに報告しないと怒るからな。上司が複数いて、それぞれに別々に報告しなければならなかったり。報告とは
「あなたは偉い」
とたたえる場のようです。真面目な話、これはもう変わっていきそうです。変わっていって欲しいです。