中間報告で大丈夫です、順調ですと言っていて、締切り間際に大幅な遅れがあることがわかった、これは周りに迷惑をかけて最悪、早め早めに報告、連絡、相談をしましょう、というエピソードは、よくほうれんそう訓話に登場します。
本当は遅れているのに大丈夫です、順調です、という人は実社会にはたくさんいます。これ、ただの善語ですよね。遅れていて間に合うかどうかわからなくても、絶対間に合わせるという気概が欲しいということです。
会社の偉い人はすぐ前向きとか気概とか言うのに、都合が悪くなると下の人間が嘘をつくのが悪いみたいに言うのはいやだなあと思いました。前向きや気概が私の世界では既に嘘なんですけど。
都合の悪いことを隠匿して、後で発覚して大騒ぎという事件(大小問わず)が後を絶たないのは善語文化の賜物と見えます。ピンチにも前向きに考えれば自分に都合のいい展開になるとは限りません。少年漫画はそのパターンですが。
ある仕事が遅れ気味で、しかし五分五分で間に合う可能性もある時の対処。
A 大丈夫ですと報告、実際ぎりぎりセーフ
B 大丈夫ですと報告、実際は間に合わず
C 遅れていると報告、実際ぎりぎりセーフ
D 遅れていると報告、実際も間に合わず
この場合、評価高い順からACDBですね。ACBDかも知れません。下手するとABCDか。少なくともCとDは報告段階で怒られます。報告したことで評価を上げることはなく、むしろ遅れさせたことで評価を下げそうです。
ABか、CDかなら、頭のい人間はABを選びます。報告を重視するならCDABか、せめてCADBでないと割に合いません。
頭の悪い私はそのことに気づかず、最初の訓話を鵜呑みにして、自分に不利なことでもきちんと報告することが最終的には信頼されるのだ、とさらに間違った道に進んでいくのです。
報告することで、BがCに転ずる可能性があるかというとまたこれがいろいろ面倒なのですが、長くなるといけないので続きは明日。(まだやるつもりか)
4月5日の記事。危機管理は善語文化と大局にあります。実はネット社会は、規則に厳格でシミュレーション好きな自閉的発想に合っているのではないかと推測します。前向きや柔軟性では万一を防ぎ切れません。
ところで、昨日からコメントを承認後公開にできる機能がついたので、早速採用しました。結構スパム対策がんばってくれています。議論の時は外すつもりです。この状態で議論に盛り上がるであろうかという心配はありますが。