私が楽しんで見ることができるスポーツは野球だけだと以前書いたことがあります。特に野球と対比されがちなサッカーは、展開が早すぎて何が起こっているのかわかりません。野球は試合中の間がたくさんあって、考える余裕があります。
 本物ではなく、スポーツをテーマにした漫画だとこちらの読むスピードに合わせて展開するし、解説者や観客が詳しく説明してくれますから、駆け引きや心理も見えやすいです。
 某キャプテン翼の解説者は1秒間に400字くらいしゃべるそうですが、本当の競技中であれば無理でしょう。
 漫画である程度の知識を身につけた上で本物を見ればよくわかるのかも知れませんが、そこまで一生懸命サッカー漫画読みませんでした。
 
 今ビッグコミックで連載中の「ファイブ」というバスケットボールの漫画を立ち読み(雑誌は全て立ち読み)していますが、
「親会社のリストラで廃部になった他の実業団チームから選手を寄せ集め、リストラ軍団と揶揄されたチームが日本一になるまでの実話」
という紹介は泣けます。廃園寸前から、上野動物園を抜いて月間入園者数日本一になった旭山動物園みたいで。
 こういう話は好きです。説教族もこういう話が好きなんだろうな、というおぞましい想像さえ思い浮かばなければ(うぎゃー)。どんないい話も、やる気になれば何でもできる、という説教につながるかと思うと感動も半減です。
 
 競技中の解説と言えば「ガラスの仮面」ですが、演技中に
(亜弓さん)
(マヤ、何て子なの)
と考えているようでは役柄に入っていないように見えるし、
「演技であんな顔できるの」
「今のは演技なんてものじゃない」
とざわつく観客は全然劇中世界に入りこんでいません。だいたい舞台を見に行っても、よほどいい席でないと表情なんて見えないぞ。解説するような観客はよほどいい席に座っているのでしょうけれど。
 
 演技は下手だとわかるけど、上手だとなかなか気づかないと思われます。スポーツの中継を見て観客が解説者になるのはわかりますが、演劇は観客を客観的にさせてはいかんでしょう。演劇にスポ根の要素を取り入れたのは画期的でしたが。どうでもいいけど次の巻はいつだ。
 
 
 5月15日の記事。サッカーは今どういう状況なのかとかわかりずらいです。ガラスの仮面は私が生きている間に終わらないかも知れません。今の漫画はスポ根よりゲームがモチーフになっていそうです。
 私の実生活のことで書きっぱなしで放ってあるものがありました。続編を書くほどではないのでまとめて報告。



 1月4日から始めてて4月8日に終了しました。ほぼ予定通りです。作者様が降臨 して下さった思い出深い1冊。このことは励みになりました。作者様のブログ「はためく大人の国語ノート」は閉鎖されたとのことで、残念です。高校生向けの「はためく現代文ノート 」は継続中。


 漢字ドリルより2週間ほど遅れて終了。本当にIQ上がったでしょうか。今はもう少し実用的な勉強を始めています。資格取得、とまではいかなくても、ボケ防止で。
 
3 ノートパソコン

 1月に風邪を引いて動かなくなったノートパソコン。その後動くようにはなったのですが、全くサクサクせず、もう寿命ということで、弟が先日遊びに来た時、新しいPCを買ってきて全部つなぎ直してくれました(金は取られたが)。新しいPCは早くて快適です。ブログ巡回もまあまあで、Yahooが軽くなったのかPCのせいかはやや不明です。
 5月14日の記事。近況と言っても2ヶ月前です。PCは順調です。勉強も、カメのようにスローペースながら続けています。リンクは、アメブロに写す時はアメブロでのリンク先を貼る(作者様のコメントは別)のですが、探すのが大変。Yahooはブログ内検索ができるのですが。
 今でこそ新聞の山に埋もれて生活 していますが、新聞を購読していなかった時期もありました。困らなかったと言えば困らなかったけど。ある場所に引っ越した時、宅配の新聞をお願いしようと電話し、
「夕刊はいらない」
と伝えたところ
「夕刊取っても取らなくてもいくらも変わりませんよ」
と言われました。
「取らないといくらなんですか」
「いくらも変わりませんよ」
聞いたことに答えろーーーーー
という訳で電話口でケンカになり、その地域に住んでいた時期は新聞を取りませんでした。
 
 自分が電話受付の仕事をしていた時は、まっすぐ答えることはトラブルの元で、私もよく怒られました。業種によっては料金を絶対電話で答えてはいけないことになっていて、答え方マニュアルもありましたが、私だったら絶対怒り爆発なごまかし方です。
 確かにまっすぐ答えなかったからといって怒り狂うお客様もいなかったので、私が特殊なのでしょう。だとしてもこの会話は嫌ですが。
 
 お客様は神様という時代でもありませんから、私は
「クレーマー」「変な客」
でブラックリスト入りでしょう。
 1回も口を開かなくても買い物可能なコンビニとスーパーとネットの利用で生きていけるかも知れませんが、小心者の私はネット上にクレジットカードの番号をなかなか打ちこめないのでした。
 この前筆談ショッピング を試そうとメモとペンを持って店内に入って行ったら、最初から変な人だと思われたらしく、遠まわしな会話にならずに済みましたが、今度から筆記用具は隠して入ろうと思います。それも挙動不審か。
 
 
 5月13日の記事。藤子・F・不二雄氏の「みきおとミキオ」では、100年後の世界ではテレビをリモコンでピッとやれば買い物ができることになっていたのですが、私が生きている間に実現するでしょうか。またマイナーな作品を出してしまいました。どなたか知っていますか。
 前の記事
「意図が伝わらなかった、ということは言いたくない」
と書きました。理由は、自分が言われたくないからです。
「私の表現は素晴らしいのにあなたの読解力がないから通じなくて残念」
「私はこんなに立派な考えなのに、それをそんな風に受け取るとはひねくれている」
と聞こえます。受け取り方がひねくれているのは本当ですが。
 
「伝えられなかった」
なら自分の表現に対して責任の一端を負っている感じがしますが、
「伝わらなかった」
だと何だか他人事で、受け取る側の問題のようです。そうすると私は
「ここにこう書いてあるじゃない。これが嘘だっての」
と反発するか
「馬鹿って言われた」
と落ちこむかどちらかです。
 
 説教族が粘着していた時も、内心、
(こいつ読解力ないな)
と思わぬでもなかったのですが、
「自分の表現がわかりにくかったのだな。もっといろいろ変えてみよう」
と考えて対応するようにしました。
 
 その人向けの記事をたくさん書いたのに、最後
「言ってもらわないとわからない」
と逆ギレされた時は
「自分で自分に読解力がないかも知れないとは普通考えないのだろうか、
自分がわからない時は相手のせい、相手がわからない時は相手のせい、と信じるものなのか」
と混乱の渦中でした。
 
 2ちゃんねるでも、お前に表現力がない、いやお前の読解力がないという争いはしばしば勃発しますが、こういうのはバランスの問題だからどちらが正しいとも言えません。
 
 言ってもらわないとわからないって、そんな口開けてエサ待っている体勢の人が他人にものを教えようだなんて、文法が変です。それ、教わる側の論理です。親が子供に
「お前の育て方が悪かったから私はこうなったのだ」
と言っているようです。(子供が親にこう言ってもいいという意味ではありません)
 これを検証しだすと混乱の元なので早めにやめます。いまだに、完全には意味わかっていないようです。大人だって幼児プレイをすることあるんだから、そういうこともあるでしょう。(多分かなり違う)
  
「意図が伝わらなかった」
というのも一種の論点ずらしかも知れません。
「ではこれから真意を説明します」
と一気に自分の土俵に持っていくことができます。
 相手の言葉にまともに対応すると、先方がかっかきて説教族化する恐れがあるので、
「意図が伝わらなかった」
と煙に巻くというか、沈静化を図るのも、議論のスマートな進め方と言えます。私は嫌ですが。
 
 
 5月12日の記事。で、今日は7月13日です。このブログも無事1周年を迎えました。開設後10日で閉鎖を考えましたが、今日を迎えられてよかったです。
 上のような人には近寄らない方がよいのはもちろんですが、突撃してこられたらどうお引取りいただけばよいやら。ブログだと戦うか閉鎖かになってしまいます。
 定型発達者の会話ルールでは、相手の言葉から先々を推測し、2つか3つすっ飛ばしてものを言う、ということは何度か書きました。
「あなた○○でしょう」
「さあね」(答えたくない)
「ほらそうだ、やっぱりそうだったんだ」
そんなこと言ってなーーーい。
「答えたくない」「内緒」
でも同じです。やっきになって否定するとそれが答になるし。あの思いこみは根拠のない自信でしょうか。
 こんな手で白状させられる私も私ですが、相手の勝手な推測をそのままにしておくと後で嘘つき呼ばわりされてしまいます。こういう時に、論点をずらしたり違うことを言うテクニックが有効なのでしょう。
「答えたくない」
に別な意味を持たせず、そのまま伝えるには。
 
 私は抽象語が苦手なせいか、物事を理解したり説明したりするのに具体的な事例を作るのが好きでブログでもよく使いますが、その事例のせいで思いもよらぬ推測をされてしまうことがあります。
 昔、私同様独身の友達と合コンの反省会をしながら
「合コンではどんな会話をするべきか」
という議論中
「共通の趣味があると話題は途切れずに済む」
論を展開しました。
「△△さんだと話題がない時何言っていいかわからないけど、◇◇さんは阪神ファンだったから、阪神の話題をふれば場がもつような気がする」
もうオチのわかる人いるでしょうか。私は
「◇◇さんに好意をもっている」
ということになってしまいました。
「話が合うって言っていたじゃない」
ちがーーーーう。そうなってから否定しても信じてもらえません。これって
「どんな人も死ねば仏になる」

「あの人は仏のような人だ」
になったくらいねじ曲げられていないでしょうか(具体的な事例)。
 
 ちょっとすれ違っているとかではなくて全く正反対に受け取られることがよくある気がします。いや、私だけでなくて誰にでもあることかも知れませんが。そういえば
「少しだけ努力する」
「あまり努力しない」
も人によっては正反対に見えるんですよね。
 
 人それぞれの受け取り方があるから、説教されない限りその受け取り方に制限かけるつもりはないけど(意図が伝わらなかった、ということは言いたくない)、たとえ話が例えの領域を超えてどんな伝わり方をしているんだろうと一抹の不安。
 
 
 5月10日の記事。やっぱり思うのですが、言葉で正確に伝達しあうのはやや無理ありますね。どうしても少しずつ人によって意味が違ってくるし。だからテレパシーが主で言葉は従になってしまったのでしょう。