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「意図が伝わらなかった、ということは言いたくない」
と書きました。理由は、自分が言われたくないからです。
「私の表現は素晴らしいのにあなたの読解力がないから通じなくて残念」
「私はこんなに立派な考えなのに、それをそんな風に受け取るとはひねくれている」
と聞こえます。受け取り方がひねくれているのは本当ですが。
 
「伝えられなかった」
なら自分の表現に対して責任の一端を負っている感じがしますが、
「伝わらなかった」
だと何だか他人事で、受け取る側の問題のようです。そうすると私は
「ここにこう書いてあるじゃない。これが嘘だっての」
と反発するか
「馬鹿って言われた」
と落ちこむかどちらかです。
 
 説教族が粘着していた時も、内心、
(こいつ読解力ないな)
と思わぬでもなかったのですが、
「自分の表現がわかりにくかったのだな。もっといろいろ変えてみよう」
と考えて対応するようにしました。
 
 その人向けの記事をたくさん書いたのに、最後
「言ってもらわないとわからない」
と逆ギレされた時は
「自分で自分に読解力がないかも知れないとは普通考えないのだろうか、
自分がわからない時は相手のせい、相手がわからない時は相手のせい、と信じるものなのか」
と混乱の渦中でした。
 
 2ちゃんねるでも、お前に表現力がない、いやお前の読解力がないという争いはしばしば勃発しますが、こういうのはバランスの問題だからどちらが正しいとも言えません。
 
 言ってもらわないとわからないって、そんな口開けてエサ待っている体勢の人が他人にものを教えようだなんて、文法が変です。それ、教わる側の論理です。親が子供に
「お前の育て方が悪かったから私はこうなったのだ」
と言っているようです。(子供が親にこう言ってもいいという意味ではありません)
 これを検証しだすと混乱の元なので早めにやめます。いまだに、完全には意味わかっていないようです。大人だって幼児プレイをすることあるんだから、そういうこともあるでしょう。(多分かなり違う)
  
「意図が伝わらなかった」
というのも一種の論点ずらしかも知れません。
「ではこれから真意を説明します」
と一気に自分の土俵に持っていくことができます。
 相手の言葉にまともに対応すると、先方がかっかきて説教族化する恐れがあるので、
「意図が伝わらなかった」
と煙に巻くというか、沈静化を図るのも、議論のスマートな進め方と言えます。私は嫌ですが。
 
 
 5月12日の記事。で、今日は7月13日です。このブログも無事1周年を迎えました。開設後10日で閉鎖を考えましたが、今日を迎えられてよかったです。
 上のような人には近寄らない方がよいのはもちろんですが、突撃してこられたらどうお引取りいただけばよいやら。ブログだと戦うか閉鎖かになってしまいます。