ホツマツタヱ。様 「いじめは"ヒト固有の行動"ではない。
 
 この記事で取り上げられている
「ヒトはなぜヒトをいじめるのか」(ブルーバックス)
という本を私は持っているのですが、動物の世界におけるいじめ行動も紹介していて、
「なぜヒトだけにいじめがあるのか」
というキャッチフレーズとの違いを不可解に思ったものです。
 前にウィリアムズ症候群の関連書籍 として紹介してもらった
「子どもはことばをからだで覚える」(中公新書)
の著者と同一人物なのですが、印象深いタイトルをつける人なのでしょう。
 最初の数行がこうです。
 
 ヒト以外の動物の世界に「いじめ」は存在しない。
 もちろん、縄張りやメスをめぐる同種間の争いは絶えない。そもそも何のために仲間同士で闘争を繰り返すのかといえば、生きていくための動物の本能だから である。より強い個体が弱い個体を排除することによって、集団の規律が保たれてく。淘汰されることで、個体群が維持される。
 
 それっていじめではないのかという気はしますが、この辺はいじめの定義をどう取るかによるのでしょう。ヒト特有のいじめをいじめと定義づけるならいじめはヒトにしか存在しないことになりますが、それでは言葉遊びの範ちゅうです。
 よくいじめられた側にとってはいじめで、いじめた側にとってはいじめではない、ということが言われますが、他人の文章を読む時は相手にとっての言葉の定義を読解しないといかんのだろうなと思います。私はなかなかそういうのは苦手なのですが。
 
 この本の主旨はそういう生物学的なことではなく、最後の数行に集約されます。
 
 そこに根本的に欠如しているのは、「多様であること」への不寛容であり、この不寛容は「周囲と同質でないこと」への恐怖への裏返しにほかならない。結局 それは「一人でいること」をストレスとしかとらえられない人間の弱さだろう。-一人力を養う-いじめの克服は、究極的にはここに尽きるのかもしれない。
 
 学校だと班や行事があったりして集団行動が避けられないのが大変なのですが、大人になれば自分の性質を把握した上で
「1人でできる仕事を選ぶ」「得意分野を職業に活かす」
でも生き延びることはできます。そのための方法や精神的自立が、学校で学べないのですが。
 
 
 8月29日の記事。最近は殴られたら殴り返せはいかん、ということになって、いじめられている子供にうまく立ち回って空気読んでいじめをかわす技術を身につけろだそうですが、それができれば最初からいじめられないって。できないのはいじめられる方が悪いとかでふざけんなよ。何でいじめる側の安全だけが保障されているのだ。人をいじめる以上100倍になって返ってきても文句言う資格はない。それができないんだったらいじめるな。
 説教カルタ に登場した「瑠璃の爪」は、昔少女雑誌に読み切りで掲載された漫画です。作者は、「日出処の天子」の作者でもある山岸涼子です。
 オープニングでいきなり妹が姉を殺害し、後は周囲の証言によりストーリーが進むという珍しい構成でした。最初はあんなよい姉に何てひどいことを、な証言が中心でしたが、少しずつ姉の妹に対する「悪気」を口にする人が出てきて、最後に妹の告白となります。
 セリフ中心なので、わかりづらいところがありました。
 
 間もなく、単発の2時間ドラマとして映像化されました。姉が妹を殺害(ドラマでは姉と妹の役割が逆)するシーンがラストに置かれるオーソドックスな構成に変更されましたが、お陰で漫画よりはわかりやすくなりました。
 雑誌ダカーポ の特集で、多くの連続ドラマを差し置いて、その期のドラマ第1位として紹介されました。確かに面白いストーリーではありましたが、内容は暗いし救いがないし、自分に姉妹がいないため感情移入しにくく、なぜそんなに絶賛されたのかわかりませんでした。
 
 私は、親子兄弟配偶者の場合は、どんなに口うるさくても説教族の範ちゅうには入れないことにしています。扶養義務があるからです。
 思いつきのアドバイスをするだけで、うまくいけば自分のお陰、いかなければ相手のせい、その結果相手を破壊しても、金銭的にも精神的にも負担を負うことなく、逃げだして非難していればいい立場とは全く違います。
 
 その意味で、医師や教師、場合によっては警察官という立場の人も説教族には入りません。彼らは職務を全うしているだけだからです。
 そういった人たちが説教してもいいということではなくて、私の言葉へのこだわりだと思って下さい。また、他の人にそういう意味合いでの使用を強制するものではありません。
 
 だから、上の漫画の被害者である姉も、説教族とは思いませんが、無意識に相手を貶め、自分の評価を上げようとする、善意の皮を被った悪意、優越性への執 着、がテーマの作品だったのだなと思い出し、カルタに参加させました。本当は、「る」が思いつかなかったからなんですが。
 
 
 8月16日の記事。今日は9月1日です。何もかもが通常に戻ったという感じがします。
 ブログ初期に、考え方を変えれば全て解決論法というのがありました。こう書くとそういう意味ではないと言われそうなので、
「考え方を変えれば解決する部分もあるかも知れないと期待する価値はあるという気概が欲しいということです」
論法くらいの意味だと思って下さい。自己啓発本にも、考え方を変えると人生が変わる的なことが書いてあるので、ポピュラーな話なのでしょう。
 
 あれから4年、私の考え方は相変わらずネガティ部だし、気に入らないコメントは削除するし、執念深いし、定型発達者の言葉づかいは変です。
 変わったのは知識が身についたことです。定型発達者はこういう理由で変な言葉を使うのだ、理由わからないのもあるけどとにかく変なのだ、それを理解してあげないといけないのだ、というような。こう書くと
「反省がない」「人を責める前に自分が改めるべき」
と襲撃されそうです。かといって
「理解して欲しい」
と下手に出ると甘えだ甘えだ攻撃されるので、まともに受け取っていられません。
 
 考え方を人工的に、強制的に変えるのって、人格破壊につながったりしないのでしょうか。それを連想させるコメントをいただいたこともあります。自分で自分を否定し続け、自分の考えを押し殺し、他人を肯定し続けなければならないのは辛いことです。
 自分よりがんばって社会適応している人を甘えだ甘えだと攻撃することが正しい考え方だとしても、とても受け入れがたいものです。そういう恥ずかしい人がこの世にいるんだということはわかりますが、私にはそんなみっともないことはできません。
 
 変えなくてもいいんです。違いを理解して対処していければ。大した知識ではありませんが、知識は力です。ここは変えた方が楽だなと自分が思えばそうすればいいし、相手を不快にさせるようなことは学んで控えればいいのです。ブログでは控えませんが。
 
 
 8月15日の記事。選挙速報を延々と見ようと思ったら、冒頭から「民主党圧勝」が流れて楽しみがありません。見ていますが。
 いつか書いてみたかった言葉です。リアルでも言われましたが、ネットでも近いことを言われました。要約すると、
「事情があって理由は言えないけれども、私があなたを殴るのは正当な行為である」
という意味です。これだとさすがに要約に悪意ありすぎですが。
 
 言えないことなら証言としては無効なんだから錦の御旗に振りかざすなよ、と思うのですが、リアルで言われると自分に非があるような気分にさせられます。この
「自分に非があるような気分にさせられる」
というのは、今後の説教族研究において重点を置く1つとしたいところです。
 
 後々思い出すと、その人も大したネタは持っていなかったのだろうと推測します。
「自分の方がすごいんだぞ」
と見せかけて、主導権を取るためのテクニックです。
 
 ハッタリであることを知っていて使いこなしているのかと思ったら、どうも
「他人は自分より物事を知らない」「自分が知っている世界が最も広い」
と考えるのがデフォルトのようです。
 自分だけが正しいと思うのは邪悪なことである、と散々怒られると、
「自分が間違っているのではないか」
がデフォルトになって混乱をきたしますが、ひどくなると神経症です。
 
 そこで勘違い論 です。
「この人は何か勘違いしているのではないか」
という呪文を唱えることにより、視点を相手から自分に戻すのです。
 相手の視点にフォーカスすると、自分が間違っているのではないかという思考に陥りますが、特に仕事上では一瞬たりともそういう隙を見せると無実の罪を着せられます。聞いていないこと、やっていないことなら毅然としなければなりません。
 
 たいていの人は表面上の態度はどうあれ、自分が一番正しいと思っています。こちらもそう思いこまないと、何もかも信じられなくなり、今立っている地面すら崩壊してしまいます。
 
 参考記事: とらわれる心  絶対非を認めない
 
 
 8月14日の記事。アメーバのトップページの調子が悪いので、無事投稿できるか心配です。
あ 甘えだ甘えだあ前田隊
い 今に誰にも相手にされなくなるよ
う うぜー私はこうしていますよ
え 偉い私の言うことを聞け
お おままごとでママの役やってみたい理論
 
か 鏡との戦い
き 気概が欲しいということです
く 空気読め読め読め読めよ
け 欠落には理解か努力か
こ 行動と心情
 
さ 最後にこれだけ言わせて下さい
し 主語があなた
す すぐばれる自作自演を指摘されたら逆ギレ記念日
せ 説教する弱者
そ それはそういうことではないと思います
 
た 誰でも同じだ攻撃
ち 中庸を取れない
つ 強くならなければならない
て 手間のかかる料理ほど愛情がこもっている
と 努力が足りない努力努力努力
 
な 殴られたら殴り返せと言われて本当に殴り返すとこっちだけ悪者
に 日本語はどうとでも取れる構造をしている
ぬ ぬらりひょん
ね ネガティブな他者認識
の 呪いの予言
 
は 働いていない人が働いている人を怠け者と説教
ひ 否定されると死んじゃう病
ふ 文化に優劣はあるのか
へ 平気で嘘をつく人たち
ほ 母乳でないと駄目だという人は自分の子供をミルクで育てた
 
ま 真綿で首を絞められる
み 見ていないものは存在しない
む 無意識の卑劣
め メモを取らないからいけないのです
も もっとがんばればできたかも知れないのに
 
や 優しさとは厳しいことなのです
ゆ ゆうことを聞かないと駄目な人間になる
よ 弱そうな人を見つけるとうれしそうに寄ってくる
 
ら 乱暴はやめてと下手に出るとこいつらつけ上がるし
り 理解して欲しいならまず自分が理解することです
る 瑠璃の爪
れ レコーダーで録音すればよいのです
ろ 録音を書き起こしても意味の通る文章になりにくい
 
わ 私は人事担当者
 
 中には思いつかなくてやけになっているのもありますが、カルタが作れるほどネタがあるとは、説教界の闇は深いです。
 
 
 8月9日の記事。「き」「し」「せ」「そ」は激戦でした。