ここ1週間ほど、コメントのことか野球のことしか書いていませんでした。書くと予告しておいて書いていないこともあるし、いい加減次の話題に移らないとですが、この問題を自分なりに解決しないと、またすぐ同じことが起こりそうで通常モードに戻れません。ダジャレを言わなければ いいのですが、そう思おうとすると
「今度はこんなことが」「あんなことが」
とグルグルモードが始まります。(こうして書くとうざいなこいつ)
 
 そこで、今度はこんなのを「初めての方へ」に置こうとしているのですがどうでしょう。傲慢そうですが、コメント削除よりましかなと。なお、ご意見は私とのやり取りに慣れた方のみお願いします。
 
 下記のような言葉は私の受け取り方では負担になるので、コメントいただく時に含めないようご協力お願いします。
・それはそういう意味ではないと思います。
・これはこういうことです。
・こうすれば(こう思えば)いいんですよ。
・誰でも同じです。
・もっと大変な人はいます。
・負担になるようでしたら削除して下さって結構です。
 
 完全ではないのですが、
「批判しないで下さい」「否定しないで下さい」
よりは意味が共有しやすいのではないかと考えました。初めて来ていきなり見るとやな感じですか。
「これはこういうことです」
代名詞だけで表現すると、いろんな文章に当てはまりそうで微妙です。
 
 
 10月3日の記事。内容が内容なので写さずスルーしたのですが、やっぱり写します。顧問のご意見。
ちょっちぷんさん
「…考えれば考えるほど難しいですね。個人的には書いてあると慎重になれるのでありがたいです。確かに意味も共有しやすいし、ポイントが絞られていてわかりやすいです。初めてあったときに書いてあったら自分がどう感じるかは想像がつきません。多分、かなり慎重に半年ほど会話をロムると思いますが…。傲慢な感じはしないような気がします。」
わたりとりさん
「逆燐フレーズ」って記事タイトルにウケました。しかも私、一番下のフレーズ常習犯だったし(笑)確かに、具体的な箇条書きのほうが意味は共有しやすいです。初コメントしようとするかたにとって、コメントの敷居がだいぶ高くなりそうですが・・・「このハードルを乗り越えてでもコンタクトしたい」と思ってくれる人とこそ交流したい、というchargeupさんの意思表示としては、適切なリードではないでしょうか。
 駅でタクシーを降りたマイコは書き写しておいた住所を元に、ハヤミがゴミ箱に捨てた(と思われる)チラシのピンサロを探した。地図でなく住所を元に探すのは難しい。道行く人にも聞けない。
 金曜夜の大都会。帰宅時につく人が駅に向かって歩く中、マイコは反対方向に進んだ。
(うちの田舎の住所ならもっと簡単なのに。何でこんなに並びが難しいの)
入り組んだ道の中をさまよいながら、マイコは携帯の電源を切っていたことを思い出した。時間は9時を過ぎている。恐る恐る電源を入れ、ヤマザキに電話した。
「君か」
「事件はどうですか」
「今のところ何も起こっていない」
「そうですか」
「こちらが警戒しているのに気づかれたんだろう。客も入れていないしな」
携帯の向こうから、パトカーのサイレンが聞こえる。同じ音がこちら側でも聞こえた。ヤマザキは近くにいるのだろうか。
 
 何かが破裂するような音がした。携帯からか、それともこちら側でか。周りを見る。前も左右も後ろも上も下も。
 人の波が途切れる。ゆっくりと、映画のスローモーションにように。知っている人の姿。映画のようなせん光。
「もしもし、今どこにいるんだ」
声のする携帯電話が手から滑り落ちる。人の波が止まり、輪ができる。見ては、いけない。
 
 
 筆力不足を補うイメージシーン。後でどうにでもなるように。さて、マイコは何を見てしまったでしょう。
1 ピンサロから走り出るイズミ
2 ピンサロの前に立つハヤミ
3 ピンサロに入っていくノボル
 
 
 10月7日の記事。このシリーズ、Yahooで投稿する時は別に恥ずかしくないのですが、アメブロに写す時なぜか気恥ずかしくなります。本編でそんなこと書いていないのにすっかりピンサロ通いキャラになってしまったノボル。それはコメント欄で別なストーリーが展開しているからです。という訳で妄想コメント欄を写しておきます。作者は私ではありません。念のため。
 
「ステファニー!」
何やら源氏名らしき名前を叫びながら,サングラス姿のノボルが,炎渦巻くピンサロに転がり込む。やがて,気絶したバドガールを担いだノボルがよろめきながら現れる。たちまち機動隊に包囲される二人。ノボルはバドガールが白いロングブーツに挟んでいるドイツ製手榴弾を引き抜き,安全ピンに手をかける。
「バカヤロウ,バズーカを室内で撃つ奴がいるか・・」
警官隊に投擲しようとするノボルの手を手榴弾ごと握り締めるバドガール。
「何するんだ,死にたいのか,ステファニー!」
「・・・ステファニーじゃないわ,イズミよ・・」

 この続きはいかに。
 このネタで書くと宣言しておきながら、コメント問題や阪神タイガース問題で延び延びになっていました。宣言したことも忘れられていそうですが。
 
 言葉に罪はありません。誰かから発せられようと価値は同じ、はずなんですが、同じことを言われても、自分が信頼している人と知らない人では全く違います。
 極端なことを言えば、同じ
「愛している」
でも言ってくれたのが好きな人と嫌いな人では正反対になるくらい受け取り方が違います。
 
 そこまではいかなくても、例えばフリーターがニートに
「ちゃんと就職しないと、将来のことどう考えているの」
と説教されたら、かなりカチンとくるのではないかと思われます。
「お前が働け」
と逆に説教したくなります。このニートに
「正論を言っただけなのに感情的な反応をされた、自分はものを伝えるのが下手だ、論理的過ぎるからいけないのだろうか」
などと悩まれると、自分のことを棚に上げて理不尽な怒りに捕らわれます。
 
「あなたには言われたくない」
 こういうことは、口にすると
「相手がどうあれ、本当のことだと思うなら受け止めないと」
と心がけが悪いように言われ、たちまち説教族の餌食です。ほとんどの人はそのことを言わないため、こんな心がけの悪いことを考えているのは自分だけだと思っていました。
 
「あなたには言われたくない」
 その人だから、というだけでなく、そう感じる時の、相手の言葉は、正論かも知れないけどどこかの本やネットから引っ張ってきたみたいですごく表層的です。私が尊敬している人なら
「ちゃんと就職しないと、将来のことどう考えているの」
とは言わないと思うからです。そういう内容を伝えたいとしても、そんな表層をなでつけた表現は使わない、はずです。
 ブログ上でも「師と仰ぐ」「父と仰ぐ」人と出会うのは可能ですが、それは仰ぐ側が決めることで、仰がれる(?)側が自分を師と仰ぐよう強要することはできません。それこそ

「あなたには言われたくない」
 私は説教する人を全く尊敬していないので聞く耳持ちません。すごく普通だと思うのですがそれがなぜいけないことのようになったのか(説教する側の自尊心がされる側の自尊心よりも保護される構図→批判する側の権利がされる側の権利よりも保護される構図 )と考えると、また次の話題が広がります。
 
 
 10月4日の記事。ニートにも事情や生き方はあるでしょうからそれを否定はしませんが、説教されると頭にきます。同様に、他人に甘えて生きている人間に
「怠け者」「甘えだ」
と説教されると頭にきます。お得意の気概で他人に甘えず生きる努力をして欲しいものです。
 男性はトラックバック派が多く、女性はコメント派が多いというリサーチ結果 は無理やりまとめた感漂いますが、コメント派とトラックバック派は確かにいそうです。
 Yahoo以外のブログに自分から近づく時、私にとってはですが、コメントよりトラバの方がハードル低いです。
 
 私は自分がブログを続けるために、心理的に負担になるコメントを消しています。これは本当に申し訳ないことで、今後考えないといけないと思っています。
 内容によっては、せめてトラックバックにしてくれと言いたいことはあります。言えないのは、今までトラックバックで嫌な思いをしたことがないとはいえ、今後も絶対ないとは言い切れないからです。自分のプライバシーを暴こうとするような記事や名指しされて罵詈雑言だったらやはり嫌です。
 こういう内容はいいけどこういう内容は駄目と、コメントならまだしもトラバに規制かけるのはどうかということで、あまりこの件には触れませんでした。
 
 今、阪神タイガースの逆転優勝の件で(1人で)盛り上がっていますが、コメント欄で
「数字的に不可能です」
とその根拠を語られると、正論でもムカつきます。しかしブログ回りをしていてそういう記事を見ても別に腹は立ちません。なるほど、それはそうだよな、と思います。
 その記事がトラックバックされたら、
「このトラックバック先の人はこんなことも知らないで馬鹿だアホだ」
と書かれれば嫌ですが、世間一般に向かった内容であれば、気になりません。というか、野球関連の記事やコメントで嫌な思いをしたことはまだありません。趣味が同じだからですか。
 
 内容が自分個人に向かうか世間一般に向かうかの差は大きいです。私がOJTより集合研修が得意なことと関係あるかも知れません。
 トラバにはスパムや、あまり愉快でないもの、記事と無関係なものも多いですが、面白い出会いもありました。来たれ、トラックバック、と言い切れないところが気の弱いところです。
 
 
 9月29日の記事。今日からアメブロに、噂の足跡機能「ペタ」がつきました。(ベタ)
 mixiのように必ずつく訳ではなく、Yahooブログのようにログインしていると自動的につくが削除も可、というのでもなく、
「つけないとつかない」
何だそれは。すごい反対論多かったからこんな半端な機能になってしまったのでしょうか。
 ペタは管理画面から見ることができるのですが、まだ誰もつけてくれていません。つける訳ないだろ。むしろつけたらYahooでいう宣伝厨かと思うぞ。(すみません、思いませんのでどなたかつけてみて下さい)
 実はこの問題、現実世界では馬鹿になりません。いつも人の輪から外れてしまう私もダジャレを言えば一時的に人気者(勘違い)になったりして、うれしくて同じことを何回もやってしまうのです。小学生ならまだしも、社会人になっても。時と場所も当然選びません。
 
 周囲の視線は学生最後の年と社会人1年生とで一変します。苦笑いが集団般若と化します。無礼講すら本気にする私は何度も場を凍らせ、こっぴどく叱られました。こういう場でそのようなことをするのはいけないのだなとひとつひとつ学んでは、R氏のように
「いやぁ、勉強になりました」
などとのんきなことを申しておりました。前向きな発言で向上心と打たれ強さを自己PRしているつもりが、相手の神経を逆なでしていたとも知らず。
 
 自分がよくない部分を直して成長したつもりでも、周囲はインパクトある事件を決して忘れません。1回やったら終わりです。骨の髄からとんでもない人レッテルを貼られます。
「知識がなくて知らなかった」
とは受け取ってもらえません。私の家の者は
「そんなことは普通、DNAに刻まれている」
と表現しましたが、うまいなと思いました。
 
 1回やったらというのは正確ではなくて、別な種類のとんでもないことを何回もするので
「いつもとんでもないことをする人」
になってしまうのですが。私は誰でも失敗から学ぶ、社会人1年生の間は失敗があって当然、失敗から何を学ぶかが重要、とマニュアル本に書いてあることを信じました。毎日が成長の連続だ、とお間抜けな勘違いをしながら。
 何年も経って仕事で実績を上げても、昔の話で笑い者になり、後輩の前で恥をかかされるのは惨めでした。場面によって態度や話し方や内容を使い分けるような器用な真似はできないので、いつもくそ真面目で通すのが無難です。
 
 ダジャレよさようなら。(できるか?)
 
 
 9月28日の記事。ダジャレを言うからには他人の冗談やからかいをかわす能力が必要です。かわす方は全然駄目だ。アメブロは明日早朝またメンテナンスやるそうですが閲覧もできなくなるというのは何とかならないものでしょうか。