実はこの問題、現実世界では馬鹿になりません。いつも人の輪から外れてしまう私もダジャレを言えば一時的に人気者(勘違い)になったりして、うれしくて同じことを何回もやってしまうのです。小学生ならまだしも、社会人になっても。時と場所も当然選びません。
周囲の視線は学生最後の年と社会人1年生とで一変します。苦笑いが集団般若と化します。無礼講すら本気にする私は何度も場を凍らせ、こっぴどく叱られました。こういう場でそのようなことをするのはいけないのだなとひとつひとつ学んでは、R氏のように
「いやぁ、勉強になりました」
などとのんきなことを申しておりました。前向きな発言で向上心と打たれ強さを自己PRしているつもりが、相手の神経を逆なでしていたとも知らず。
「いやぁ、勉強になりました」
などとのんきなことを申しておりました。前向きな発言で向上心と打たれ強さを自己PRしているつもりが、相手の神経を逆なでしていたとも知らず。
自分がよくない部分を直して成長したつもりでも、周囲はインパクトある事件を決して忘れません。1回やったら終わりです。骨の髄からとんでもない人レッテルを貼られます。
「知識がなくて知らなかった」
とは受け取ってもらえません。私の家の者は
「そんなことは普通、DNAに刻まれている」
と表現しましたが、うまいなと思いました。
「知識がなくて知らなかった」
とは受け取ってもらえません。私の家の者は
「そんなことは普通、DNAに刻まれている」
と表現しましたが、うまいなと思いました。
1回やったらというのは正確ではなくて、別な種類のとんでもないことを何回もするので
「いつもとんでもないことをする人」
になってしまうのですが。私は誰でも失敗から学ぶ、社会人1年生の間は失敗があって当然、失敗から何を学ぶかが重要、とマニュアル本に書いてあることを信じました。毎日が成長の連続だ、とお間抜けな勘違いをしながら。
何年も経って仕事で実績を上げても、昔の話で笑い者になり、後輩の前で恥をかかされるのは惨めでした。場面によって態度や話し方や内容を使い分けるような器用な真似はできないので、いつもくそ真面目で通すのが無難です。
「いつもとんでもないことをする人」
になってしまうのですが。私は誰でも失敗から学ぶ、社会人1年生の間は失敗があって当然、失敗から何を学ぶかが重要、とマニュアル本に書いてあることを信じました。毎日が成長の連続だ、とお間抜けな勘違いをしながら。
何年も経って仕事で実績を上げても、昔の話で笑い者になり、後輩の前で恥をかかされるのは惨めでした。場面によって態度や話し方や内容を使い分けるような器用な真似はできないので、いつもくそ真面目で通すのが無難です。
ダジャレよさようなら。(できるか?)
9月28日の記事。ダジャレを言うからには他人の冗談やからかいをかわす能力が必要です。かわす方は全然駄目だ。アメブロは明日早朝またメンテナンスやるそうですが閲覧もできなくなるというのは何とかならないものでしょうか。