前の記事でも引用した、自尊感情の説明。

 
私は私、どんなに黒い部分やよどみやゆがみを持っていても良い、そのままの私で良い。
 
これが可及的速やかに説教されそうなのは、どんな悪いことをしても構わない、という意味に見えるからです。
 
 何かの弾みで「まずは努力しないと」系の文章を見てしまい、
「自分は駄目なんじゃないか、間違っているんじゃないか、劣っているんじゃないか」
と動揺することはあります。いや、大丈夫、自立して働いているし、人様から怠け者とののしられるようなことは何ひとつないはず、と立て直そうとしても、闇から聞こえる幻聴様のお声。
「ハーモニカが吹けないのも100メートルを10秒で走れないのも、郵便ポストが赤いのも電信柱が高いのも、そう思いこんでいるからだ」
「努力し続けなければならない」「向上心を持ち続けなければならない」
「ポジティブでなければならない」「昨日より今日が勝っていないといけない」
「できないことはできるようにならないといけない」
世界が終わるまで、ずっとずっと。タチドマッタラ、ホロビル。
 
 30歳まで症候群 の頃、日○ウーマンを立ち読みしては
「30歳までに、留学してMBA取って転職して独立して起業して結婚して出産してマンション買ってボランティア活動に励まなければならないのではないか」
「同世代より年収も貯金も少ない」
とあせっては習い事をしてみたり変な異業種交流会に出てみたりしました。
 
 私の友人で、同級生でも珍しく、新卒以来1度も転職経験のない人がいます。20代の頃は特にキャリア志向でもなく、何事に熱くなる訳でもなく、向上心なさそうに見えましたが、同期男性よりは遅くても着実に年収も肩書きも上がり、そこそこ趣味も楽しむ生活をしています。今となってはうらやましいです。
 
 夢や目標を持って死に物狂いで努力する人生もいいけれど、誰かに(無意識でも)押しつけられるものであったら、失敗した時全てを失います。外野は無責任です。
「努力しないと始まらない」
と語りつつ、大学受験で3浪したり司法試験10年受け続けたり(今はできないんでしたっけ)いつまでもフリーターだったりすると、手のひら返して
「夢ばかり見ているんじゃない」
とお説教を始めます。
 ハーモニカ吹けないのは努力が足りないからだ、と私に言う人は、私が半生をハーモニカの演奏に費やし、進学も就職もせずニート化したらどういう説教を投げかけるのでしょう。
 
 先の友人は
「結婚したーい」
と言いますが、結婚相談所に入会している訳でも見合いしまくっている訳でもありません。
「あなたは結婚したいと言っているけど、具体的には何もしていませんね。本当に努力している人に失礼ですよ。都合のいい時だけ非モテ女というのはひきょうですよ。結婚しようという気概が欲しいということです」
と説教されたとしても
「そうですね、フフフッ」
と流してしまいそうです。
 
 こうありたいものです。自分をしっかり持って、自然体で。ああ、自然体と言えばいいのですね。
「そのままの私でよい」
ではなく。私の好む言葉は説教されやすいので、受け入れられやすい言い回しに換えないといけません。自然体。能天気 と同じかほりがします。
 
 
 3月14日の記事。自尊シリーズ第2弾。しまった、
「私の周囲の人は『必要な時だけ』私に見合いを世話してくれます」「そんな都合のいい世界はありませんよ」
が入ってなかった。
 ホットなテーマ、自尊感情ですが、ちょっちぷんさんの記事「がぶりと食いつくはなし 」の説明から引用。
 
私は私、どんなに黒い部分やよどみやゆがみを持っていても良い、そのままの私で良い。
 
これは可及的速やかに説教されそうです。→努力を放棄している、うがー。
 癒し系の書籍にも
「あなたはそのままのあなたでよい」「ありのままのあなたを受け入れよう」
と書いてありますが、そうか、ありのままの私でいいのか、などと本気にして、
「私はこのままの私でよい」「ありのままの自分を受け入れたい」
などと語った日には大変なことになります。
 
 かと言って、自分は駄目だ系の文を書くと
「もっと大変な人はたくさんいる」「誰だって同じ」「努力が足りないからだ」
となります(コメントにうるさくなる前の話です)。どうしろっちゅうねん。何を書いても誰かしらに文句言われるのは非常に困ります。逆に言えば何を書いても賛成の人が誰かしらいる訳です。
 
 まとまらないので思いつきをメモ。
 
1 自分で言うのは駄目、他人が言うならいい。
 
2 伝記(他人が書く時) 「様々な苦労を乗り越え不屈の精神と努力で成功をつかんだ」
 
3 自伝(自分で書く時) 「周りの人に恵まれた、運がよかった、運命に感謝している」
 
4 自分のことはけなさないといけない(謙遜)。
 
5 他人のことはほめないといけない。(お世辞)。
 
6 他人が謙遜したら、または自分に対してお世辞を言ったら、それを否定しないといけない(否定会話ルール)。
 
7 本当は自分に対して失礼と言いたいであろうに「○○に失礼ですよ」と全然関係ない人を引っ張ってくる話法。
 
8 自分をほめたい時に、自分より劣った他人を説教する話法。
 「私も○○ができなかったけど努力してできるようになりました。努力すればきっとできるようになります」
 
9 わたりとりさんとこのコメント欄にあったウィキペディア より。
 「根性論を自身を鍛えるために用いるのは当人の自由ではあるが、他人に苦労を強いるために用いるのはいささか問題がある」
 
10 ×「私は努力と根性でこんなにできるようになりました」
 
11 ○「私は努力と根性でこんなにできるようになったので、あなたにもきっとできます」
 
 
 すごく形而上な秘密が隠されている気がするのですが。日本人にも自尊感情はあるのです。ただとても難しい育ち方をしている、だから自尊感情がうまく育たない人というのも出てきそうです。
 
 
 3月12日の記事。自尊シリーズのスタート。セルフエスティームは精神の安定にも重要です。
形而上(けいじじょう)
1 形式を離れたもの。抽象的なもの。無形。
2 時間、空間の感性形式をとる経験的現象として存在することなく、それ自身超自然的であって、ただ理性的思惟に、または独特な直観によってとらえられるとされる究極的なもの。   (広辞苑第四版より)
 
 広辞苑から面白い言葉を選んで五十音順にタイトルにするシリーズ第9弾。ですが、のっけから、さっぱりわかりません。かろうじてとっかかれそうなのが、形而上学の説明としてある
 
現象を超越し、またはその背後に在るものの真の本質、存在の根本原理、絶対存在を純粋思惟により或いは直観によって探求しようとする学問。神・世界・霊魂などがその主要問題。
 
の部分です。ちょっとオカルトっぽいけど。異文化交流議論でも形而上学的にアプローチする(よくわからないまま使う)こともあります。哲学の一分野でしょうか。
 よくわからないくせになぜをこれを取り上げたかというと「気分は形而上 」という哲学系ギャグ漫画を思い出したからです。普通に面白かったけど、こんなことならもっと哲学的視点で読んでおけばよかったです。
 
 而なんて字、他の日本語でもあるでしょうか。検索すると、人名、建物名、会社名が並びます。その中、孔子の言葉として有名な
「学而時習之」
がありました。書下し文。
「学びて時に之を習う」
而はどこに? 漢文なんて真面目にやっていないから忘れちったぞ。他の漢文にも出てきますが、反語っぽく使われている文もあります。andとbutの両方の意味があるような。而単独では広辞苑に載っていなかったので、Yahoo辞書 へGO。
 
しか‐も【▽然も・×而も】
1 前述の事柄を受けて、さらに別の事柄を加えるときに用いる。
2 前述の事柄を受けて、それに反する帰結を付け加えるときに用いる。
 
 あ、しかもか。確かにandとbutの両方の意味がありますね。形而上。形しかも上。超心理学(超能力研究)みたいな感じで、超形式的とかそういうことでしょうか。ウィキペディアの説明 にもありましたが、翻訳語のせいか日本語の語感と意味がちょっと合わないですね。
 形のないものと考えればよいのでしょう。(簡単すぎ)
 
 
 3月11日の記事。異文化交流議論が落ち着くまでは(当分落ち着かないな)他のシリーズが盛り上がりませぬ。アメーバニュースの中の人ははてブ好きなだけでなくトシちゃんも好き なようです。(まさか私か?)
 いじめられたり挫折したりした人を
「強くなれ」
と励ますことはおそらくあるんだろうと思います。漫画でそんなシーンを見たし、ネット上でも
「弱い人間は強くならないといけない」
という文を見かけることがあります。私は
「大人になれ」
と言われたことはたくさんありますが
「強くなれ」
と言われたことは、意外にありません。外から見ると言いたいこと全部言ってやりたい放題に見えるからでしょう。
 
 強いという言葉からすぐ連想するのは腕力の強さですが、成熟した社会においては腕力の強い人間が弱い人間を支配するのはよろしくないこととなっています。積極的に腕力を磨くことも、目的が喧嘩に勝つことや弱い人間を支配することである場合、あまり感心されません。一般的に
「強くなれ」
という言葉は、体力や腕力よりは精神的な強さを指すと考えられます。体力は生きていく上で大事な要素ですが、腕力と同じく個体差がある程度許容されています。
 
 精神力の方が、体力や腕力よりも簡単に強くなるかのように世間に解釈されているようですが、体力や腕力の方が、強くなれる方法をあれこれ思い浮かべることができます。プロテイン飲むとかスポーツクラブに通うとかジョギングをするとか。
 精神力を強くする方法というのは、気概が欲しいということです並の胡散臭さです。どんな方法があるだろうと想像すると、滝に打たれる、「アストロ球団」や「ガラスの仮面」で名高い山ごもり修行、
「強くなるぞ、強くなるぞ、もっと精神的に強くなるぞ」
と駅前で連呼する謎の集団、などが浮かびます。
 
 いじめられていて強くなれ、と言われていじめっ子に転じたら、そういう意味じゃないと怒られそうです。そういえば、殴られたら殴り返せと怒られて本当に殴り返したら私が悪いみたいに言われたものです。
 私が極端から極端に走りすぎなんですけど、どう中庸を取るんでしょう。もしや我慢強くなれという意味でしょうか。殴られても蹴られても暴言浴びせられても、どんな辛い仕打ちにも耐えてじっと我慢。
 
 それ説教族というか、何らかの支配者側の都合ではないんでしょうか。いじめられてくれて、抵抗せず、壊れもせずにいてくれたらそれは都合いいでしょう。安月給でいくら働かせても文句ひとつ言わず過労死もしないサラリーマンのように。壊れてしまったら
「弱いからだ。弱い人間は強くならないといけない」
ともっともらしいことを垂れていればいいのでしょうけど、日本人は元々我慢強いんだから我慢を重ねて壊れてしまう方が深刻です。
 弱い方が強くなるより強い方が弱くなる方が平和だし実現性高いのではないでしょうか。いびったりいじめたりする人間がいるから強くならないといけないので、そういう人間が弱くなってくれれば何の問題もありません。駄目ですか。駄目っぽいですね。
 
 強弱論争には、弱い人間がより弱い人間に
「もっと強くならないと駄目だよ」
と言ってみたいという、アタシだっておままごとでママの役やってみたい理論(適当な命名)も関連しているのでそう単純にいかないのでした。
 私はおままごとではいつも子供の役でした。ママ役ってどうしていいかわからないのです。子供役はボケッと座ってママの言う通りにしていればよかったので楽でした。
 
 
 3月9日の記事。Yahooで傑作が5つ入りました。精神的な意味での「強くならなければならない」というのは自分に対してならいいけど、他人に対して言うのなら、お前はどれくらい強いんだよ、証明してみろ(説教族用語)という感じです。キリがないので強いアナタに弱くなっていただきましょう。
 聞くところによると、世の中的には、請負なのに派遣のように働かせる偽装請負(偽装派遣?)というのが問題になっているそうです。請負よりも派遣の方が労働者にとってはよいということのようです。
 
 会社が請負契約した他社の仕事の実施要員という働き方は、契約が守られる限りは、私のような性格の人に合っています。
 通常OJTで仕事を教える時は、まず大ざっぱに教えて、やらせてみて、その様子を見ながら修正させるという手順が取られます。しかし以下の2つの理由で、私には厳しいものがあります。
 
 
1 大ざっぱに教えられただけではできない。
  例:僕の歩く道第1話 のように、ほうきを渡されてこの辺を掃除して、だけだとわからない。どこをどう掃除するんですか、と聞くと怒られる。
 
2 ちょこちょこ注意されると混乱し、畏縮もする。注意されるのが怖いので、先にこういう時はどうすればいいんですか、こんなことがあったらどうするんですか、と聞くと怒られる。
 
 
 派遣だと、派遣先の指揮下で働くのでOJTになることが多いのですが、請負だと、客先常駐で働く形でも、客先は業務の指揮命令、労務管理をしてはいけないことになっています。業務の方法、完成形、期日が事前に提示され、それをまっとうできさえすれば途中途中で細かいことは言われない、はずです。
 一切指示を受けずにその仕事ができないといけませんから、事前の業務打ち合わせは入念に行われ、細かく指示を受けられ、質問もバンバンできる、はずです。
 
 客先に常駐するのは自分1人ではなく、多人数がリーダーつきで送りこまれる形だと、リーダーが指揮命令と労務管理をするのでそううまくはいきません。しかし偽装請負と呼ばれるものの多くは客先から業務の指示を受けており、いわゆるリーダーつきではありません。
 今後は一般事務でも派遣から請負にシフトしていくでしょう(正社員にシフトする可能性もある)が、請負には請負のよさがあるのでしっかりルールが守られ、労働者が派遣に比べ不利にならないように法制度が整っていくことを期待します。
 
 
 3月7日の記事。非正規雇用は不安定で厳しいですけどね。