いじめられたり挫折したりした人を
「強くなれ」
と励ますことはおそらくあるんだろうと思います。漫画でそんなシーンを見たし、ネット上でも
「弱い人間は強くならないといけない」
という文を見かけることがあります。私は
「大人になれ」
と言われたことはたくさんありますが
「強くなれ」
と言われたことは、意外にありません。外から見ると言いたいこと全部言ってやりたい放題に見えるからでしょう。
 
 強いという言葉からすぐ連想するのは腕力の強さですが、成熟した社会においては腕力の強い人間が弱い人間を支配するのはよろしくないこととなっています。積極的に腕力を磨くことも、目的が喧嘩に勝つことや弱い人間を支配することである場合、あまり感心されません。一般的に
「強くなれ」
という言葉は、体力や腕力よりは精神的な強さを指すと考えられます。体力は生きていく上で大事な要素ですが、腕力と同じく個体差がある程度許容されています。
 
 精神力の方が、体力や腕力よりも簡単に強くなるかのように世間に解釈されているようですが、体力や腕力の方が、強くなれる方法をあれこれ思い浮かべることができます。プロテイン飲むとかスポーツクラブに通うとかジョギングをするとか。
 精神力を強くする方法というのは、気概が欲しいということです並の胡散臭さです。どんな方法があるだろうと想像すると、滝に打たれる、「アストロ球団」や「ガラスの仮面」で名高い山ごもり修行、
「強くなるぞ、強くなるぞ、もっと精神的に強くなるぞ」
と駅前で連呼する謎の集団、などが浮かびます。
 
 いじめられていて強くなれ、と言われていじめっ子に転じたら、そういう意味じゃないと怒られそうです。そういえば、殴られたら殴り返せと怒られて本当に殴り返したら私が悪いみたいに言われたものです。
 私が極端から極端に走りすぎなんですけど、どう中庸を取るんでしょう。もしや我慢強くなれという意味でしょうか。殴られても蹴られても暴言浴びせられても、どんな辛い仕打ちにも耐えてじっと我慢。
 
 それ説教族というか、何らかの支配者側の都合ではないんでしょうか。いじめられてくれて、抵抗せず、壊れもせずにいてくれたらそれは都合いいでしょう。安月給でいくら働かせても文句ひとつ言わず過労死もしないサラリーマンのように。壊れてしまったら
「弱いからだ。弱い人間は強くならないといけない」
ともっともらしいことを垂れていればいいのでしょうけど、日本人は元々我慢強いんだから我慢を重ねて壊れてしまう方が深刻です。
 弱い方が強くなるより強い方が弱くなる方が平和だし実現性高いのではないでしょうか。いびったりいじめたりする人間がいるから強くならないといけないので、そういう人間が弱くなってくれれば何の問題もありません。駄目ですか。駄目っぽいですね。
 
 強弱論争には、弱い人間がより弱い人間に
「もっと強くならないと駄目だよ」
と言ってみたいという、アタシだっておままごとでママの役やってみたい理論(適当な命名)も関連しているのでそう単純にいかないのでした。
 私はおままごとではいつも子供の役でした。ママ役ってどうしていいかわからないのです。子供役はボケッと座ってママの言う通りにしていればよかったので楽でした。
 
 
 3月9日の記事。Yahooで傑作が5つ入りました。精神的な意味での「強くならなければならない」というのは自分に対してならいいけど、他人に対して言うのなら、お前はどれくらい強いんだよ、証明してみろ(説教族用語)という感じです。キリがないので強いアナタに弱くなっていただきましょう。