一日一筆〜よりよく生きるウェルビーイングのための備忘録〜 -23ページ目

一日一筆〜よりよく生きるウェルビーイングのための備忘録〜

働きながら大学院で看護学を学びました。健康教育に関心があります。特に興味があるのは、ウェルビーイング、発酵食、呼吸です。日々のことを書とともにしたためています。最近約10年ぶりに日本習字で学び始めました。課題提出までの道のりを綴ったりもしています。



週末の1日が過ぎていくスピードといったら、酷いものだなと思います。
みんな平等に与えられている24時間という時間。

24時間って字面だけみたら、めちゃくちゃ沢山の時間がありそうなのに、体感と字面が全く合いません。

まあ、お金も同じようなもの…。
1万円を財布に入れた瞬間は、お金ある〜って気がするのに、なくなるのは一瞬という時もあって、体感と字面が全く合わないとことが私はよくあります。

週末、特に金曜日の夜は、これからくる週末という時間にワクワクし、あれもこれもと思いを馳せますが、気付いたら土曜の夕方、そして次に気付いたら日曜日の夜みたいな感じです。

こんな週末をもう何度繰り返したでしょうか?
それなりに色々とクリアしてるつもりなのですが、追いつきません。
というか、自分の理想とする時間の使い方に近づけないのです。

自分の能力や体力に見合っていない計画を立てているのかなとうっすら思ってはいるのですが、自分に諦めきれない…のです。
どれだけ自分自身に期待しているのだ?と思うのですが、どうもこれは昔々学生の頃からずっとそうで、いつも何かに(自主的に?勝手に?)追いかけられている感を持って生きています。

二兎追うものは一兎をも得ずと言いますが、やっぱり色んなことに挑戦してみたい気持ちが勝って、なんとかできるんじゃないか?と思ってしまうのです。

そんな一丁前の心意気を持ちながらも、うまくいかなくて、もういいかなーっとサボりたい、諦めたいという気持ちになるときがあります。
まさに、昨日の日曜日の夜はそんな気分でした。

そんな時に、私の頭にパッと浮かんできた言葉が本日の一日一筆です。

『今日は戻らない
このままで良いか良くないか』

夜にこの言葉が浮かび、それから奮起してやるべきことを遂行することができました。

言葉は時に自分の弱い部分にすっと入り込み、問いかけてきます。

2週間前から始めた減量は、なかなか先週はうまくいきませんでした。
週の3回のみ目標歩数を超えたけれどあとはクリアせず、体重が減ることがありませんでした。
けれど、ズボンの足回りが少し緩くなったように感じます。

今週は、3500歩〜4000歩歩くか、ラジオ体操第一第二を行う。
夜9時以降は食べない。

を目指します。






ここのところ寝不足が続いていて、ずっと頭がぼーっとしていました。

昨晩は気づかないうちに眠ってしまいました。
泥のように眠り、次に気づいた時は遅めの朝になっていました。
あんなに早い時間に眠ったのも一度も覚醒せずに眠ったのも久しぶりです。

生活の中で、さまざまなタスクを抱えていて、それに振り回され一日が終わるなんてことも珍しくありません。
その上睡眠不足なんてことになると、一気にやる気もダウンして、積極的思考ができにくくなります。
今日は久しぶりに十分に眠ったからか、気力が戻ってきたような感じがします。

やる気がみなぎるときに思うこと。
それはハレの時間をなんとか自分の工夫で作り出すことが大切ということです。

特にこれといってパッとしない日々の中で、キラリと光る時間というのはとても貴重です。

日本には、ハレとケという伝統的な世界観があります。
ハレは儀式や祭りなどのいわゆる非日常、ケは普段の生活である日常ですが、ハレという存在があるからケという地道で、時に苦しく、淡々とした日々をなんとか生き過ごすことができるのでは?なんて思ったりします。

生活はハレとケの繰り返し。
ケがあるからハレが鮮やかに活き、ハレがあるからケを生き抜ける、これが生活なのだと私は考えています。

一般的なハレというのは儀式や祭りなどではありますが、私の場合、日々の中でなかなかこういったことに多く出逢うものではありません。

だから、自分の気持ちの上でのハレ時間を自分のために作りだせるといいなあと思っています。

非日常とまでいかなくても、ちょっとだけワクワクすること、なんか気持ちが上向きに変わることを日常の中に散りばめていきたいです。




家族や身近な人の闘病や介護を経験した人は同じような経験をしたことがあると思うのですが、元気な時には"当たり前"すぎて、ありがたいとも幸せとも思えなかったことが、急にありがたくその一つ一つが幸せに感じることがあります。

例えば、病気の影響でご飯をあまり食べられなくなってしまっている人が、その日は美味しそうに食べられたのを見たら、心から嬉しくなります。
表情をあまり変えなくなってしまった人が、話しかけた時に不意に笑ってくれたら、そのひと時幸福感でいっぱいになります。

それが例え一時のことであっても、心がじわっと暖かくなり、嬉しくてたまらなくなります。

比較的平穏な時には、毎日ご飯を食べて、話が出来て喧嘩をしたり笑ったり…そんな日々の出来事自体があまりにも当たり前で、ありがたいということなんだということにさえ気づきにくいものです。
そういったことを当たり前ということにして、それ以上のことを求め、結果、隣の芝がひどく青く見えてしまったりして。

でも、当たり前と思っていることは決して当たり前ではないことの方が多い。
それは本当に当たり前のありがたさか?幸せか?ということを自分自身に問うて日々を生きることがとても大切だなと思います。