「統一教会の勝共」と「原発」は同一人物がつくった(1) | ちゃぬの裏韓国日記

ちゃぬの裏韓国日記

カルト統一教会と世界支配層との関係をあばく
(統一教会=世界平和統一家庭連合)

■勝共と原発の共通人脈

文教祖のみ言葉から・・・・
日本にはカイン・アベルのような二人がいるのですが、一人は知性世界を代表する中曽根氏であり、もう一人は金丸氏です。今回行って、この二人を一つにしなければなりません。今回私は、日本の衆議院と参議院の国会議員三十人以上を一つにまとめました。十二弟子以上をつくったのです。』
(真の御父母様の生涯路程10 1992年3月26日「東北アジアの平和を考える国会議員の集い」に出席のため、金丸信自民党副総裁の招請で日本に入国禁止だったが一時入国)

文教祖は、中曽根首相、金丸副総裁ら議員と共産主義(勝共)について考える会議に招請されました。文教祖は、ダンベリーでの収監期間が1年以上だったため、それ以来入国禁止になっていましたが、金丸議員の裏工作で一時入国が許可されました。

それだけ、「中曽根-金丸-文教祖」ラインの繋がりは親密だということです。

では、ここから勝共と原発が誰によって始められたのかみてみましょう(賛同者含む)

原発利権(1953年米より普及開始)
アイゼンハワー米大統領・ネルソン=ロックフェラー副大統領・ロスチャイルド財閥
(日本原発推進1954年~)
<ブッシュ親族 ⇒ 中曽根ルートで日本に売り込み>
中曽根康弘・岸信介・正力松太郎(=(親友)児玉誉士夫)

国際勝共連合(1968年設立 1965年アイゼンハワーと文教祖会談)
アイゼンハワー米大統領・ブッシュ大統領・岸信介・笹川良一・児玉誉士夫・中曽根康弘

『昭和四十三(一九六八)年の四月一日に国際勝共連合が設立され、私が勝共連合の会長となりました。発起人には、笹川良一先生や児玉誉士夫先生、岸信介元首相らに加わっていただきました。』
(「愛天愛国愛人」久保木修己著 世界日報社刊)

中曽根・岸・児玉・正力は戦争のA級戦犯であったが、アメリカのスパイとなることによって死刑を逃れCIAの活動の一つ「日本の愛国議員の弱体化」のために「勝共」を組織します。その役割を担ったのが、統一教会です。(ちなみにCIAはロックフェラーの下部組織)

この人脈を見ても、統一教会だけは違うと信者は言い続けられるのでしょうか?教会の暗部はもう隠せない時期に来ているようです。

もう一つ文教祖と中曽根氏の共通点があります。
文教祖が1943年に就職したといわれる鹿島建設は、原発建設の3割を占めています。
そして『中曽根の次女である美恵子は、鹿島の次期社長と目されている渥美直紀(6代社長の渥美健夫の息子)と結婚している。』(2008年5月29日 鹿島建設という非常識な会社(15)「七ブログ八起き」より引用)
http://blogs.yahoo.co.jp/harvest_minoru/39050338.html

<ロスチャイルドvsロックフェラー傘下の団体比較図>
http://sunking.web.infoseek.co.jp/other/usaseiji2.html



■日本原発の起源
「1953年、米国が日本に原子力発電所を売り込んだ際、ブッシュ一族=パーディ=ドレッサーの代理人として原発建設を強力に推進し、また原発開発のための原子力研究所を創立したのが中曽根康弘元総理大臣である。」
http://8403.teacup.com/tokaiama/bbs/13272

「日本における原子力発電は、1954年3月に当時改進党に所属していた中曽根康弘、稲葉修、齋藤憲三、川崎秀二により原子力研究開発予算が国会に提出されたことがその起点とされている。この時の予算2億3500万円は、ウラン235にちなんだものであった。1955年12月19日に原子力基本法が成立し、原子力利用の大綱が定められた。この時に定められた方針が「民主・自主・公開」の「原子力三原則」であった[3]。そして基本法成立を受けて1956年1月1日に原子力委員会が設置された[4]。初代の委員長は読売新聞社社主でもあった正力松太郎である[5]。正力は翌1957年4月29日に原子力平和利用懇談会を立ち上げ、さらに同年5月19日に発足した科学技術庁の初代長官となり、原子力の日本への導入に大きな影響力を発揮した。このことから正力は、日本の「原子力の父」とも呼ばれている」
(ウィキペディア「日本の原子力発電所」)


「「統一教会の勝共」と「原発」は同一人物がつくった(2)」へ続く


■この内容の関連記事
原発産業普及の起源

原発産業普及の起源

CIAと統一教会(2)