原発産業普及の起源 | ちゃぬの裏韓国日記

ちゃぬの裏韓国日記

カルト統一教会と世界支配層との関係をあばく
(統一教会=世界平和統一家庭連合)

■原発産業普及の起源

1938年 核分裂発見
1942年 エンリコ・フェルミ(伊)による人類最初の核分裂反応
1951年 米で世界初の原子力発電に成功
1953年 米大統領アイゼンハワーの「原子力を平和のために」との呼び掛けによって原子力発電開発が世界に普及
1962年 国際的ウランカルテル形成で悪名高い「リオ・チント・ジンク」(ロスチャイルド系)が設立

 最初に原発産業に目をつけたのは、米アイゼンハワーと関係がある人物なのではないかという疑問が出てくる。ここで注目すべきは、アイゼンハワーがロックフェラーと密接な関係にあるということ。ドワイト・アイゼンハワーとは第34代米大統領および第二次世界大戦中のヨーロッパの連合軍最高司令官であるが、大統領選の際にはロックフェラー家から支援を受けており、また就任時側近として動いていたのが、次期副大統領のネルソン・ロックフェラーである。
 ここでロスチャイルドが、今後発展する(させる?)と思われる原発産業のうち「資源=ウラン」に目を付け、独占に走った。

 原発産業はすべてロスチャイルド系が支配しているように思っていたが、「原子炉開発・建設が主にロックフェラー系」、「資源=ウランがロスチャイルド系」と大きく二分できるのではないかとも思えてくる。現に、原発産業における原子炉の開発・建設は、アメリカのGEやWH(ロックフェラー系)は、フランスのアレバ(ロスチャイルド系)等と並んで、現在でも力を持っており、世界の原発産業の3大勢力と言われている。
(「るいネット 原発市場はロスチャイルド系?ロックフェラー系?」より引用)
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=169850



■文教祖はアイゼンハワー元大統領と会談

<1965年6月25日 アイゼンハワー元大統領と文教祖会談>

上記内容に出てくるアイゼンハワー元大統領と文教祖は1965年6月25日に会談しています。(これは、教会史にも出てくる内容)

統一教会史では語られませんが、文教祖はネルソン・ロックフェラー氏にも会っています。1962年当時KCIAの局長を務めていた金鍾泌氏が文教祖を同行して、ネルソン・ロックフェラー氏を訪問したと言われています。
※参考記事
文鮮明教祖と金鍾泌局長の訪米目的
http://ameblo.jp/chanu1/entry-10808543833.html


■アイゼンハワー元大統領の会談内容のみ言葉

「アメリカはね、世論から、何といってもアメリカを動かすには下からは出来ない。何とかして世論を動かさなければならない。そういうふうにするには、最後にはその白亜館を中心としてやらなければならない。だから、まあ、例えていえばね、我々のそのね、その背後の道がどのくらいになっているか、韓国の政府にもわからないよ。どの位の動きをしているかという事は韓国の政府にもわからない。いくら情報局があるといってもわからない。例え、例を上げればね、昨年のリトルエンジェルスがね、白亜館か、そこに訪問するんだったらね、一国の首相でも六ヵ月以前にそれを向こうで交渉しなければならない。急に訪問する事は絶対する事は出来ない。国同士でもこっちの首相でもね、向こうに行こうとする、皆スケジュールはずっと組んでおるからね、あらかじめ連絡を六ヵ月以上準備しなければならない。しかし、我々、リトルエンジェルスはね、昨日の夕べ、午後三時前から連絡して今日、訪問する事が出来た。本当はジョンソン大統領と夫妻と共に、そのまあ会う事になっておるんだけどね。急な事があってまあ後日会うたね。大統領にその会うたね。ずうっと…………。あれがその韓国大使館でわかって驚いた。自分たちがその、もしも大使でもそんな事は出来ないよ。いかにしてああいう事をやったか。彼らはわからないよ。だから、ワシントンの白亜館まで我々がつないだというんだね。だから、今度まあ先生がアメリカへ行ったら何だったらね、必要だったら大統領でも会おうとして会うことも出来る。必要でないから。この前はアイゼンハワー大統領に会ったんだけどね。今度行ったら、もし必要だったらそういう事やろうと思う。それはもう別に必要な事はないな。世界で有名という人に会っても何でもないよ。君たちが却って偉いよ。我々統一教会の人の方が偉い。それは彼らの摂理的基準におきまして、………化されたその基準におきまして、そういう身分に立たしたんだから、そういうふうになるんだけれど、内容からすると何でもない。そうだよ。岸首相もそうだよ。先生がずうっと突っ込んで聞けばね。東南アジアの問題とか世界の問題、日本の政策どうするか聞けばね、何の事はない。そうなんだよ。何でもない。だから君たちはもっとでかいと思うよね。(「はい」)。そうよ。」
(原理大修練会、摂理的同時性講義途中における御言1967年6月26日)

「レバレンド・ムーンは、すでに三十八年前に、アイゼンハワー米国元大統領と会って、“アベル国連”の必要性を力説したことがあります。ところが、天の時を悟りえない責任者たちの無知のため、今日まで、摂理が延長されてきたのです。」
(「平和国連を通して平和天国を完成しよう」IIPC創設 韓国本部大会」での創始者基調講演2003年10月10日)

「アメリカに対する基盤を築くために、リトル・エンジェルスをつくって四十年前から大学街の学長を連結させたのです。その時、トルーマン大統領からニクソン大統領、アイゼンハワー大統領は、みな韓米文化自由財団の理事でした。百五十人を最高の人物で見立てたのです」
(真の御父母様の生涯路程11 1994年の摂理)

「韓民文化財団という、先生がずうっと計画してつくったんだ。アメリカの数多くの教会の人たち百五十人ぐらいに一番世界的信頼が集まっておる。それで、アイゼンハワーとか、トルーマン大統領とか、現在の白亜館の大統領とか、上院議員、下院議員とか、委員長たちがみんな入っておるんだ。アメリカ人で一番偉い人たちを集めた財団法人をつくっておる。法的保護を受けている。今はその活動をしてるんだ。それで韓国においては、これは反共の先頭として今戦っておる。それで中共に対して、アジア、東南アジア、共産圏に対して今放送やっておるよ。自由アジア放送局として今やっておるんだよ。だから、それに対応するいわゆる新聞社をつくらなければならない。」
(東京の南平台での御言1967年6月25日)

「先生が一九六五年に、アイゼンハワー・アメリカ大統領と会った時に、話した内容もこのことなのです。「共産党は我々の恩讐です。宗教を中心にして共産党を打ち破るために、援助してください」と言ったのです。その時、宗教を一つにできたならば、世界的な宗派の責任者を結んでおいたならば、「共産党は宗教の恩讐である」と宣伝しながら基盤を立てたならば、神様の行く道は復帰時代において、苦労の道ではなかったのですが、これを成すことができなかったのです。その時、もし共産世界と戦って勝利するようになれば、共産世界は必ずバラバ圏と手を組んで、自由世界を攻撃するだろうと話したのです。今、正に、そのようになりました。」
(今後私たちが成すべきこと1972年5月9日)

「それでは、共産党はどのようになりますか。共産党はアラブ圏と手を組むようになるのです。これは先生が、既に話したことです。一九六五年にアメリカのアイゼンハワー元大統領と会った時、話をしたのです。共産世界が滅びる時には、必ずアラブ圏を通じて民主世界に再び反旗を揚げてくると言いました。今、そうなのです。
 このような時代的流れの中で、ソビエトとアラブ圏のナセルとが手を握って、ナセルを連れて行ったのです。彼を滅ぼさなければなりません。これが粉々になって分かれなければなりません。その時が来れば、私達の時が来ることを知らせるのです。見てください。民主世界で、アメリカが孤立しているでしょう? 分かれているでしょう? 完全に孤立しているのです。そして、共産世界でソ連が完全に孤立しているのです。今、孤立しているでしょう? また、中国もそうです。世界が全部孤立しているのです。ナセルを中心として、アラブ世界も今、孤立しています。ナセルが死んだためにみんな孤立するようになっているのです。キリスト教も同じです。キリスト教自体もやはり孤立しています。」
(我が家庭のいく道(後編)1971年8月28日清平修練所)

「私が一九六五年度にアイゼンハワー米国前大統領に会って、将来、民主世界が共産世界に勝つとしても、共産世界がイスラム教圏と手を握って出てくる時が来ると言ったことがあります。皆さんは、今ソ連がインドを中心にしてエジプトやイスラム教圏と手を握り、南方作戦をしてきていることを知らなくてはなりません。米国が後退する位置を占領してきているのです。サタン側、悪なる側はそうやって一つになって民主世界をのみ込もうとしているのに、民主世界はこうしてもいい、ああしてもいいと言っているのです。」
(神様の摂理から見た南北統一)

「それでは、レバレンド・ムーンが個人的カイン・アベルの蕩減復帰を瞬間的に果たし、家庭的カイン・アベルの蕩減復帰も瞬間的に果たせるならば、すべてのカイン・アベルの蕩減復帰も瞬間に終えることができ、キリスト教会の世界的版図も瞬間的に乗り越えることができるのです。その機会は、私がアイゼンハワー大統領に会った時にあったのです。そのころは韓国動乱が起きていた最中でした。アイゼンハワー大統領が私の考えを受け入れたならば、キリスト教が反対したものを蕩減復帰できたのです。私は間違いを指摘してあげましたが、彼のアジア政策はことごとく反対に回っていったのです。何の話か分かりますか? 彼はキリスト教が反対したことを蕩減復帰しなくてはならなかったのです。ですから、世界史的カイン圏の蕩減条件を立てなくてはなりません。それで七年の間にアメリカで、世界中の動きを正す運動を展開することになったのです。そのような目的で私はアメリカに来たのです。」
(摂理から見たアベルの正道1979年12月30日)


韓国動乱(朝鮮戦争)は1950年6月25日~1953年7月27日なのだが、その間に「アイゼンハワー大統領に会った」と文教祖は言っています。朝鮮戦争時に会ったかの是非は別として、1965年にアイゼンハワー元大統領と会談しているのは事実です。み言葉からも分るように「共産党」の内容に対して会談しているところを見ると「国際勝共連合」について話していたと思われます。

その後、ロックフェラー人脈のアイゼンハワー元大統領、岸信介、笹川良一らとともに1968年1月13日「国際勝共連合」を設立していきます。
※参考記事
ロックフェラーと統一教会史
http://ameblo.jp/chanu1/entry-10819168485.html

<ロスチャイルドvsロックフェラー傘下の団体比較図>
http://sunking.web.infoseek.co.jp/other/usaseiji2.html