六マリアと真の家庭(5) | ちゃぬの裏韓国日記

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カルト統一教会と世界支配層との関係をあばく
(統一教会=世界平和統一家庭連合)

文亨進世界会長が先日認めた(詳しくは「血統転換の奥義」(1)(4)を参照)「六マリア」(血分け)ですが真の家庭とどのような関連があるか具体的に考察したいと思います。

<血統転換の奥義シリーズ>
「血分けが統一教会内で隠蔽・秘儀化されていった経緯(1)~(5)」に詳細な内容がありますのでまず、読んでいただくと理解しやすいと思います。
<六マリアと真の家庭シリーズ>
(1)文先生と「血分け」した祝福家庭を優先的にメシアの血族とする・三位基台家庭同士で性も子供も共有・中には近親相姦婚の2世もいる?
(2)真の家庭内における近親相姦婚(兄妹婚)
(3)文先生とカインのお母様(崔元福先生)と真のお母様との3人の性生活(重婚状態)とそれを見ていた真の子女の苦悩
(4)真の家庭の第1子は男でなければならない(女が生まれた時点で失敗)



六マリアの著者、朴正華氏は血分けの内容は「原理原本」の中に書かれていると著書の中で記している。そして、その中でも一番の問題は「イエスとマリアが結婚しなければいけなかった」という内容であるらしい。今まで統一教会では信者にはイエスと結婚するのは洗礼ヨハネの妹だと説明してきた。これまで聞かされていなかった内容が文先生は「秘密」にしてきたが、実は一番言いたかった内容なのかも知れない。それを最近のメッセージに込めて小出しに証をしている。文享進世界会長が「六マリアはあった」と事を認めたのは、「血分け」なくしてこのような内容は説明する事ができない裏づけがあってのことではないだろうか。または、直接文先生に聞いたかのどちらかだろう。それでは様々な証言の中から考察してみます。


《「原理原本」においてはイエス様の母であるマリヤの問題が一番深刻》
すでに述べたように、『原理講論』は一言一句にわたってお父様の監督と指示のもとに書かれたものです。ですから、もし私が、「『原理講論』は私の夫が書いた」と言えば、お父様は怒られます。「おまえの夫が書いたのではない。先生が書いた」と。そのとおりです。それでは、お父様がどうして直接、書かれなかったのでしょうか。統一原理とは「創造」、「堕落」、「復帰」という三つの部分から成っています。堕落した罪深い人間は、この原理によって罪を清算し、罪から解放されて神様に帰ることができるのです。ですから原理とは、堕落した人間の中から代表を一人選んで、“罪を告白させる”という形で書かせなければならないというのです。真のお父様は、堕落とは関係がない、完成したおかたですから、ご自身が原理を執筆することはできなかったのです。けれども、神学博士とか神学者、またはクリスチャンが無条件にお父様を認めて従ってくるときには、お父様ご自身が「原理原本」を書くと言われました。「原理原本」においては、イエス様の母であるマリヤの問題が一番深刻です。それで私はいつも、その時を今か今かと待っていたのです。ところが近年、お母様が講演された「救援摂理史の原理観」というみ言には、イエス様の血統が明らかにされています。お父様は、原稿をほとんどご自身で書かれますから“ああ、お父様はお母様を通し『原理原本』の一部を少しずつ出しておられるのだ”と悟った瞬間がありました。また、お母様の「真の家庭と私」の講演にも、私は大変感動しました。その内容は、心と体の問題、良心の問題、人生の目的等々、人間だれもが考えることが語られています。そこでお父様に、「これこそ本当に、だれもが一度は考えるものです。その人間の心の悩みがお母様によって語られ、導かれて、本当にうれしかったです」と申し上げると、「それは先生が、四十年間み旨の道を歩きながら、ずっと経験してきたものだ」と言われたのです。「救援摂理史の原理観」と「宇宙の根本を探して」という重要なみ言に加えて、今回の講演では「真の愛を中心とした真なる家庭と真なる宇宙」という題目で語られました。お父様は、「真の家庭と私」を基礎としたこの三つの講演文を合わせて、「成約聖書の本をつくるように」と言われました。ここにおいて結論は皆、出ました。お父様の「原理原本」は、このようにお母様を通して、今地上に現れてきたのです。ですから私は、このように考えるのです。『原理講論』の中に入っている原理は、家に例えれば骨組みであり、そこにきれいに壁を作り、屋根をつけて、肉づけしていくのがお父様のみ言なのだと。
★史吉子先生の証(三家庭)「私は慕わしさのあまり悲しみの涙に濡れて生きる人である」より 
(ファミリー97年10月号)



《金明煕氏の訴状内容からみたイエスとマリアの結婚》
ソウル特別市龍山区元暁路三街五一ー三〇
             原告  金明煕
ソウル特別市龍山区青波洞一街七一ー三
             被告  文鮮明
2、反聖書性
 被告らは以上見たように、反キリスト教ないし反キリスト教的教義を展開しただけでなく、以下に見るような聖書解釈を通じ、カトリック教理に対しても異端 に流れ、カトリック教と聖母マリアを冒涜した。すなわち、文被告は説教を通じて、マリアは神との間でイエスを産んだから、その意味からマリアは神の妻である。ところがイエスは神の子で、イエスが即ち神と同一である。そうであるならイエスは即ち神であるから、マリアは即ちイエスの妻に該当する。それゆえ聖書 に「女よ、お前が私と何のかかわりがあるか」とイエスがいったのは、イエスがマリアを自分の母として接するのでなく、妻と同じ立場で述べたことばであり、それゆえ韓国の俗言の中にも「母を犯す野郎」という悪口があるではないか、この「母を犯す野郎」というこれが即ちイエスとマリアの関係にも適用されるのである、と放言した。それだけでなく、マリアはイエスを産んだ後、ヨセフに嫁いで多くの子供を産んだから、マリアは娼婦と異なるところがない。マリアが娼婦である以上、「この女よ、お前が私と何のかかわりがあるか」というのは当り前だと、公然と信徒の前でわめいた。
一九七八・三・二五
 原告 金明煕
 原告訴訟代理入 弁護士 龍太暎 
ソウル民事地方法院 御中
★「金明熙氏の訴状」は「淫教のメシア文鮮明伝」(晩せい社)の巻末に掲載



《米国キリスト教牧師の証からみたイエスとマリアの結婚(米国で活動していた姉妹の証)》
Re: どなたか解毒剤を下さい 私は猫派 - 2006/09/08(Fri) 12:39 No.3911
(中略)・・・こないだ引用した
http://homepage2.nifty.com/levites/index26.html
> ニムロデの母セミラミスは、当時の世界でもっとも美しくまた堕落した女性であった。・・来るべきメシヤの預言を知っていたクシュは、セミラミスによって子をもうけた。このクシュによる子、ニムロデこそ彼らのメシヤであった。クシュは死ぬ時、ニムロデとその母セミラミスとを結婚させた。ニムロデはすでに神として崇められていたし、クシュもニムロデをもうけたことによって崇められていたので、セミラミスは『天国の母』として崇められるようになった。

「アダムは自分の母親や娘と結婚しなければならない」
この衝撃的な教理?を仄めかすものに出会ったのは今から15年以上前だったと思います。
当時まだ学生だった私が路傍伝道に勤しんでいた時、風に舞って足下に落ちた紙片に、米国での文師の講話の一部を引用したものと思われるものが書かれていました。米国で最低の悪口を言い表す言葉として「mother fucker」というのがありますが、イエスは母マリアと結婚しなければならなかったのであると。それをみたことを班長に報告した時、私と同じ学生の班長はちょっと困った顔をして
「う~~~~ん。。そういう説もあるんですよね。。」と、こともなげに。私の顔色が変わるのを見て、それ以上は口をつぐんでいましたが。
私も悪い冗談に違いないと思ってそれっきり忘れていたのですが、つい一年半前、i○○○dさんのところのi○○○oさんのスレ見てびっくり。統○○理さんもこのテーマに関して発言されていましたね。
ああでもキモいしここで口に出すのも(だしちゃったけど)はばかられる内容なので私のブログでやり取りした方がいいかも。

??? ●きっち - 2006/09/08(Fri) 17:31 No.3916
何か良くはわかりませんが、
>「アダムは自分の母親や娘と結婚しなければならない」
と言うのはアダムの相対であるエバは堕落していなければ、人類の真の母であり、神様の真の娘だったわけだから…。当たり前と言えば当たり前のことを言っているような気もしますが?

Re: どなたか解毒剤を下さい 私は猫派 - 2006/09/10(Sun) 07:09 No.3945
(中略)ということはやはりイエスが母マリアと関係を持たなければならなかったというのはでたらめなのでしょうか。私が見た紙片というのは「。。文師がこのように言った」内容に対してカトリックの反対神父さんがいきり立っている、と書かれていましたので「文師がイエスはマリアと結婚しなければならなかった、と言った」という発言内容自体捏造(もしくは曲解)の可能性もあるわけですが。。しかし文師ご自身のみ言で「イエスの結婚がマリアから3度も拒否された。最初は17歳のとき、次は27歳のとき、最後が30歳の時であった。」とあるのを見て、普通にヨハネの妹と結婚するんだったのなら(仮令異母妹であったとしても)駆け落ちすれば良いではないか?東方のマギを頼ってゾロアスター教圏に行けばあそこは兄妹婚が認められているのだし。。そもそもなんで「マリアの許可」がそこまで必要なんだろうか?と考えてしまったわけです。
後ほど神学の勉強をしていらっしゃる在韓婦人から聞いたのですが、イエスの相対になるべき女性は何人かいてそれぞれが母マリアの眼鏡にかなわなかったということもあり得るな。。と思いました。相対を見つけ出すのは大変でしょうしカナの婚姻時でイエスが「私の時はまだ来ていないのに(なんであなたは他人の結婚式の酒を持って来いなんて言うんですか)女よ(あなたなんか私の母親じゃありません)」といって母親をなじった状況もよくわかります。(でも駆け落ちしちゃいけないのか?爆)

Re: どなたか解毒剤を下さい 私は猫派 - 2006/09/10(Sun) 07:41 No.3947
このキモい話を聞かせてくれた元の大先輩の方は「最初のアダムからして母親や娘と実体的に結婚しなければならなかった」なんて言うんですよ(泣)その方はグノーシスの影響バリバリで創造主は悪の神だなんて言ってました。多神教信じてる奴なんかクリスチャンじゃねーよ!
というか、「肉体的な遺伝子を通じて神やサタンの血統が相続される」って考えるのって霊界解らないヒトの考えることですよね?あまりにも唯物的です。確かに種を存続する為なら何でもアリでしょ。法度なんて関係ないですよね?
でもこれもイエスの処女懐胎から来ちゃってるような気がする。XY染色体を持つ母体の卵子に何らかの刺激を与えて細胞分裂を起こさせれば処女懐胎で男の子を産むのだって理論上は可能だし。でも、心情の相続となるとそうそう簡単にはいきませんよね。魂に刻印されるような深い記憶はDNAにもやはり刻まれるのかもしれませんが、それにしても近親相姦までして子孫作る必要があるのか?
肉体的な血統は離れていても(もしくは無くとも)似たような体験をすることで遺伝子にマーキングされている人間なんて結構いるんじゃないのかな?(ノアの方舟=洪水生き残り体験とか あれはどう見ても各民族、各地方に従ってそれぞれ選ばれたノア型の人間による摂理だと考える方がどう見ても自然ですよね?)
★フレイの独り言より
http://frey2.exblog.jp/4540265/



《文先生のみ言葉からイエスがマリアに3回結婚について説明した。上記内容の根拠?》
なぜイエス様が三十三歳まで結婚できなかったかというと、(イエス様は)マリヤに何回も言ったというのです。マリヤに何回も、三回も懇切に、「神の摂理からして、こういかなければならない」ということを話したのです。お母さん(マリヤ)が中心になってエリサベツと共に、夫婦、姉妹が一つになって収拾しないと大変なことになるのです。それができなかったのです。
★蕩減復帰の峠を越えましょう1993年12月20日韓国・済州研修院



《古参教会員50代氏の証言からのイエスとマリアの結婚》
476 名前: 50代 投稿日: 02/10/03 08:34
イエスはザカリアの子これはいまでは統一の定説でしょう。
クリスチャンからは総スカンだが、なら、イエスがマリアとの間に女子をもうけて、それと結婚したら産まれてくる第1子は男だよね。だから文先生の第1子も男でなくてはいけなかった。逸話だがその出産のときは文先生怒ったそうな。
777のあと韓国の先輩諸先生が訪日することが多くなったその中で明らかなモラルの違いが影では重大な問題を引き起こしていた。
★統一教会の何が悪い!!!!!【Part 7】より



《朴正華氏の証言からのイエスとマリアの結婚》
まず六マリアの復帰問題から考えてみよう。サタンによってエバを奪い取られたことで、神様は六千年間怒り続けてきたという。神様はエバを取り返すため、第二のアダムであるイエスをこの世に送ったが、イエスの生みの母であるマリアは、イエスを自分の息子としてしか考えず、自分の息子がまず母親とセックスするために生まれてきたことに気がつかなくて、イエスとセックスをしなかった(注=このように母親が息子とセックスすることを、原理では母子協助と言っている)。そのためにイエスは十字架の上で死んでいくしかなかったと原理では説明している。また原理原本には、「イスカリオテのユダの恋人であったマグダラ・マリアをイエスが奪い、復帰させることによって、神様の恨みを払うことになっていたが、ユダがこれに服従せず銀貨三十枚をもらってイエスを売り払ったため、イエスが十字架の上で死んでいくことになった」と説明されている。
イエスが復帰しようとした六人のマリアを復帰させれば、原理通り実践されることになると私も理解していた。ところが、六人のマリアを復帰させたあとでも、文鮮明は手当たり次第何十人もの女を復帰させていった。…
★「六マリアの悲劇 真のサタンは文選明だ!!」 朴正華著 P.191より


これらの証から見て「血分け理論」(「体恤」「重生」「母子協助」)の知識があればイエスとマリアの結婚も理解しやすいかも知れない。しかし、それは遠い昔の話で起こった出来事ではなく、統一教会では実際にメシア(文先生)との性行為で実態的血統転換が行われなければならない。文先生は様々なメッセージに血分け理論を比喩的・暗示的に伝えているのである。
史吉子先生の証のなかで原理原本の内容が書かれている「救援摂理史の原理観」「宇宙の根本を探して」「真の愛を中心とした真なる家庭と真なる宇宙」の三つの講演文を合わせて文先生は「成約聖書の本をつくるように」と言われるくらいなのですから。原理原本の内容(血分け)は、文先生にとって何よりも重要なのでしょう。