六マリアと真の家庭(2) | ちゃぬの裏韓国日記

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カルト統一教会と世界支配層との関係をあばく
(統一教会=世界平和統一家庭連合)

文亨進世界会長が先日認めた(詳しくは「血統転換の奥義」(1)(4)を参照)「六マリア」(血分け)ですが真の家庭とどのような関連があるか具体的に考察したいと思います。

<血統転換の奥義シリーズ>
「血分けが統一教会内で隠蔽・秘儀化されていった経緯(1)~(5)」に詳細な内容がありますのでまず、読んでいただくと理解しやすいと思います。
<六マリアと真の家庭シリーズ>
(1)文先生と「血分け」した祝福家庭を優先的にメシアの血族とする・三位基台家庭同士で性も子供も共有・中には近親相姦婚の2世もいる?


《文先生が本来目指す血統転換とは文先生の血を受け継ぐ子供同志の近親相姦婚である?》
★サタンの血統を全て排除し文先生(復帰されたアダム)のクローン(神の純粋血統)を作ることががメシアとしての使命ですので、本来は文先生が女性信者と性関係を持ったら他の男性とは性関係は持ってはいけない。文先生との間に生まれた男の子が女性信者(先に文先生と関係済み、男の子の母親)と性関係して女の子を産んでその兄妹が結婚して初めて2世が誕生する。こうすればより純粋血統に近づく理論です。(これが当初文先生の望んでいた2世でした)
 実際には兄妹婚は法的にもこの世的にも実現不可能なので文先生と性行為した女性を払い下げられた男性のカップル3組で3位基台をつくってその中でやりくりせざろう得ない。「体恤」(文先生が女性信者と性行為)→「重生」(その女性信者と男性信者と性行為 女性が産む子供が新生された男子であると仮定)→「母子協助」(その女性信者と男性信者の性行為 母と生まれた男子の性行為と仮定)→こういう経路で文先生と関係を持った母から生まれた子供が本来の2世。当然真の子女との祝福という恩恵がある。血統転換というのは文鮮明先生(たった一人のメシア)と女性との集団結婚が本来の形であるということ。男性はもともとサタンの血統なので血統を残す権利がありませんので、文先生のお手つきの女性と性行為することで接ぎ木されメシアの血統の恩恵をかろうじて受けることができる。
(↑古参教会員50代さんの証を元にまとめてみました)


では、実際に現在の真の家庭に「兄妹婚(近親相姦)」が存在するのでしょうか?
文先生の最初の奥様崔先吉さんの息子の聖進さんと金元弼先生の娘の東淑さんが以前から「兄妹婚」ではないかとの噂がありました。このお二人は1973年7月18日に祝福を受けています。


《第一の根拠》
 「文被告の誇大妄想症は、精神的底辺において、自己卑下の劣等意識を解放することにあったため、貫禄ある家柄の子孫らしく偽装することによって、自らの神格化を図ったのである。これがいわゆる教主文鮮明の実像である。こうした文被告の反道徳、反倫理、反杜会的性格は、自分の子女相互の近親相姦的婚姻においても、いっそうはっきりと反映している。事実文被告はよく信徒たちと女を取り換えながら享楽したが、崔芙の女である李得三を文被告が取り、自分の女であった朴貞淑を崔某に交換払下げたことが、その一例である。ともあれ崔先吉から生まれた文聖進と、螂達玉(鄭達玉)から生まれた東淑は、れっきとした異腹の兄妹の問柄であるにもかかわらず、いわゆる純種の原罪の無い子供を産ませるとの名分の下に、彼等を結婚させ、祝福を与えたのである。今日韓国では家族法が厳然と存在し、なおかつ同姓同本の禁婚まで法制化されている国である。」
「金明熙氏の訴状」(「淫教のメシア文鮮明伝」(晩せい社)の巻末に掲載)


もしこの証言が正しいのであれば腹違いの兄妹で結婚したことになります。そして生まれた子供はさらに血が濃くなるというわけです。金明熙氏も知っていた言うことは、文先生も当然わかっていて結婚させた可能性が高そうです。文先生が目指した神の純粋血統に完璧ではないまでもかなり近い状態ではないでしょうか。

《兄妹婚?》
崔先吉(聖進の母)----文先生(父)----鄭達玉(東淑の母)
     
          |  (近親相姦)  |
         文聖進-----------金東淑
         1973年7月18日に祝福



《第二の根拠》
1946・4・7  文聖進 誕生
1960・4・16 金元弼・鄭達玉 祝福(36家庭(3家庭)) 
1955・2・22 金東淑 誕生
1973・7・18 文聖進・金東淑 祝福
(金元弼先生の子供で祝福時できたお子さんであれば
13歳で結婚した計算になる)

 長男聖進の結婚は1973年で、妻(金東淑)は三弟子の一人、金元弼の娘で、金東淑と言いますが、この金東淑の生年月日が、奇妙なことに両親の結婚の5年前の1955年に生まれているのです。両親の結婚は1960年ですが、両親の結婚後1年経って1961年に生まれたのであれば、金東淑は13歳で文聖進と結婚したということになるのですが、わたしの手元には結婚式の写真(ファミリー2002年5月号に掲載)がありますが、とても13歳には見えません。では、ここにはどんな謎があるのか。F先生の書かれた本にもそのことは載っていますが、東淑の母達玉は金元弼と結婚する5年前に金東淑を産んでいるのですが、では金東淑の父親は誰かということです。金元弼でないとするなら誰でしょうね。
★「統一協会問題の過去・現在・未来」第2回目 統一協会問題の現在より

↑ここで問題になるのは既成家庭として祝福を受けているのであれば、聖進様の相対は2世じゃなくてもいいのかということになります。祝福前に生まれた子供であれば2世扱いにはならないからです。
しかし、もし金明熙氏の証言のように文先生と鄭達玉さんの間の子供であれば(血分け的には)血統的に問題ないわけです。
金元弼先生に「この女性(鄭達玉)と結婚しなさい」と結婚させたのも、文先生と聞いていますので、ということは文先生と「体恤」した女性を金元弼先生に払い下げたということでしょうか?「血分け」の理論では正しいことになりますね(^^;




《禁断の恋》
私(洪蘭淑)は彼女(仁進、文鮮明の娘)が青年とべたべたとふざけあい、『「祝福子女」はキスはしてはいけないと考えられているけれども、私達は例外よ』と言っているのを聞いた。それは危険な恋だった。そのときふたりのどちらも、自分達の父親が同一人物だとは知らなかった。少年は文鮮明の非嫡出子(婚外子)だった。私は一年前に母からそう告げられていたが、その夜の話しから、誰もまだ、彼らに事実を教えていないことは明らかだった。少年が文氏と教会員との情事から生まれたことは「36家庭」のあいだでは公然の秘密だった。母は私に『それはロマンチックな関係ではなかった』と説明した。それは神に定められた「摂理」の結合だが、俗世間には理解できない結合だ。あらゆる誤解をさけるために少年は生まれたときに文鮮明のもっとも信頼する顧問のひとりの家庭に預けられ、その息子として育てられた。文氏は父親であることを公には認めていないが、少年本人と文家の第二世代には、1980年代末に真実が告げられた。
(わが父文鮮明の正体 洪蘭淑著 林四郎訳 文藝春秋社)

上記の少年は文先生と崔順花さんのお子さんで「サムエル(朴峻頃)」といい、1968年(生まれは1965年?)に朴普煕先生の家庭に引き取られたようです。(サムエル少年の母は崔元福先生とのウワサもありますが、もし出産されたとすると年齢が50歳ほどなので崔順花さんのほうが可能性が高そうです)
このように一般教会員には知らされていないことも結構ありそうですね。
じじい50の日記(妾たちと庶子たち)の記事を元に修正しました)