ASDの中年男性の人生の生き方。ときどき投資。 -20ページ目

ASDの中年男性の人生の生き方。ときどき投資。

シェアハウスで社会不適合者たちと暮らしています。発達障害(ASD)だから社会に適応できません。どうやら唯一トレードが好きだから、ひたすらトレードしてるかなぁ。

最近は大自然の中で農作業が主です。生きることは難しい。

トレードは勝つことを目的とするのではなく、自分のルール通りにトレードすることが最優先事項になる。どんなに急変動が起ころうとも、自分のルールを守ることに集中すること。


現在進行形のローソク足の動きを見るのは危険だ。必ず視覚情報に惑わされてしまう。無意識にも『予測』の念が入り込み易い。我慢ができなくなる。


15分足でトレードするなら15分に1回、30分足でトレードするなら30分足に1回、1時間足でトレードするなら1時間に1回は確定したチャートを見ること。『確定』したチャートは事実なのだから、それに対応していくこと。


つまりは、「待てない」なら「待てる」ようなトレード環境に整えていこう。

本記事は個人用トレード日記です。



2023年10月23日(月)23時頃

EUR/JPY


上手くいった。


やはり上位時間軸は優先なのだ。

上位時間軸の大局トレンドには素直に着いていくがいい。


もちろんそれが失敗することはあるのだが、心の安定さからして違う。


5分足での大局下降トレンドが現れたが、15分足では中期EMAと長期EMAが横ばいだし、何より30分足では中期EMAと長期EMA(特に長期EMA)が上向きだ。


完全に売りエントリーして獲れる自信はない。

10pipsほど下降したのだが。


そのまま放置したら、ローソク足がするする陽線に。「そりゃ、そうなるわな…」という感じだった。ダマシっちゃダマシだわな。


よく見ると15分足ではステージ1→2→1(直前)の推移のタイミングであり“押し目買い”にてエントリー。上手くいった。


大局トレンドを示す“帯(中期EMAと長期EMAの間隔、傾き)”と目先の動きを示す短期EMA(及び価格)との関係を見極めるものとしよう。


うん。そうですか。

なるほど。なるほど。



何があれだったかな〜〜…ん〜〜〜


ま、いわゆるポジポジ病だよね。


まずは、それに罹患していることを認めよう。




うん、思い出した。


このポジポジ病は脳みそがアディクトしている状態だ。


もっと大きい時間軸に目を向けよう。

小さい時間軸だと、そりゃまぁそれなりにチャンスが到来していると勘違いさせられる。

繁華街で客引きがうまいこと誘惑してきて、それに乗っかったら結局ぼったくりバーに遭うようなものだ。ダマシってやつだ。


勝つ回数を増やそうと思っていると、うまくいっている取引なのに、まだピークに届く前に手仕舞おうと考えてしまう。これでは勝率を上げるために利益の合計額を減らしてしまう。勝率はまったく重要な指標ではない。むしろ害悪のある間違った目標だ。


世界中の人が同じ相場を見ているのに、みんなが負けてしまっている。だけど確かに一部の人が勝っている。秘訣は『じっとしているだけ』としか思えない。トレーダーの知識や技術には差はないはず。仕掛けも手仕舞いも、じっと待つ。

本記事は個人用トレード日記なので、分かりにくいところはご了承ください。


結論を書くと『EMA同士の(特にEMA中期と長期)の交わる角度は鋭くなければいけない。その確認後にエントリーする。』ということだ。


土日には、デイトレードどスイングトレードの利確・損切りポイントを再確認してトレードに臨む。


2023年10月23日(月)日本時間

EUR/JPYの30分足で大局下降トレンドが始まるようなステージ4へ突入しそうな動きを見せる。早仕掛けをしてロット少数の売りエントリー。時間が進むに連れ、ロット数を増していく(適正ロット数以内)。ここで戻りが始まる。同時にEMA中期と長期のクロスしそうな角度が鈍化していく(角度が鋭くクロスするなら、もちろんこのままポジるつもりでいた)。


「ありゃ…怪しい…」思わず手仕舞う。


5分足では大局上昇トレンドが始まるステージ1へ突入しそうな動きを見せ始めるが、緩やかなクロスだ。


「ん〜。5分足では上にいくかな」


5分足ではEMAの中期と長期が30分足ほどではないが緩慢にクロスしそうだった。


資産とATRから適正ロットを算出し、買いエントリー。30分足と5分足トレードでは、自分ルールでは損切りや利確ポイントは異なることは承知の上。


同時刻に違う時間足で見ると、買いエントリーと売りエントリーが矛盾して現れるのはよくあることだ。


しかし、凄く不安になってしまっていた。


もちろん最終ロスカットの逆指値注文はしているので、自分の想定内の損失に収まるはずなのだが…



あれ?



15分足を見たら、ヒゲ毛虫みたいなノイズのローソク足が連続に…動意がはっきりしない(ここで15分足での中期EMAと長期EMAは横ばいになっている)。


もうなんか、、、30分足での売りエントリーエグジットと5分足での買いエントリーエグジットを繰り返していた。


往復ビンタで損切り損切りの連続で資産がどんどん減っていく…


もう冷静に判断ができなくなっていた。

意味がわからない。


先々週からトレードをはじめて一番下手くそな感じで終わった。


資産が702,000円→684,000円へ。


資産が2.5%減少した。


最悪だった。


完全に自信を失った。




往復ビンタの連続で『悪いトレード』をして資産2.5%減らすより、最終ロスカットの損切りで資産が2%減少の『良いトレード』を一発したほうが質が高くて精神衛生上良好に決まっている。


あ、そもそも予想していた時点で『悪いトレード』だったんだ。。。




こういうときは、もう強制的にクールダウンするしかない。


チャートから目を背ける。


もし目を背けている間に、いくらエッジがある局面でも、だ。




何がダメだったかを反省。


土日の休日を挟んで頭を整理して、トレードには利確や損切りのポイントも対応できるはずだった。


『対応』できるはずだったのに、つらつら上に書いたように最初に『予測』をして臨んでいた。猛省。


そもそもの始まりは、EMAが鋭くクロスしたのを『確認』してエントリーしていれば違ったはずなのだ。


トレードにおいて「予想はよそう」といわれる所以は、資金管理やリスク管理が甘くなってしまうから。過信してしまう。

対応策には万全の自信があったがために、予想した上での仕掛けや手仕舞いを過信していた。


今回はその『予測』をはじめとした試しの少量建玉エントリーが端を発し、芋づる式に負の連鎖を引き起こした。


完全に失敗した。


まぁ、でも30分足での中期・長期EMAのあの“うねり”が、あそこまで5分足でのEMAの形状に影響を与えるとは…勉強になった。

先週までのトレードでは見えてなかったところが見えた。1時間足で確認すると大局トレンドでは上昇だった(チャンネルラインが全然届いていないが)、正確には幅40pips間の動意がハッキリしない巨大もみ合い。それを無視してしまい30分足では下降になるみたいな『予想』を勝手にしていたことも反省。


トレンドには素直に着いていかなくては。

なぜ俺はあそこで30分足での逆張り(?)やら勝手に目論んだ?


土日に反省会をしてウズウズしていた気持ちがあったことは認める。それも原因だろう。




2点の反省。


中期EMAと長期EMAのクロスの角度が鋭く交差したのを確認してからエントリーすること。甘く緩やかな横ばいのMAなんてもう意味を為さないのに、エントリーするもんだから…もはや保ち合い相場かもしれないのに…


あと執行時間軸の上位時間軸も確認しておくこと。


あとは、まあ全世界的に取引量が少ない時間帯にトレードしてるせいもあるが。やはり日本時間の夜がいいかな。


自己嫌悪。


早くトレードしたかったんだ。



【追記】


あ、あと発見。中期EMAと長期EMAが交差してからはスムースだけど、交差するまでのローソク足はピョコピョコブーになっている。


30分足や1時間足とはいえ角度の鋭いクロス直後がエントリーのタイミング。少し遅れると大陽線や大陰線が加速しており、中期EMAまでの戻しがくるか。クロス直後のエントリーの持ちならよいが、しばらく経ってから(一本分のが経過してから)ではタイミング的には遅い。その後MACD線が並行になりステージ変わる傾向もままある。5分足なら余地はあるか。


そして執行時間軸より上位時間軸のほうのMACD線が0ラインから遠ざかるケースも確かに存在してる。





多く獲るよりも確実に獲る。

多く獲ろうとすると、予想してしまう。チキン利確。

確実に獲ろうとすると事実確認をして対応する。



いつか必ずタイミングはやってくる。

好きなだけ何回でも見送って構わない。

ベストとはいえない多くのチャンスには参加する必要はない。

勝てる取引を大切にしないと、負けた取引の埋め合わせもできなくなる。


「人に優しくしたい」

 

この気持ちは、どんな悪人にも少なからずあるのではないでしょうか(逆にどんな善人にでも悪さしたい気持ちは少なからずあるでしょう。)

 

私は生まれながらにして、常にこの気持ちを抱いている感覚がありました。

 

だけど「優しくする」にも脳の機能が備わっていなければできないというのが今回の記事です。

 

これは世間では語られない私の経験談から話しますが…

 

 

 

よく世間では「優しさだけでは生きていけない」みたいな言葉を耳にします。

 

これには大人になるにつれて、現実世界を知っていくにつれてキレイゴトでは生きていけないみたいな意味合いを含んでいるかと思います。

 

「人間関係のしがらみによって、個人的には手助けしたいけど今自分にはできない」

 

「家族を養うことが優先されるため、他人は二の次になってしまう」

 

「自分の地位が失われるから支援できない」

 

「他人を助ける暇なんてない。自分のことで精一杯だ。」

 

「アイツ好かない。助けたくない。関わりたくもない。顔すら見たくない。」

 

などなど枚挙に暇がないほどです。

 

「いつから自分はこんな汚れた大人になってしまったんだろう…」

 

もしかしたら自分自身が汚れた立場になってしまって、こういう風に自分を嘆いている人もいるかもしれません。

 

世の中で語られるような「優しさ」を発揮できない理由はこんな感じでしょう。

 

 

 

しかし私は障害者であり、障害者の目線ならではの「優しさ」を表現できない理由はあまり聞かれません。

 

(たぶん障害者は共感していただけるかと。特に発達障害者には。)

 

障害者が優しさを発揮できない理由。

 

 

 

それは能力的に「優しさ」を表現できるほどの技術がない、というものです。

 

 

 

もちろん「優しさ」にはいろんな形態があります。

 

ただ黙って話を聴く。

 

一緒に寄り添ってやる。

 

などなど。

 

 

私が言う「優しさ」とは、「自分から能動的にアクションを取ることの能力はない」という意味で解釈してもよいかと思います。

 

自分から動くと、それは“有害事象”に発展してしまい、事態を悪化させてしまう可能性があるからです。

 

 

 

良かれと思ってやったことが、相手には大きなお世話だった。というケース。

 

たとえば、、、

 

目の前の人がモノを落とした。

本人はそれに気づいている。

本人は違う作業に取り組んでいて、あと5秒で作業が終わるから、終わったら拾おうとしている。

モノが落ちたことに気付いた自分が拾ってやって相手に渡す。

しかし、その行為が相手のパーソナルスペースを侵害してしまい迷惑で不快にさせた。

 

 

ほかには……

 

 

◯◯をやる。

この◯◯は誰にでもできる。

しかし自分には◯◯ができない。

なぜなら“手先が不器用”だから。

不器用な自分が◯◯をしたら、問題無く目的を達成できない。なにかしら出来の悪い結果になる。

しかし周りからの「お前がやれ」という圧力で、それを拒否できない。

自分がやるしかない。

結果……やらないほうが良かった。

怒られる。責められる。

 

他にもありますがキリがありません。

 

 

 

こういうことが発達障害者にはあるある話で、じゃあ一体何をすればいいのさ?

 

答えは簡単で「社会と接点を持たない(距離を置く)」がシンプルかつ最適解かと。

 

これは健常者には理解ができない感覚だと思います。でも恐ろしいことに、本当に我々発達障害者はこんな一般的には簡単かと思われることが非常に困難です。

 

しかし発達障害者支援の関係者もこれを理解している人は少なく、『支援=就労を継続させる』ほうへアプローチするケースが多すぎます。

 

「そういうことじゃないんだけどな…」

 

発達障害者の意見として、肌感覚ではそう思っているように感じます。

 

ぶっちゃけ資本主義社会では生産性や効率性の高い人材を必要としており、“無能な人”は現場にいたら邪魔ですよね。いくら無能な人がヤル気があっても、やらかしてしまいますから。その人に教育を費やす時間があったら仕事ができる人に仕事を割り振りしたほうが効果的ですし。これは雇用主、従業員、障害者…一体誰にメリットありますかね?

 

(あくまで資本主義を前提にした話でもの言ってますよ。)

 

 

 

発達障害者でいえば、ほとんどの人が社員から邪魔者扱いされて居場所をなくして、泣く泣く仕事を辞める。

 

だから当事者でさんざん痛い目を経験して二次障害を抱えまくった私の思いとしては

 

「無理して働かなくていいやんけ…」

 

ということに尽きます。

 

どんどん生活保護は受給していいし、もし改憲されて憲法第25条の生存権がなくなったら、それはそのときで何とかするしかないと思います。

 

でも憲法で保障されてる限りはどんどん生活保護は利用していい。じゃなきゃガチで生きていけない人種ですから。

 

働くことは社会貢献であると、世間では言われます。

 

しかし資本主義で定義されている社会貢献ですら、発達障害者には困難。不可能に近い人も多い。

 

働けているって、本当にラッキーな人だと思います。

 

キレイゴトはキレイゴトで済まされずに生きている障害者は腐るほどいますしね。

 

 

 

…ということで、私は基本的には人と関わるのは避けますし、困っていそうな人がいたら言語分野だけは長けている部類なので教えたりはしますが、動作が伴う手助けはしません。

 

それが賢明です。

 

道行く途中で転倒した人がいたら、敢えて無視することもありました(助けたい気持ちはありますが)。

 

それが事態を悪化させないためには仕方ない行動なのです。

 

私なりの「優しさ」です。

 

 

 

人に優しくしたいけど、脳の機能が異常なので当たり前ができない。

 

今日も私は目に見える困っている人を無視して自分のためだけ(それが結果的に他人のためになる)に生きると誓う中年のオッサンの物語でした〜〜〜。

 

ま、仕方ないよね。