自閉症の山奥中年ニートのゆるい暮らし。ときどき投資。

自閉症の山奥中年ニートのゆるい暮らし。ときどき投資。

山奥のシェアハウスで社会不適合者たちと暮らしています。発達障害(ASD)だから社会に適応できません。どうやら唯一トレードが好きだから、ひたすらトレードしてるかなぁ。

最近は大自然の中で農作業が主です。

先日、原付バイクを購入した。

 

村内は交通ルールがゆるいため、何の問題もなく運転できる。

 

しかし隣町に出てしまうと、見慣れない標識や標示が目に付くため「ん?」と思うことも多い。

 

そしてもっと栄えているところに行けば、車両通行帯が2つ3つあるため、ますますドキドキする。

 

ちなみにその道は自分で原付バイクで走っていないのだが、同居人の車に同乗したときにその道を通るので、自分で運転することをシミュレーションしてみるのだ。

 

車両通行帯が2つあるところは「右側のレーンに進路変更したいときには、進路を変える3秒前には方向指示器をつければいいんだよな・・・そのときに、車が突っ込んできていたら(“追い抜き”しようとしている車と距離を測れなかったら)どうしよう・・・」とか「二段階右折すべきところで標識に気付かなくて、小回り右折してしまったどうしよう・・・」とか、心配性だからいろいろ考えてしまう。

 

しかし同居人によると、「実際原付バイクでも二段階右折すべきところで、二段階右折したら逆に危ないから実際小回り右折している原付バイクは多い。特にはじめてその道を通る人(土地勘がない人)とかはよくやっている」という話を聴くと安心する。

 

ただ一番嫌なのは、煽り運転されることだ。

 

いくら俺が交通ルールを遵守しようと、ならず者がそんなことしてきたらもう嫌だ。

 

よくSNSとかYouTubeで観るムチャクチャな奴。

 

本当はそんな奴に対しては、ぶっ飛ばして懲役100年くらいにして、運転免許を剝奪してしまい、永久追放してしまいたい。

 

なんなら死刑でもいいと思っている。

 

しかし残念だがそんなことはできないので、本当にそんな輩とは遭遇したくないと願っている。

 

ただ煽り運転ではないのだが、この前は村内を走っているとき後ろから民間バス、車2台くらいに後ろから追いかけられる形になり、すごい嫌だったんだけど、そんなときは積極的に左に方向指示器を出して徐行レベルで走行して「停まるよ~」という意思表示をして先に行かせる。「ふう・・・後ろを走られたくねぇ~・・・」と思うが、すぐに回避ができるのが嬉しい。

 

「どんどん俺を追い越してくれ。俺は俺のペースで走りたい。俺の許可なく俺の後ろを走るな」という感じである。

 

あと原付バイクの最大のメリットは交通ルールに混乱してワケが分からなくなったら、方向指示器を左につけて原付バイクを停めてしまって、エンジンを切ってしまい『歩行者』になってしまえるというリーサルウェポンがあるのは最強である。

 

『歩行者』は何でもできるから最強だ。これがあるから原付バイクは強くて安心である。

 

「なんかわけわからなくなったら、とにかく『歩行者』になろう!!」

 

と固く決意して今日も原付バイクで走る。近日中には隣町にいかないとなぁ・・・

 

やっぱりASDだから過剰に不安感を抱くからだろうか。

 

にしても俺の原付バイクは49㏄なのに同居人のバイクは636㏄とかこの世のものとは思えないものを乗っている。

 

「もはや高速レベルだから、走行したら空気との摩擦が生じて発火するんじゃないの?」という感じである。

 

あぁ原付バイクで良かった・・・

 

同居人は頭が狂っているんじゃないのかな。

山奥に移住して1ヶ月以上が経ち、ついに原付バイクを購入した。

 

運転免許を取得してから20年以上が経つが、まさか40歳を過ぎてから自動車や原動機付自転車を購入するとは思わなかった。

 

なんかジモティーみたいなとこから入手したんだが、俺はまったくの素人のため同居人の力を借りて選んだ原付バイク。中古で40,000円で購入した。その日のうちに自賠責保険に加入したり、村役場へ行きナンバープレートの発行をしてもらい、ヘルメットを買った。

 

自転車には乗っていたんだが、やっぱり原動機付きの自転車はドキドキする。

 

同居人は当たり前にバイクやら自動車やら乗るので、玄人の指導を仰ぎながら初乗りをする。

 

なんかツーリング的な感じで先導してもらいながら、片道10kmくらいの村の道を走った。目的地は村内のガソリンスタンドである。その間ウインカーを出したのは一回だけで、あとは右手でスロットルを回したりハンドルブレーキを引いたりしただけで、村内を蛇行している登り下りの坂をひたすら走っただけだが目的地に着いたときは「おぉ〜っ!!」と感動した。

 

この4万円で購入した原付バイクは、ハッキングされた25,000,000円分(盗難時価)のイーサリアムよりも価値がある。

 

しかしながら「う〜ん…この原付バイクの625台分のイーサリアムが盗難に遭ったんだな…」と思うと、なかなかしょっぱい気持ちになるのはなぜだろう。

 

もういいや、過去のことだ。忘れよう。

 

とにもかくにも時速30km/h制限を遵守する俺の原付バイクの村生活が今はじまったのである!!

 

 

たまにはビットコインやイーサリアムといった仮想通貨(現在は『暗号資産』が正式な呼称)の話をしましょうか。




ビットコインが3月に1000万円を突破したことや、4月20日くらいに4年に一度訪れるという『半減期』を迎えるので今大変盛り上がっています。


はじめて私がビットコインの存在を知ったのは2014年でした。そのときは「100BTCくらいは買いたいなぁ〜」と思っていたのですが、当時は悪い人に騙されて大金を持ち逃げされて、借金を抱えて収支のバランスが見事に崩れ、債務整理中でした笑(自己破産まではしていない)


ま、債務整理中でも買いたきゃ買えばいいのですが、当時引っ越しやら就職やら新しい職場でのクソな上司のパワハラやらであーだこーだで、結局買い忘れましたね。


っていう思い出があるんですが、2017年の5月くらいかな?民放で「ビットコインが20万円突破」という報道を見てハッと思い出して、イーサリアムを大量買いした思い出があります。


んで、その大量買いしたイーサリアムも大半は後々ハッキングされるというオチがつくんですが笑


とまぁ、仮想通貨を一応長期的に保有しておりました。




ちょっと話は逸れますが、相場って買い手と売り手が存在して、お互いの売買価格が合致したときにはじめて値段が刻まれます。


たとえば…


Aさん「買いたい!俺にくれ!1,000円…いや1,100円!」


Bさん「ワイは1,200円で買うぞい!」


Cさん「私は1,300円で!」


みたいな人たちがいて、


Dさん「ワシは売りたいのだが、なるべく高い値段で買いたいという人に売りたいのう…じゃあ1,300円のCさんに売ろうかの」


ということでCさんとDさんが希望売買価格で合致して握手したら、相場では『約定(やくじょう)』ということになります。


逆に買い手と売り手がいたとしても、どうしても1,100円で買いたいけど、売り手側が1,300円で売りたいのを譲れないならお互いに握手できないので、永遠に約定しません。


だから値動きのチャートって『買い手と売り手の握手の軌跡』ですね。




話を戻しますと、昔ビットコインが発明された2008年から、2010年にはじめて10,000BTCがピザ2枚と等価交換され、、、急騰、暴落、急騰、暴落、急騰…という歴史を振り返ると、ビットコインを代表とする仮想通貨はスゲー発展したものですね。





んで、この仮想通貨。

実際にはじめて2017年から保有してきた私の感想ですが…


「う〜ん…日本居住者である限り、投資対象としてはウマミがないなぁ」というものでした。


なぜか?

簡単に言えば、日本の税制がクソ過ぎるのです。


現行の日本の税制では、仮想通貨は雑所得の総合課税です。利益分の額に応じて、税率が変わる“累進課税制度”が適用されています。


まぁ…細かいこといえば、ステーキングやらDeFiで運用していっても…とにかくウマミがない。


ですから利確するにしても「少額分の利確」をして、総合課税の税金を考慮していかなくては得しないのですよ😓


あぁ…だったら海外移住してしまうホルダーさんも頷けます。


よく仮想通貨で『億り人』って言われてウハウハで悦に入った人も、よくよく税金のことを考えたらハッキリ言えば冷めると思います。


これをキッチリ頭に入れてないから、億り人になってタワマン住んで高級車買って贅沢な暮らししても、結局巨額の所得税を納税できず、かつ税金は借金と違いチャラにできないので一家離散してしまい自殺した人も過去にいましたし。


仮想通貨を保有して億り人になっても意味がない。喜ぶなら税引後純利益で億り人になってからの話です。


(特に年末調整しか経験していなかったサラリーマンは確定申告をやったことがないので、まったく税制を知らずにこんな悲劇に遭ってしまったケースが多かったですね。)



あと、本当にクソなのは相続税です。

仮想通貨保有して超含み益あるまま死んだら、相続人に相続税率が最大110%という事実上の負債という資産を相続させてしまいます。


だからまぁ…現行の日本の税制では、もし仮想通貨保有して死んでしまったときを想定すると、遺言書には「相続放棄」するよう書き残したほうがいいんじゃないかな。


それか「死ぬぞー」ってときに全部売却して法定通貨に変えておく。んで死んだら死んだでいいし、もし生きてしまっていたら翌年の確定申告後の所得税で大金払うかもしれませんが、保有したままで死ぬよりは相続人に迷惑掛けないでしょう。


こんな事情があるので、仮想通貨はいち早く税制変更を望む。




…なんかもっと文章を書くつもりだったんだけど、急にめんどくさい気持ちになったので、スゴい雑な説明になってしまいスミマセン。


明日、農作業しなきゃだし、あそこのお寺の手伝いに行かなきゃだし、朝早いので寝ます。


おやすみなさい😪

今回の記事は自分でも「オモシロイよなぁ」と思い、記録にしたい意味も込めて綴ることにします。

 

 

私の住む山奥のシェアハウスには一般的に言う『社会不適合者』が集います。

いや、正確に言うと『一般社会の価値観やルールは無視して、自分の価値観を優先している人』が集うといったほうが的確でしょうか。

 

年齢はわりと30代の割合が高く、私は40代なので年齢が高いほうです。

 

ここで『社会不適合者→お金がない』といった連想になりがちなんですが、おそらくはマネーリテラシーがそこら辺の社会人よりは高い水準の人たちが集っている感じです(私もビックリしたんですが)

 

「お金がない人たち…だから生活を切り詰めて安い固定費で生活をしていける住まい、でも働けない(働きたくない)から最低限の収入を得るためだけの労働はする。」

 

という典型的な金無し貧乏人のイメージだったんですが、一通り会話をするとざっくり『FP技能士3級』レベルの社会保障や税金の知識は当たり前に持ってる人が多い印象です。しかもそれにとどまらず、実践的な金の工面の仕方が上手いw(もちろん合法でやってます)。

 

これって知識だけでは実践できるものでもなく、やっぱり環境や都市型生活者には不可能なことも山奥で共同生活を営んでいるから可能にしてしまえるという要因もあります。

 

 

ただ本当にビックリしたんですが「こんな感じなら、この人たちって別に山奥みたいな辺鄙な土地に移住してこなくても下界でもやっていけるんじゃない?」と思ったんですが、やっぱりそこは個々の価値観なんですよね。

 

彼らはお金がないのは確かなんですが、別にお金を欲しているわけではない。お金は生活できる程度あればいい。余分な金を稼ぐなら、自分の時間や楽しみを社会に奪われたくないという正直者の集団というのが見えてきました。

 

会話内容はテレビ見て娯楽に興じて、そこら辺の人と変わらない。でも金の話になると、わりと本質を外さない論理で話します。ざっくり言えば『日商簿記3級+α(少し2級に踏み込む)』レベルの知識を専門用語を使わずに会話していく感じですかね。(そもそも、たぶん簿記の知識がないのが伺える)

 

 

もちろんお金について分かってない人もいますよ。しかし共助精神が根付いている関係性がベースにあるので、相手と共有するように会話をしていくし置いていかないのです。

 

かと思いきや、計算が苦手で電卓使っても共益費を算出するのに自信がなくて戸惑う管理人だったりするのがまた滑稽なんですが笑

 

つまりは『一般的に連想する資本主義社会では見られない他人との人間関係』が築かれていて、これはスゴく貴重な経験をしていると思います。

 

 

私はビジネスはやりたくないタイプの人間ですが、「へ〜なんか…こういう感じに進めたら、あぁ…金は回り出せるからオモシロイかもなぁ」と興味が沸くまでの気持ちになりました(それでも私には行動力がない、体力がないからダメですが笑)。

 

あとは「金がない…けれども金の先にある“あれ”が欲しいから、あの人とコンタクト取ればいいわな」とか思うようになったり(←これは現代人だと“金を媒介させて入手しようとする”という発想しかないから、なかなかそう思えない)。

 

山奥という不便な土地は、創造性を育める環境でもあり、かつシェアハウスという家族でもない他人と利害関係なく生き抜く運命共同体には生命力を沸き立たせる源泉もある。

 

よくよく考えたら限界集落みたいな土地って、あんな環境でも自分たちの力で生活していかなきゃならないから、自分たちで何とかしてしまう知恵の持ち主があちこちに生きているんですよね。

 

「水は?食い物は?住まいは?」を解決まで導くの力強さを秘めている感覚。自分にはできないところは他人の手を借りる。それでもできないところは行政へ。

 

 

山奥に移住してから、人生において金を稼ぐ才能に長ける人というか、就職なんてしなくても自然に金を儲けられる思考の持ち主という人と出会った。

 

別に特定の組織に属さなくても、“個人”でやってしまえるのだからスゴイよなぁと思ってしまう。

 

その人は、簡単に言うと『買い手』を見つけて、その買い手が欲しいモノをどこからか安く仕入れて、買い手に売るだけである。自らの後ろ盾にネームバリュー(のれん)が付いていなくとも、買い手の欲しいモノの品質さえ高ければまったく問題はなく売れるらしい。

 

彼は他にもパチスロといったギャンブルもやる。

ただギャンブルをギャンブルとせず、キチンと店の当たりの出やすい日にちや曜日に狙いを付けて行き、そして当たりそうな台を選んで遊ぶ(もちろん事前にネットで情報を収集するし、リアルタイムでも情報はチェックする)。

 

競馬もやる。

人生ではじめて彼に競馬やパチスロへ連れていってもらって、彼から解説を交えながら聞くとオモシロイ世界だなと感じる。「地方競馬は〜〜…という事情があり、負けてる奴にも最後は勝たせるようにする」とか、ジョッキー同士の暗黙のルールがありレースを展開する事情があることは初めて聞いて斬新だった。

 

確率と期待値を勘案し、ゲームを無限にやるという前提でやり続ければ、収支はプラスになるというのがお決まりパターンである。

 

これはFXや株の短期売買でも本質は変わらない。

 

ただ自分は競馬やパチスロに行くのはメンドイし、パチスロなんて視覚過敏と聴覚過敏がある自分にとっては地獄の空間でしかなかった。サングラスや耳栓を装備しても、マックス3時間しか店内にいられない。いや、2時間かも。

 

 

まぁ…俺は無理はせず、俺のやれる範囲のことをやるしかできない。

ましてや彼のように顔も広くないので、対人で商売するのがメンドくさい。

 

彼も彼で金に対してそれほど興味がない部類の人間らしく、生活に必要な分の金があれば十分らしく、稼ごうと思えばいくらでも不労所得のシステムを構築できてしまいそうだが、それをしない。

 

それをするエネルギーや時間があるなら、人と話したり、DIYしたり、料理したりするほうが彼にとっては有意義な人生らしいのだ。

 

まぁ…しかし彼の話を聞くと、「就職なんかしなくても金は稼げる」というのは事実であり、物価は上がれど賃金上がらず、格差社会の貧困層に喘いで苦しんでいるのなら、『就職』というのは『貧困苦や精神破綻の牢獄』という気がしてしまい、ニートという言葉が誕生した当時『働いたら負けだと思っている』という名言も、現実的には真実味を帯びた言葉になってきた時代なんだなぁと思う次第である。

 

日本では2004年頃からニートが誕生した。

彼らは新しい時代を生きる価値観のパイオニアだったのだ。