今回の記事は自分でも「オモシロイよなぁ」と思い、記録にしたい意味も込めて綴ることにします。
私の住む山奥のシェアハウスには一般的に言う『社会不適合者』が集います。
いや、正確に言うと『一般社会の価値観やルールは無視して、自分の価値観を優先している人』が集うといったほうが的確でしょうか。
年齢はわりと30代の割合が高く、私は40代なので年齢が高いほうです。
ここで『社会不適合者→お金がない』といった連想になりがちなんですが、おそらくはマネーリテラシーがそこら辺の社会人よりは高い水準の人たちが集っている感じです(私もビックリしたんですが)
「お金がない人たち…だから生活を切り詰めて安い固定費で生活をしていける住まい、でも働けない(働きたくない)から最低限の収入を得るためだけの労働はする。」
という典型的な金無し貧乏人のイメージだったんですが、一通り会話をするとざっくり『FP技能士3級』レベルの社会保障や税金の知識は当たり前に持ってる人が多い印象です。しかもそれにとどまらず、実践的な金の工面の仕方が上手いw(もちろん合法でやってます)。
これって知識だけでは実践できるものでもなく、やっぱり環境や都市型生活者には不可能なことも山奥で共同生活を営んでいるから可能にしてしまえるという要因もあります。
ただ本当にビックリしたんですが「こんな感じなら、この人たちって別に山奥みたいな辺鄙な土地に移住してこなくても下界でもやっていけるんじゃない?」と思ったんですが、やっぱりそこは個々の価値観なんですよね。
彼らはお金がないのは確かなんですが、別にお金を欲しているわけではない。お金は生活できる程度あればいい。余分な金を稼ぐなら、自分の時間や楽しみを社会に奪われたくないという正直者の集団というのが見えてきました。
会話内容はテレビ見て娯楽に興じて、そこら辺の人と変わらない。でも金の話になると、わりと本質を外さない論理で話します。ざっくり言えば『日商簿記3級+α(少し2級に踏み込む)』レベルの知識を専門用語を使わずに会話していく感じですかね。(そもそも、たぶん簿記の知識がないのが伺える)
もちろんお金について分かってない人もいますよ。しかし共助精神が根付いている関係性がベースにあるので、相手と共有するように会話をしていくし置いていかないのです。
かと思いきや、計算が苦手で電卓使っても共益費を算出するのに自信がなくて戸惑う管理人だったりするのがまた滑稽なんですが笑
つまりは『一般的に連想する資本主義社会では見られない他人との人間関係』が築かれていて、これはスゴく貴重な経験をしていると思います。
私はビジネスはやりたくないタイプの人間ですが、「へ〜なんか…こういう感じに進めたら、あぁ…金は回り出せるからオモシロイかもなぁ」と興味が沸くまでの気持ちになりました(それでも私には行動力がない、体力がないからダメですが笑)。
あとは「金がない…けれども金の先にある“あれ”が欲しいから、あの人とコンタクト取ればいいわな」とか思うようになったり(←これは現代人だと“金を媒介させて入手しようとする”という発想しかないから、なかなかそう思えない)。
山奥という不便な土地は、創造性を育める環境でもあり、かつシェアハウスという家族でもない他人と利害関係なく生き抜く運命共同体には生命力を沸き立たせる源泉もある。
よくよく考えたら限界集落みたいな土地って、あんな環境でも自分たちの力で生活していかなきゃならないから、自分たちで何とかしてしまう知恵の持ち主があちこちに生きているんですよね。
「水は?食い物は?住まいは?」を解決まで導くの力強さを秘めている感覚。自分にはできないところは他人の手を借りる。それでもできないところは行政へ。