スピ系では、“縄文への回帰” という表現が、かなり前から語られていた。とはいえ、それらはセオリツヒメやニギハヤヒのような “埋没神の復活” として語られてきたものが殆どであり、縄文時代に関する概念的考察を試みた著作があったようには思えない。本書は、まさに、それを成した著作。2024年6月初版。

 著者さんが本書を書いたキッカケは、ブンジュ村の村長さんの語りを伝えているショーゲンさんとの出会いだったらしい。下記リンク動画に、その経緯が語られている。

  《参照》  「目覚めと日本人」―血の記憶が蘇るとは?

 

 

【物事の本質の半分】

 どうも今の考古学や歴史学は、科学的エビデンスという唯物的な価値観に寄りすぎているようにも見えます。

 それでは物事の本質の半分しか知ることが出来ないので、もったいないなぁと思います。物と心は表裏一体の両輪のような関係であり、同じように、表象を支えているのは潜象の世界なのですから。(p.55)

 考古学が対象としている縄文時代を、現代人の思考様式で語るのは、まったくもってナンセンス。文字としての古典が残っている時代であってすら、現代人の思考様式や概念仕様の延長で推し量ることなどできない事例は多々あるのだから、それが1万2千年以上の宇宙史的スケールの径庭であるなら、なおさらである。

 現在の地球は、1万2千年ないし2万4千年という宇宙史的スケールの遥かなる巡りの時に遭遇している。なればこそ、現代人の多くが失っているスピリチュアルな脳力を持っていた古代人たちの概念仕様は、著者さんのようなスピリチュアル脳力を備えた人々によって、紐解かれ語られるのが相応しい。縄文時代の解明に関しては、左脳で考察するだけの考古学者さんたちなんかじゃぁテンデ役に立たないのである。

 

 

【黒又山・大湯環状列石のエネルギー】

私は個人的にストーンサークルを訪れるのが大好きで、いろんな場所を訪れているのですが、やはり大湯環状列石は圧巻です。そこで瞑想すると、ダイナミックなエネルギーの流れを感じることがあります。

とりわけ、大湯では、黒又山に下りた神聖なる気(エネルギー)が、大地を通って野中堂の中へ入り、左回転をしながら野中堂の中央付近にある立石から出ていき、次に右回転しながら万座の方に流れ、渦を描きながら、やがてまた黒又山へと戻っていく、というトライアングルのエネルギーの流れを感じました。

 さらにその流れが、弧を描くように渦巻いて、黄金らせんを描くように、日本を覆っていくようなイメージまで浮かんだのです。(p.156)

  《参照》  黒又山・大湯環状列石

 著者さんのように、縄文遺跡のエネルギーを感受できる人々が増えたら、真正日本の復活は早いだろう。

  《参照》 『瀬織津姫とムー大陸再浮上』 まありん (ヒカルランド) 《後編》

        【巨石文明に秘められた超パワーの封印解除】

 

 

【文明=文字の有無?!】

 文明(Civilization)とはどんなことかというと、知的・文化的・物質的に発達した社会の状態のことを指します。とりわけ、文明と呼ぶ切り札になるのは、文字の有無で、縄文時代は文字がなく、かつ原始的な社会であったため、そもそも「文明」に値しないというのが一般的な見方となっています。(p.72)

 これぞ “現代文明の驕り” そのもの。

 縄文人から言わせれば、スーパー、ウルトラ、ぶっ飛び、ド🐙な見解。

 記録媒体は脳内ですが、・・・(中略)・・・、口伝の手法を重要視していたために、文字を持たない選択をしていたのかもしれませんし、もっというと、テレパシーで伝授していたのかもしれません。(p.73)

 縄文人たちは、文字など必要としなかったんだっ🐭の!

 🐙~~~~コな現代文明人どもは、縄文を語る資格なし!!!

 

 

【土器:焼成の技】

 粘土質の土に水を混ぜ、形を整えてから火にくべ、焼成して出来上がる土器。この器があることで、それまで固かったり、渋かったりして食べられなかったものが、食べられるようになったのです。しかも、美味しいのです。(p.76)

 まさしく生きながらえるための「食餌」から、調理を工夫していただく「食事」へと進化した見事なる転換点が、縄文の始まりであったということです。・・・(中略)・・・。

 土・水・火・風という四代元素を活用し、世界最古のセラミック製品を「発明」してしまった縄文人たち、すごいなぁ。(p.77)

 “火” を用いた “焼成の技” は、土器から金属器へと発展的に進展し、ターミナルとしての錬金術へと発展してゆくものなのだけれど、日本に住んでいた縄文人たちは、その技を アメノマヒトツ(天目一箇命)⇒ アラハバキ として神格化するにとどめてしまったらしい。

 《参照》 “アラハバキ” に関する引用一覧

 日本の縄文時代においては、なぜか金属器へとは進展せず土器(セラミック)の作成だけで止まっていた。

 高次の叡智を秘めた日本の縄文人たちは、金属器がもたらす先の未来を見て “あえて止めていた” のだろう。

 《参照》 『日本人が知らない「人類支配者」の正体』太田龍・船井幸雄(ビジネス社)

       【破壊のエネルギーを封印してきた日本】

 だから、日本の縄文人たちは、実用性を超えて芸術性のある火焔型土器を作っていた。

 金属器による戦争破壊ではなく、土器によるスピリチュアルな芸術創造を選択した。

 これ、すなわち高度な霊性を秘めた民族であったことの、明確な証拠である。

 いきなり視点を変えるけど、日本語には、縄文起源のシッポが色濃く残っている。

 《参照》 日本文化講座⑩ 【 日本語の特性 】 <後編>

       ■ 音と質の日本語 vs 意味と量の外国語 ■

 

 

【アンギンの服が出来上がるまで】

 アンギン(編布)の服が出来上がるまでを試算すると、軽く1年以上はかかったであろうとのこと。けれどもそこには、植物の繊維から糸を作る時間が含まれていないので、そこを含めると、1着できるまでにかかった時間は2~3年(!!)だったであろうとのこと。(p.113)

 奇麗で肌触りの良い服など、安価で容易に入手できる現代人がこれを読めば、「だから、縄文は未開文明だっ🐭の!」って思うんだろうけど、それは間違っている。

 高度な霊性を持つ人々は、速成に価値を置かない。丹精込めた物作りの過程にこそ魂が宿ることを共同体全体が認識していたのである。「魂の視座に住していたがゆえに、時を急がずに、次元をまたぐ物創りに専念できたんだっ🐭の!」

 下記リンクの2つは、縄文のエッセンスを語っている最重要ポイント。

 《参照》 『願いをかなえる「縄文ゲート」の開き方』保江邦夫(bio)《前編》

        【魂を込めた(霊性による)物作り】

 《参照》 『藍の書』 辻麻里子 (ナチュラルスピリット) 《3/4》

        【次元を超えて存在し得るもの】

 視点は変わるけれど、これから進展してゆく地球文明は、多くのことがAIによってなされるので、人々の労働時間は減少することになる。よって、その分、人々は進んで芸術的・創造的なことに時間を費やすことになるだろう。高度に科学技術が進展し、意識が進化した人々が住む文明では、必然的に、そのようになってゆくもの。

 故に、新たなルネッサンス(人間復興)時代が花開く地球上において、縄文的生き方は、必ずや再評価されることになるのである。

 

 

【土偶は祈りである】

 ただ一つ、確実に言えることは、「土偶は祈りである」ということ。

 祈りがかたちとなり、お土の中に想いがねり込まれているんだなぁということが伝わってくるのです。

 例えば、胸の部分に粘土を添えるときには、「よくおっぱいが出るように」と祈り、お尻の部分に粘土を添えるときは「安産で生まれますように」といったように、それが出産、あるいは豊穣祈願にしろ、強い祈りがあってこその産物でしょう。

 私の個人的な感覚としては、土偶の正体は(すべてというわけではありません)、人というよりも、人にある霊的な本質・本体を描こうとしたり、あるいは彼らの心眼で見た、高次の存在の姿だったり、自然や植物のスピリットである精霊たちの姿を、彼らの精神宇宙から見た姿として創られたのではないかと考えています。(p.164)

 土偶が何を表しているのか、様々に推測できるけれど、「祈りである」ということは絶対に間違いない。

 《参照》 『日本国史(上)』田中英道(育鵬社)《前編》

        【土偶】

 

 

【火焔型土器と王冠型土器】

 自分を縮小サイズにして土器の口縁にたっているのだと考えると、やはり火焔型は海の波に見えてくるし、王冠型はそびえたつ山に見えてきます。

 ウミとヤマ。性質は全く異なれど、どちらも恵みを与えてくれる大切なる空間であり、「カミ」を宿すものとして、敬意を示し、恐れ敬ったのではないかと考えられます。(p.174)

 どちらも祭祀用に用いられたハレの日用の土器。

 《参照》 『日本国史(上)』田中英道(育鵬社)《前編》

        【火炎土器が表す水信仰】

 《参照》 『瀬織津姫とムー大陸再浮上』 まありん (ヒカルランド) 《後編》

        【縄文の火焔土器】

 火焔型土器と王冠型土器の口縁の形について、

 上から見ると火焔型が丸いフォルムで、王冠型が四角いフォルムなのです。・・・(中略)・・・。

 〇と□で思い出すのは、古代中国の宇宙観である、天は丸く、地は方形であるという「天円地方」という考え方です。(p.175)

 土器って、たいてい横から撮られた写真が掲載されているだけから、王冠型土器を上から見たら “四角い”  🐭ことを知って 「へぇ~」である。

 

 

【カミなる力の働き「ヒ」】

 縄文の人たちは、あらゆるものの中にある神性―――カミなる力の働きを「ヒ」と呼び、その「ヒ」が空に浮かんでいるものを「おヒさま」と呼び、それと同じような輝きのものを炉の中にくべたものも「ヒ」で、特に大切にしたのだと思われます。

 そしてそんな「ヒ」なるものの姿は、丸い「タマ」として捉えられ、のちのその活動体が、マガタマとして捉えられたり、尊いヒをいただき留め置いた存在として「ヒ・ト」と呼ばれるようになったのでしょう。(p.190)

 「ヒ・ト」⇒「霊・止」⇒「人」。

 「ヒ・ト」⇒「一・十」⇒1、2、3・・・9、10まで、全てを含むもの。

 ヒのめぐみ、ヒのみかげ、あらゆるものにカミ宿る世界―――そこから見えてくる世界は、孤立無援な自己ではなく、存在そのものが世界を構成する大切なひとかけらとして、すべてが生き生きと繋がり合い、生成化育発展消滅していく自然の摂理であり、宇宙の法則性ともいえるのです。(p.190)

 「ヒ」に関するこの記述を読んで、島根県にある意宇六社の中の一社である「火の発祥の神社」、熊野大社と同時に、「ヒの元を運んできた神巫女」たちのことが書かれていた下記リンク内容を思い出していた。

  《参照》 『 【宇宙の創造主:マスター】との対話① 』天無神人(ヒカルランド)《後編》

         【神巫女たち】

         【出雲国一之宮 熊野大社】

 

 

《中編》