簡潔に記述されているので、「歴史なんて、ほとんど興味ない」と思っている人々であっても、些細な理由で手に取ることがありさえすれば、上・下巻を全部通読できてしまうだろう。チャンちゃんは、“日高見国” という単語に惹かれて “蝦夷” のことがさらによく分かるなら・・・と期待して手に取ったのだけれど、ハズレ。であるにせよ、「それ以外の箇所に関して、頭が整理できて、良かった」という感じである。2022年3月初版。

 

 

【タイトル解題】

 この本が「日本国史」という題名であるのは、古墳時代の「大和国」の前に、縄文・弥生時代に「日高見国」(日本国の原義ともなる)という国家の存在が確認できるようになったからです。それが祭祀国家であったにせよ、「大和国家」へ続き、原初から日本には国家の歴史があったと考えられるようになったからです。(p.7)

 ゆえに、本書の第1章は、日高見国――縄文・弥生時代、関東にあった祭祀国家、となっている。

 つまり、日高見国という、神話の高天原と対応する現実の国があったと想定されるのです。それは『日本書紀』に記され、『常陸国風土記』、祝詞にも触れられていました。(p.7-8)

 日本古代史の考察は、文献として残っている『記・紀』――『古事記』(712)・『日本書紀』(720)――が大元になっているけれど、同じ頃できていた “地方の伝説や地理、産物などを書いた『風土記』(713)” は、『記・紀』に比べて言及されることはそれほど多くない。なんで?

 政治の中心地ばかりに意識が集中していたからなんだろうけど、本書にしても、古代遺跡の発掘などが契機となって、日本の東側に存在した国家と呼ぶに相応しい日高見国が浮き彫りになってきたので執筆に至ったということらしい。

 日高見国に関しては《後編》に纏めておいた。

 

 

【土偶】

 私は文化人類学や形象学の視点から、それを近親相姦によるによる異形の人々が、信仰の対象となってつくられたものだ、と分析しました。その形象の例は、南米にもたくさんあるからです。

 その見方が妥当性を持つのは、神話では、イザナギ、イザナミが兄妹婚だからです。そして、その子が蛭子(ひるこ)であったことは、そのことを語っています。さらに記紀には、それ以前の神々は、兄妹婚であることが語られています。神話とはいえ、かなり現実的な性の問題が語られていたのです。

 土偶の形からその意味を分析する、という作業は、「文化的」な創造物が、神話だけでなく、「歴史」そのものとも関わっていることを明らかにします。そこから継続した「歴史」自身の姿が現れるのです。土偶が各地でつくられているということは、各地に共通の家族認識があるということです。(p.8-9)

 『記紀』にある蛭子の話に関して、「旧約聖書にも、同様な話がある」と知って以降、いっさい認識に変更や増減はなかったのだけれど、土偶が蛭子に絡んでいる🐭のは、なん🐭か本中華・・・。まあ、どうであれ、当時は世界中で、近親婚による蛭子ちゃんがたくさんいた、っ🐭ことだろう。

 《参照》 『縄文からまなぶ33の知恵』はせくらみゆき(徳間書店)《前編》

        【土偶は祈りである】

 

 

【旧石器時代の遺跡から見える「太陽信仰」と「常陸国」】

 岩宿遺跡(群馬県みどり市)、休場遺跡(静岡県沼津市)、野尻湖遺跡(長野県信濃町)、浜北人で知られる根堅遺跡(静岡県浜松市)のような旧石器時代の遺跡が関東や中部地方で多数見つかっています。・・・(中略)・・・。九州をはじめとする日本の西半分には旧石器時代の遺跡は非常に少なく、東半分に多いということなのです。この傾向は縄文遺跡について見るとさらに明らかになります。(p.22-23)

 日本列島にある旧石器時代の遺跡数は、10150で、朝鮮半島には50程度しかないそうである。

 ここからわかるのは、旧石器時代に日本にやってきた人たちは太陽を求めてやって来たということです。(p.23)

 古代人が目指していたのは、太陽が昇る場所「日の本」であり、その中でも、太陽が昇る地域の東日本だった。海流に乗ってやってきた人々は、沖縄、九州、四国、紀伊半島、東海から、房総半島の南端を回って、しばし北東方向に進み、銚子の先っぽを過ぎた付近で、「もう、これ以上東側に陸地は無いらしい。ならば、こここそがワシらの目指していた “日立ち昇るところ” である!」🐭ことで、そこを常陸(ever land)と書き「ひたち」と読むようになったのだろう。

 また、カトリック教会はすべて東を向いて建てられており、エデンの東にあるパラダイスが実在するなら、それは極東の地にある日本だった、🐭ことになる。

 最近見たテレビ番組によると、日本で最も認知度の低い県として、毎年ワースト1位を争っているのが茨城県(常陸国)らしいけれど、「茨城県は、エデンの東にあるパラダイスの地なんだよ~~~」って、なんで堂々とエバらないんだろう。とチャンちゃんは思う。

 

 

【縄文土器の縄目模様】

 縄で思い浮かぶのは、神社の拝殿の正面に飾られている注連縄です。神木とされる幹にも注連縄が巻かれているのを見かけます。・・・(中略)・・・。縄は外から穢れたものが入ってこないようにする境界でもあったと思われます。(p.39)

 縄目の文様という装飾で土器を飾ることによって、中の食べ物を神聖なものとして見る、あるいはそこに霊的なものを見るということがあったように思うのです。(p.40)

 日本人なら、この見解に、みんな同意するだろう。

 

 

【火炎土器が表す水信仰】

 装飾性の強い、炎を思わせるダイナミックで躍動的な造形が特徴ですが、・・・(中略)・・・。よく見るとあの文様は水の流れを表す水紋なのです。

 なぜかというと、火焔は渦を巻かないからです。(p.41)

 火焔が、土器にある模様ほど顕著な渦を複数巻くことは、確かに、ほぼないだろう。けど、だからといって、その模様、水紋だろうか。

 チャンちゃんが同意するのは、やっぱ下記リンク。

 《参照》 『瀬織津姫とムー大陸再浮上』 まありん (ヒカルランド) 《後編》

        【縄文の火焔土器】

 《参照》 『縄文からまなぶ33の知恵』はせくらみゆき(徳間書店)《前編》

        【火焔型土器と王冠型土器】

 

 

【神話と歴史の連続性】

 人類学者のレヴィ=ストロースは『月の裏側』という本の中で、世界の神話はだいたい歴史と連続性がないが、唯一日本の神話だけは歴史と結びついているといっています。そのような見方で記紀を注意深く読んでいくと、確かに日高見国という存在があったことが見えてくるのです。(p.73)

 かつての日本古代史研究学会で、日高見国がどのように解釈されていたのか知らないけれど、日高見国の存在に関しても、戦後GHQの指示で歪曲された中の一部だった、🐭ことなのだろうか?

 

 

【美豆良の武人埴輪】

 千葉の芝山遺跡から出土した大量の美豆良(みずら)をつけた人物埴輪を見るまではユダヤ人だとは確信が持てませんでした。

 そこから発掘された武人埴輪は、ほとんどすべて、帽子までユダヤ教徒の服装をしていました。これをイスラエルのテルアビブ大学の日本学会で発表した時、・・・(中略)・・・、こうした美豆良や帽子は、18世紀くらいから始まったもので、4,5世紀のものではない、と、もっともらしい意見も出ていますが、・・・(中略)・・・。旧約聖書の「レビ記」に、ユダヤ人は美豆良をつけるべし、と書かれているのです。(p.90-91)

  《参照》 『禁断の日本超古代史』宗川日法(グリーンアローブックス)

         【日本・ユダヤ同祖論の傍証】

 

 

 

《後編》