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 1994年に既読の書籍。著者は霊夢で、「日出ずる国は、岐阜の北」 という教示を受けたという。それから、体制側から疎まれ、退けられてきた異端の書、禁断の書である、超古代文献を紐解くことになったという。
 最近、神道系の霊能者さんが、以前から日蓮のことを語っていたことが気になりだし、仏教渡来以前の超古代日本を扱いながら、この本の著者が法華経系統の僧侶であるという点を思い出して再読してみた。

 

 

【日本・ユダヤ同祖論の傍証】
 日本・ユダヤ同祖論について、いろいろな主張を紹介した後、著者は以下のように記述している。
 私の立場からいえば、日本人の守護霊に外人、とくにユダヤ系の外人霊が目立つことである。これは霊視者なら誰でも知るところだろう。 (p.117)
 実証主義の観点からいえば論外の記述ではあっても、私には、このような記述の方が確証的に思えてくる。
   《参照》  日本文化講座 ④ 【 日本と古代キリスト教の関係 】

 

 

【国津神系の荒覇吐一族】
 荒吐、荒覇吐、いずれも同じ一族を意味している。
 (神武との戦いで)足に重症を負った長髄彦は大和を脱出し、ともに戦った安日彦と福島県の会津で落ちあい、津軽まで落ちのびた。・・・(中略)・・・。
 私はそう確信して、長髄彦について東北の資料を求めてみた。すると案の定、長髄彦と安日彦の一族が混血融合して生まれた荒吐一族に、私を驚かせる証拠が残っていたのである。 (p.187)
 長髄彦から出雲神族の系譜を継いだ荒吐一族が、東北地方を日の本の国と自負していたことは、北海道を含む広大な勢力圏から考えておかしくはない。 (p.188)
 長髄彦は日本を守護する龍神系であり、荒吐神も同様である。だから、国津神をもって象徴する龍神系の抹殺こそが神武軍(八咫烏にみられる龍神系)の最終目的であったのではないか。 (p.189)
 東北地方には、中国系(儒教系)・アジア系(仏教系)の神人・聖人の縁があって然るべき神霊空間が多く残っている。国津神系の守護下にあったことは必然なのであろう。
 なお、表紙にある片足の土偶は、片足を薙ぎ払われた長髄彦の姿を象徴していると、著者は記述している。

 

 

【荒覇吐・その呼称が意味するもの】
 (岩木山での)私の霊視には、空中高く飛来してくる岩石と土泥の一群があった。見ようによっては、細長い船のようである。・・・(中略)・・・。
 そういえば、
新潟県の石舟神社には、祭神は天空から飛来したとの言い伝えが残されている。この祭神・饒速日命は、天磐船に乗って天空から降臨したと、社伝に記されているのである。私が霊視した空中を飛翔する土石の流群は、いわゆる天磐船のことであり、饒速日命はこれとともに来たのだろうか。
 代表的なピラミッドとされる長野県皆神山の土質や石質が、本来の土地のものと異質であることも、この天磐船を推理の材料としてみれば、筋が通る。
 荒吐の呼称が強大な力のイメージを伴うのは、
岩木山にまつわる大自然の力、すなわち天の一角から荒々しく吐き出されてくるような、巨大な土石流砂群への畏怖と表裏一体のものなのではないだろうか。
 荒覇吐王国が、実質的に大和朝廷に敗北するのは、永承6年(1051)から始まった前9年の役によってである。こうして東日流(つがる)の歴史は表舞台から消えてゆくのである。 (p.201)
 

【天と地を結ぶ磐石の梯:会津磐梯】
 磐梯山は、会津を代表する山である。この磐梯山は昔、磐椅山と呼ばれており、山頂には会津地方最古といわれる磐椅神社があった。
 初代会津藩主の 
『保科正之』 公の墓が磐椅神社にあるというのも、磐椅山と磐椅神が会津を守り、はぐくんできたという深い信仰が、この地方に固く信じられてきたからに他ならない。 (p.207-208)

 これは推論だが、古代東北においては、荒覇吐王国(東北北部)が東日本における最重要の国であった。日本を東西に分断するとき、倭国(西日本)と日の本の国(東日本)の接続点にあったのが、会津だったのではないだろうか。
 日の本の荒覇吐王国は、勝者も敗者もなく、あらゆるものを差別なく受け入れる国であったという。それが日の本の政治理念であった。したがって会津は、征服と不征服の思想を分かつ重要な地点にあって、政治的にも宗教的にも日本の新しい夜明け、すなわち蘇生を、つねにいろどってきたということがいえる。 (p.211)

 磐梯山に上り猪苗代湖の畔で一夜を過ごしたとき、いつもなら鈍重な肉体が天地を結ぶ透明な導体になったかのように感じられたことがある。鈍感な私でもそう感じられたのだから、磐梯は普通の土地ではない。

 

 

【世界人類に和合をはたす日嗣の心】
 結局日本は、世界の和合のために礎となるべき国であり、したがって、日本人はすべて、そのための菩薩にならなければならない。
 菩薩は、他のしあわせを先として、自らのことは後回しにする聖者のことである。 (p.243)
 菩薩という仏教用語が用いられているけれど、これは神道の基となる日嗣の心である。

 

 

【日蓮と法華経】

 日蓮聖人の伝記によると、聖人はみずからを 「天照大神の御厨内の生まれ」 といって、国津神の有縁の地に出生したことを書き留めている。
 さらに、これは伝説であるが、聖人が畿内遊学の際に、吉田兼益から神道を学び奥伝を授けられた、と伝えられている。 (p.234)

 著者は法華経系の僧侶であるけれど、私はこの書籍を初めて読んだのと殆ど同じ時期に、神道系の霊能者さんからも、日蓮に関して、ある程度似たような説を耳にしていた。(この書籍に記述されている会津磐梯山、その他の地域に関しても、共通する記述が比較的多い)
 神道と法華経に通底する精神は、日嗣の心に最も合ったものらしい。それは、遠い昔に複数の仏教経典を解釈するに及んで、聖徳太子が定めた如くのようである。
 
<了>