横帯に記述されているように「日本の開国は在外皇統の強制指令」という内容の一部を書き出しておいた。2014年12月初版。

 

 

【大塔政略】

 私は、後醍醐天皇と文観が極秘裏に建てた国是がことごとく実行されたことを、京都皇統代から知らされました。その国是を拙著は「大塔(おおとう)政略」と呼びます。(p.5)

   《参照》  『地球維新 天声会議 宇宙の黙示録』監修・中今悠天(明窓出版)《後編》

           【楠木正成と文観から見えるもの】

 鎌倉時代末期に建てられた「大塔政略」は、大覚寺統と持明院統に分かれて対立していた南北両皇統の統合だけでなく、わが国体(國體)すなわち「日本社会の在り方」を明確にしたうえで、日本が世界において占むるべき位置を定めたのです。

 建武元(1334)年の鎌倉幕府倒壊で始まった建武新政に際し、南北両皇統は「大塔政略」に基づき、①大塔宮護良親王の王子を秘かに光厳上皇の第一皇子興仁(おきひと)親王として南北皇統を強制的に統合すること、②皇統を大塔宮の子孫に一本化して皇室の万世一系を確立すること、③薨去を偽装した大塔宮が南都西大寺に入って散所経済と商業流通界を統括し、足利尊氏が幕府を開いて荘園経済と守護領国制を管掌することを秘密裏に合意したのです。(p.5-6)

 「大塔政略」の根幹の一つとして、大塔宮の王子・王孫が西大寺の莫大な資産を携え南朝勢を率いて海外へ進出することが定められ、そのために巨船建造と港湾整備を行ったのです。

 要するに「大塔政略」は、大塔宮の王子・王孫が南北の二手に分かれ、伏見殿が北朝足利政体の傘の下で二代目國體天皇に就く一方で、西大寺入り以降の大塔宮の王子・王孫が南朝勢を率いて海外に進出することを定めたことで、両者の棲み分けを明確にしたのです。(p.24)

 即ち、『欧州大塔宮』とは、西大寺入りした大塔宮の王子・王孫に連なる南朝勢たちのこと。

   《参照》  『ついに国家が消滅し、人工知能が世界政府を作ります』田村珠芳(徳間書店)《前編》

           【大塔宮・護良親王】

 

 

【足利直義】

 「足利直義は尊氏の実弟ではなく外から入れられた」と、京都皇統代の舎人から聞いたのは10年以上も前のことです。鎌倉幕府成良親王の執権として大塔宮の保護に当たっていた直義は、「中先代の乱」に乗じて腹心淵辺義博に大塔宮を偽装弑逆させ、房州白浜への護送を命じていますから、その本質は隠れ南朝派として後醍醐・護良に仕える國體奉公衆ですが、出自は不明です。(p.25)

 『太平記』をマジに読んだことがある人なら、大塔宮の最期に関しては、釈然としないウヤムヤを必ずや抱えていたはず。だからこそ、ストンと腑に落ちる内容。

 『太平記』は、明らかに “カモフラージュのために作られた迷作大河小説” ですね。

   《参照》  『キミノ名ヲ。』 5巻 梅谷百 《前編》

            【大塔宮殺害に関する「太平記」の記述】

            【書簡】

            【足利直義(ただよし)】

 その後の直義は、おそらく西大寺南朝勢の海外進出に混じり、熊野巨船に乗じて東南アジアに渡ったものと推察されますが、あるいは欧州入りしたこともあり得ます。(p.26)

 

 

【オランダ王家、オラニエ・ナッサウ家】

 14世紀の後半、・・・(中略)・・・。混乱を極めた欧州全域ではアシュケナジーはじめ族種の移動も激しく、大塔宮王子・王孫を奉じた西大寺の南朝勢力が秘かに侵入するには、またとない時宜でした。入欧南朝勢力はこれを千載一遇の好機として、日本から携えた西大寺の黄金を資本とし、ベネルクス地方(ベルギー・オランダ・ルクセンブルグの三国)を本拠地とした経済活動で富を蓄えます。

 経済活動はフランドル地方の毛織物に関係したものと推測されますが、ともかくその富で雇った傭兵による領地争奪戦で軍事的成功を重ねた渡欧南朝勢力は、ベネルクスとスイスを拠点として欧州貴族に成りすまし、その棟梁の大塔宮王子・王孫は諸侯の縁戚となり、正式に所領を獲得して諸侯になります。

 その名をあえて記せば現在のオランダ王家、オラニエ・ナッサウ家ですが、人種の坩堝だった当時の欧州人は日本を認識しておらず、彼らを日系人と気づく人がいたとは思えません。・・・(中略)・・・・。

 南朝勢の海外進出は、ほんらい「大塔政略」の骨子をなす重要な一環で、14世紀末に大塔宮王子を擁して欧州に進出したことを嚆矢としますが、それだけにとどまりません。その後も入欧南朝勢の後を追って後南朝勢が毎年渡航して加わったのです。(p.33-34)

 今上天皇が皇太子だった頃も、ヨーロッパに行くとなれば必ずやオランダ王家に滞在していたことがしばしばテレビ報道されていたけれど、同じ血筋の「欧州大塔宮」だから、ということなのだろう。

 オラニエ公ウィレム1世が1575年に設立したライデン大学の実質的創立者は、この地に根を張った海外南朝勢力で、室町時代から毎年数人の國體奉行衆が日本から留学していたそうです。(p.35)

 

 

【カリブ海西インド諸島への進出は、欧州より日本が先】

 入欧南朝勢の活動範囲は欧州ばかりでなく、ノルマン人に混じった先鋒は、コロンブスより前に大西洋を越えてカリブ海西インド諸島のドミニカ島に到達したと聞きます。欧州人がいう「大航海時代」は1415年に始まりますから、海外進出は日本の方が半世紀も早かったのです。(p.34)

 

 

【ウィーン会議(1815年)と明治開国】

 「欧州王室連合」のウィーン会議が「日本の強制開国」を決定したのは、当時の行き詰まった欧州の経済情勢を打開するのが目的でした。自給自足の鎖国体制を守っていた日本に開国させて世界経済に巻き込むためです。(p.19)

 日本の強制開国を國體天皇に伝えてきた「欧州大塔宮」とは、大塔宮護良親王の王子が南北朝時代の14世紀後半に欧州に渡り、欧州貴族となった一族の子孫のことです。(p.20)

 明治開国を外から推進したのは、「大塔政略」に基づいて700年前に海外進出していた「欧州大塔宮」=「海外南朝」であった🐭こと。これを踏まえるなら、明治維新に関するよもやま話の真実が分かりやすいだろう。

 

 

【欧州社会に張ったネットワークで莫大な富を蓄えた「欧州大塔宮」】

 「欧州大塔宮」とその配下の「海外南朝勢力」は、当初ベネルクス地方に本拠を置きましたが、やがてスイス、アルザス、ポルトガルからケルト族のスコットランド、アイルランドに広がり、欧州社会に張ったネットワークを利用した効率的経済活動により、莫大な富を蓄えます。(p.35)

 スイス連邦が永世中立を宣言したのは、欧州王室連合の“金庫国”となったためです。(p.38)

 これらの記述を元にすれば、「欧州大塔宮」≒「欧州王室連合」ということになってくる。

 近年の地球解放に関わる世界的視点でいえば、口座名義を秘守するスイス銀行口座こそがDS(世界支配者)の資金溜りとして標的となっている。欧州王室連合の実質的な金庫番はロスチャイルドなのだから、「欧州大塔宮」の金庫番は、DSの中核であるロスチャイルドということになるけれど、この話、本書の読者は、耐えられるだろうか? 耐えられないなら、下記リンクを読んでおいてください。

   《参照》  『大宇宙連合からの啓示』 田村珠芳 (徳間書店) 《3/4》

           【皇室の財産の使い道】

           【孝明天皇の財産】

   《参照》  『吉備太秦が語る「世界を動かす本当の金融のしくみ」』板垣英憲《前編》

           【ゴールドマン・ファミリーズ・グループ】

   《参照》  『吉備太秦が語る「世界を動かす本当の金融のしくみ」』板垣英憲《中編》

           【ゴールドマン・ファミリーズ・グループの決定事項】

 とはいえ、『日月神示』では目的を達する上での必要事項として、以下のように書かれている。

   《参照》  『闇の終焉と地球元年』 中矢伸一&ベンジャミン・フルフォード (VOICE)

           【王統を消すのざぞ】

 「大塔政略」の目的は、『日月神示』の目的に沿うものなのかどうか、が問題だろう。

 

 

【ケルト・アイルランドの系譜】

 平成8(1996年)に吉薗明子氏から、「ケルトと日本人は親戚」と聞いて不思議に思い、ケルトを調べたことがあります。・・・(中略)・・・。その折に聞いた「竹鶴正孝氏がスコットランドで親戚扱いを受け、醸造の秘伝をことごとく教わったうえに嫁さんまでくれた」との話が記憶に残りますが、出所はおそらく大徳寺の立花大亀和尚と思われます。竹鶴正孝氏のニッカウヰスキー創業を題材にしたテレビドラマ「マッサン」が始まったと聞きますが、それを観られる読者は、竹鶴氏との関係の奥に横たわるスコットランドの「海外南朝勢力」の存在を洞察して頂きたいものです。

 ケルト人が住民の多くを占めるスコットランドから、明らかに海外南朝勢力の一員とみられる人士が幕末に来日します。その代表が武器商人トマス・ブレーク・グラバー(1838~1911)で、父が一等航海士ですから、あるいは南朝熊野水軍の裔かもしれません。(p.35-36)

 ニッカの竹鶴正孝さんはいいとして、グラバーが「欧州大塔宮」の系譜というこの記述を読んで、ここから先の本書を読む気になれなくなる人は、少なくないような気がする。そんな人々にとって、下記は更なる追い打ちになるだろう。

 

 

【ジャーディン・マセソン商会】

 グラバー以外に、「欧州大塔宮」との関係が想像されるのが、若き日のグラバーが勤めたジャーディン・マセソン商会です。理由は、①香港で発祥したこと、②日本で開業した最初の外資であること、③長州ファイブの留学資金を出してやったこと、④支配人の福井藩士吉田健三が土佐藩士竹内綱を介して「欧州大塔宮」配下の陸奥宗光と繋がることです。吉田健三の兄が横浜のドイツ女性に産ませた子で白洲文平に預けられたと噂される白洲次郎は「欧州大塔宮」の気配が漂いますが、その源がジャーディン・マセソンにあるというのなら、首肯されます。(p.36)

 広瀬隆の『赤い楯』を読んだことがある人なら、ジャーディン・マセソン商会は、クーン・ローブ商会と並んで、繰り返し登場し過ぎて忘れようにも忘れられない社名。下記リンクには、全てジャーディン・マセソンが絡んでいる。

   《参照》  『新説・明治維新』 西鋭夫 (ダイレクト)
            【暗躍するユダヤ商人たち】

            【HSBCの始まり】

            【グラバー邸の「隠し部屋」】

            【グラバーと岩崎弥太郎】

   《参照》  『HSBCの挑戦』 立脇和夫 (蒼天社出版)
            【日本におけるHSBC】

 ついでに、現在にも絡んでいるクーン・ローブ関連をリンクしておきます。

   《参照》  『金融のしくみは全部ロスチャイルドが作った』安部芳裕(徳間書店)

            【ピーター・G・ピーターソンと竹中平蔵、そして清和会】

 

 

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