タイトルの前に「語ることが許されない」と付いているけれど、本当は、「時が満ちつつあるから、ボチボチ語ってもイイでしょう」 という許可があって著した本のようです。ビックリ情報や、ぶっ飛び情報が、テンコ盛り書かれています。その内のいくつかを書き出しちゃいました。2020年7月初版。

 

 

【祝之神事(はふりのしんじ)の歴史】

 伯家神道、祝之神事は、気が遠くなるほど長い歴史がある。

 今からさかのぼること6000年前に、エジプトのギザにある大ピラミッドの王の間やスフィンクスの前で執り行われていた秘儀ということだけはすでに伝えたが、あろうことか、イエス・キリストもマグダラのマリアと共にこの秘儀を受けていたのだという。(p.34)

   《参照》  『願いをかなえる「縄文ゲート」の開き方』 保江邦夫 (bio) 《前編》

           【祝之(はふりの)神事=ハトホルの秘儀】

 ここで、ご存知ない方のために少々説明しておくと、マグダラのマリアとは、聖書の中ではキリストに救われた罪深き娼婦として描かれていた女性だ。(p.34)

   《参照》  『光と闇 二元の統合』 サアラ (徳間書店) 《後編》

           【「べタニアのマリア」と「マグダラのマリア」】

 

 

【“ユダの裏切り”の真実】

 ローマ司祭長にキリストの居場所を教え、キリストの顔を知らない司祭長のために、ユダがキリストに口づけするという事前の取り決めどおりに事は運んだ。よってユダの裏切りにより、キリストは捕らえられ十字架にかけられたことになっているのだ。

 ところが、真実は違う。最終局面で、ユダはキリストではなく、キリストの双子の弟であるイスキリに口づけをした。

 何も知らない司政官は、イスキリをキリストだと思い込み、彼を処刑にした。十字架に磔になったのは、キリストではなく、弟のイスキリなのだ。

 3日後、マグダラのマリアや弟子たちの前に無傷で現れたのだから、復活したとしか言いようがないではないか。

つまり、ユダは裏切者どころか、悪者役になって大芝居を打つことで、キリストの命を助け、予言を成就させたのであった。(p.48-49)

 十字架に架かっていたのは、イエスではなく弟のイスキリだったという話は、かなり前から知られていただろう。雑誌『ムー』の読者なら常識のはず。チャンちゃんは30年以上前、桐山先生の 『愛のために知恵を、知恵のために愛を』(平河出版) という著作内で読んだ記憶がある。しかし、“人物すり替えに、ユダが関与していた” と書かれていた記憶はない。

 

 

【キリストは東へ】

 キリストは、妻のマグダラのマリアと母マリアに聖杯と秘儀を印した巻物を託して別れた後、約束の地・カナンである極東の日本を目指して、東へと旅立っていった。では、マグダラのマリアはどこへ向かったのか。(p.51)

 キリストは、インド、ネパール、を経由して、日本に来ていた。

  《参照》 『アセンションプロ集団「ラー一族」』 ラリア (ヒカルランド) 《3/4》

           【イエスとマグダラのマリア、日本での役割】

 

 

【マグダラのマリアは西へ】

 このとき、マグダラのマリアは、お腹にキリストの子を宿していた。(p.51)

 2人(マグダラのマリアと母マリア)は西へ西へと向かった。・・・(中略)・・・。途中、南フランスのマルセイユ郊外の洞窟で女の子を出産し、乳飲み子を抱えてまた旅に出た。

 行き着いたのは、ヨーロッパの大陸の西の果てポルトガルだ。ここまでは追手も来ないだろう。

 当面は安心して子育てができる安住の地だ。女の子はサラと名づけられ、3人は数年間ここでくらしたのだ。(p.52)

 キリストの子サラに関して、本書には、これ以上何も記述されていないので、下記をリンクしておきます。

   《参照》  『光と闇 二元の統合』 サアラ (徳間書店) 《後編》

           【セント・サラ・ラ・カリ】

 

 

【ナザレの黒いマリア像】

 ポルトガルのリスボンの北に、ナザレという港町がある。・・・(中略)・・・。

 ナザレとは、キリストが幼少期を過ごしたイスラエルの街の名だが、実は、マグダラのマリアの本名でもあるのだ。黒いマリア像は、キリストに授乳中の聖母マリアだと思い込んでいる人が多いようであるが、これはサラに乳を与えているマグダラのマリアなのである。その像は現在、ノッサセニューラ・ダ・ナザレ教会に安置されている。(p.52-54)

 黒いマリア像に関しては、下記リンクにも記述されている。

   《参照》 『クラリオン星人にさらわれた私』 マオリッツオ・カヴァーロ (徳間書店)

            【聖杯とマグダラのマリア】

 マグダラのマリアは、ここでキリストの娘サラが歩けるまで成長を待ち、いよいよキリストと再会を約束した地、日本へと旅立つのであった。(p.56)

  《参照》 “マグダラのマリア”に関する引用一覧

  『封じられた日本史』に関係してくるのは、イエスとマグダラのマリアだけではない。

 マグダラのマリアが滞在したポルトガルに、イエズス会とテンプル騎士団の拠点があった。この2つの系譜が、日本史の深層で絡み合っている。

 

 

【ナザレ、ファティマ、トマール】

 キリスト騎士団本部修道院のある地名「トマール」は、なんと「聖杯の港」を意味している。(p.88)

 キリスト騎士団については、後述(【3つの騎士団】)

 ナザレにマグダラのマリアが滞在してからほぼ1000年後にテンプル騎士団が登場し、さらにその1000年後にはファティマで不思議な事件が起こった。

1917年、まだ10歳ほどの3人の子どもたちの前に聖母マリアが出現して、2つの予言を残したのだ。俗にいう「ファティマの予言」である。(p.88)

当時は聖母マリアといえば、一般には母のマリアしか知られていなかったのだが、おそらく出現したのはマグダラのマリアであろう。

 ナザレ、トマール、ファティマ、車でわずか1時間圏にあるこの一帯は、今やマグダラのマリア信仰の一大聖地と言って差し支えないだろう。(p.89)

 この3つの街は、長方形をしたポルトガル国土の、ちょうど真ん中あたりに3つ横に並ぶように位置している。

 

 

【3つの騎士団】

 テンプル騎士団はエルサレムの神殿跡に本部を置いていたが、トマールに要塞を兼ねた修道院を移していた。

 ヨーロッパ全土で根絶やし状態にされたが、(ポルトガル国王)ディニス1世の庇護のもと、テンプル騎士団の生き残りがトマールにて「キリスト騎士団」と改名して、再起を図ったのだ。

 ・・・(中略)・・・。ポルトガルが他国に先駆けて世界一の海運国になれたのは、莫大な財力と叡智を誇るキリスト騎士団のおかげなのだ。

 また、キリスト騎士団の一部はこの進んだ航海術をエサにしてイギリス王家の背後に入り込んで「ガーター騎士団」を結成し、その後の大英帝国繁栄の陰の立役者となった。(p.84)

 テンプル騎士団の財力の根源と、盛衰過程の概要は下記リンクに。

   《参照》  『秘密結社テンプル騎士団』 ニコラス・ベスト (主婦と生活社)

 

 

【イエズス会:布教ではなく亡命】

 イエズス会士フランシスコ・ザビエルの渡来について、

 だが、実際は布教が主目的ではなく、まずは命を狙うローマカトリック教会から逃げることがイエズス会の最優先事項だった。つまり、極東の地に亡命した、という言い方が正しい。(p.94)

 ポルトガルの若き修道士集団「イエズス会」は、ローマカトリック教会の懐刀ともいえる実働部隊だったのだけれども、ローマカトリックに忠誠を誓いつつも、おカネで買える免罪符を発行するなど金満体質になってゆくローマカトリックを厳しく批判するようになったため、排除されるようになったと書かれている。

 「イエスの伴侶」を意味するイエズス会という名称に、彼らの秘めたる思いが込められているのを感じる。(p.81)

 DSの起源は、ヴァチカン(ローマカトリック)なのかイエズス会なのか、長らく不明のままだったので、下記リンクのようなことを書いていたのだけれど、本書の簡潔な記述は分かりやすい。

  《参照》 『吉備太秦が語る「世界を動かす本当の金融のしくみ」』板垣英憲(ヒカルランド)《後編》

          【長崎市に教皇庁?】

 本書の記述に限れば、DS(深層国家=世界支配者)の中枢はヴァチカンに思えるけれど、今日のヨーロッパにおけるイエズス会が設立当初の意図を確実に保持しているという保証はない。

  《参照》 『闇の世界権力の「日本沈没計画」を阻止せよ』中丸薫/レオ・ザガミ(ヒカルランド)《前編》

          【イエズス会】

  《参照》 『真説 日本の正体』 高橋五郎×小池壮彦 (学研) 《前編》

          【この構図をしっかり頭に入れておくこと】

 

 

【イギリス国教会とローマカトリック】

 女王に王冠を授けたのがイギリス国教会のトップの司祭なのである。

 ローマカトリック教会からすると、イギリス王室のプライベート教会のようなものなのだが、当時のイギリスはヨーロッパ屈指の海運国で、唯一極東に連絡網をもって航路を常設していた。ここは大いに協力関係を結びたいところだろう。

 こうしてイギリス国教会を通じて、直ちに日本で布教をしているイエズス会の抹殺命令が出された。(p.102)

 ローマカトリック(ヴァチカン)は、歴史上、常に権力の頂点に君臨していた。イギリス国教会も歴史上の早い時点で辛酸をなめている。

  《参照》 『トランプ大統領の無血開国』 吉野愛 (ヒカルランド)

           【イングランドとバチカン】

 本書には、イエズス会とテンプル騎士団の関係が記述されていないけれど、反ローマカトリックという共通項ゆえに、ポルトガルにおいては協力関係にあったことは間違いないだろう。

 テンプル騎士団は、上で書き出したように、イギリスにおいてガーター騎士団と名を変えているけれど、イギリスの金融を支配したのは、ガーター騎士団の資金力なのか、ローマカトリックに連なるロスチャイルドの資金力なのか。歴史的事実は、アシュケナジーユダヤであるディズレリーのときからは明らかに後者である。であるなら、イギリスにおいて、テンプル騎士団はローマカトリックに飲み込まれていたと考えるべきなのか?

   《参照》  『富の王国』 池内紀 (東洋経済新報社) 《前編》

            【貴族院議員】

   《参照》  『大英帝国の異端児たち』 越智道雄 (日本経済新聞社)

            【ディズレリーのルーツ】

 本書の終盤には、大正天皇とガーター騎士団のことが書かれているけれど、明治維新の頃のイギリスは完全にローマカトリックに支配されていた。

 

 

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