《前編》 より

 

 

【アメリカの大学の図書館】
 日本では考えられないことですが、アメリカの大学の図書館はほとんど24時間オープンです。それだけ利用者がいるということです。学生たちも、日本の大学生とは比べものにならないくらい勉強しています。(p.31)
 深夜、たった一人しかいないとしても、全館照明である。それほどまでして、知の向上を尊び守っている。
 日本の学生たちの多くは、図書館に行くのではなく、「○○の店が美味しい」だのと言いながらネットで噂の店舗巡りでもしながら、空虚な内容のカラ騒ぎをしているんだろう。タコ!
 タコはせめて、「以前より、チョットはマシで、イ~カなぁ~~」と言われる程度のイカになるべきである。

 

 

 

【イスラエルという企業家大国】
 イスラエルというと、日本では中東問題で周辺諸国との争いが絶えない国という印象が強いと思います。しかし実は企業家大国という横顔を持っているのです。・・・中略・・・。イスラエルの場合は男の子の一番の夢は何と言っても企業家です。・・・中略・・・。
 私がこのイスラエル滞在中に「すごいな」と思ったのは、この国の企業家たちが、常に海外市場に目を向けているという点です。(p.102)
 日本のように1億人以上の市場規模があれば、しいて海外に目を向けることなく国内市場だけでもソコソコやってこれたけれど、人口が1億を下回る国、例えば5千万の韓国は、どうしても海外市場に出ないことには利益を確保できなくなってしまう。ましてや、イスラエルの人口は1千万人に満たない。世界に目を向けた企業家を目指す人が多いのは、このような必然性があってこそである。
    《参照》   『知られざる技術大国 イスラエルの頭脳』 川西剛  祥伝社
              【イスラエル企業の特性】

 日本もあと十年で人口が半減するだろうから、国内ばかり見ているようでは、企業は「坐して死を待つ」ことになってしまうだろう。

 

 

【コミュニケーションスキルの重視】
 スタンフォードは起業したときに最も大切なのは、「人のマネージメント」ということで、コミュニケーションスキルを重視し、組織論とアントレプレナー教育が強いのです。(p.124)
 MBA取得を目指すアメリカのビジネススクールで、コミュニケーションスキルが重視されているって、個人的な偏見だろうけど、チョット意外。
 自分自身の発言が、周りからどう受け取られたかが、逐一フィードバックされる授業の内容が書かれているのだけれど、「KY(空気を読めない)」と言って、露骨に異分子を排除したがる日本人の女の子たちが、この授業に参加したら、どういうフィードバックを受けるのだろうか? って考えてしまった。
 「KY」を連発する集団というのは、知力なき同質者たちであるが故にこそ凝集しうる排他的虐待集団だと思っているけれど、外国では言葉で表現しないことには何も受け入れてくれないのである。「あなたのいう空気って何ですか、言葉で分かるように表現してください」って言われることは確実である。そこを「ムカツク~~」という感情表現で返したら本当に呆れられるだけである。

 

 

【製品の作り方の違い(日本vs欧米)】
 日本とアメリカ、特にシリコンバレーでは、プロダクトの作り方が大きく違うことをここで発見しました。日本では、つけたい機能が10あったとしたら、全部作り込んで完璧なものに仕上げてからリリースしないと、恥ずかしいとみんな思います。ところがアメリカでは、10の機能のうちお客さんが必要なのは5つか6つかもしれないから、最低限の機能だけでできるだけ早くリリースして、お客さんにフィードバックをもらいながら必要な機能を増やして行けばいいと考えます。(p.170)
 この顕著な例が、iPod だろう。
    《参照》   『ソーシャル もうえぇねん!』 村上福之 (nanaブックス) 《前編》
              【iPod発売日のパナソニック・エンジニア】
    《参照》   『田中耕一の「自分を活かす」術』 大富敬康 講談社
              【異文化を安易に判定してはいけない】
 「完璧である必要などない。早くリリースしなさい。そして早く失敗しなさい」という考え方は、私がスタンフードで得た最も大きな収穫だったかもしれません。(p.170)
 日本人は、「お客様は神様です」とまで言うけれど、きっと日本人にとって神様は“完璧なもの”なのだろう。そんな視点で見ると、ギリシャ神話の神様なんて、嫉妬はモロにするし姦通なんてやりまくりだしで、日本人の目から見ると「ヒドすぎるじゃん」という神様がほとんどである。根本的な神話世界がこうなんだから、欧米人にとって“完璧”という概念は、そもそもからしてそんなに重要じゃないのかもしれない。
 失敗を恐れず失敗から学ぶというという発想は、脱完璧主義の土壌から容易に生れ出てくる。
    《参照》   『成功は一日で捨て去れ』 柳井正 (新潮社) 《前編》
              【やってみて失敗だったら、すぐに変更すればいい】

 

 

【卒業後の生き方】
 卒業式にはアメリカの財務長官が出席し、スピーチをしたのですが、その中でこんなことを言っていました。
 「GSP(Graduate School of Business、スタンフォード・ビジネススクールのこと)を卒業するというのは、君たちの出した結果だ。そしてこれからは、自分の価値観のコンパスに従った人生を生きられるかどうかが問われる」
 ・・・中略・・・。
 それまでは、お金を稼ぎたいとか、自分は周りの人からどう見られているのだろうかとか、きちんとしたエリートキャリアリアの道を歩きたいとか、そのようなことを多少なりとも考えていた私ですが、スタンフォードを卒業するときには、はっきり決めていました。これからはあくまでも自分の価値観に照らして仕事を選んでいこう、と。 (p.175-176)
 世界中の人々の生き方の価値観は、近未来に大きく変わるはずである。少なくともアメリカ主導の世界は終わるから、経済の軸も文化の軸も確実に変わることになる。
 著者の卒業式は2011年だったのだから、リーマンショック後のその当時のアメリカの財務長官は、そのことをもう分かっていたのだろう。

 

 

 

 タイトル関連で、スタンフォードに関する記述をリンク。
    《参照》   『「マネー」より「ゼニ」や!』  日下公人・青木雄二  ダイヤモンド社
              【鉄道の枕木の数だけ中国人の死骸がある】
    《参照》   『スタンフォードの朝』  アグネス・チャン  日本文芸社

 

 

 

                    <了>