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 「奇跡のリンゴ」に関することは多くの著作で言及されているから、木村さんの体験の概要は知っていたけれど、ご自身の著作はやはり真に迫って来る。瞬く間に読んでしまった。2009年8月初版。

 

【「まえがき」に書かれていること】
 人生も、いま見えている部分、隠れている部分、このふたつが1対2の割合で存在するのではないでしょうか。
 本書は、人がいま認識している現実、その2倍はあるはずの認識できていない真実、それを読者とともに考察するために、誤解されるのを覚悟のうえで書いたものであります。(p.10)
 第1章は、「不思議の始まり」という見出しになっていて、著者が高校生だった頃の不思議な体験のことなどが書かれているけれど、人生が見えている部分だけで成り立っているなんて到底考えられないチャンちゃんにとっては、不思議でもなんでもないことばかり。

 

 

【タヌキとの共生。そして宇宙人との遭遇】
 リンゴの無農薬栽培をはじめる前、農地を造成してトウモロコシの栽培をしていた頃の話。トウモロコシがタヌキに食い荒らされるという事態が生じていた。
 タヌキがどう思っていたのかはわかりませんが、「お前たちが住む場所を奪ってごめん。これをあげるから、もう荒らさないでくれよ」という気持ちでトウモロコシを積んでおいたら、被害がパタリと止んだのは事実です。
 この出来事は、他の農家と同じように農薬を使い、人間側の都合だけを前面に押し出して作物を栽培していたわたしに、大きな変化をもたらすきっかけになりました。(p.42)
 このような経験をした翌年、UFOを頻繁に見るようになったことが書かれている。
 私にとってUFOは、「信じるか、信じないか」という存在ではありません。「絶対にいる」としか言いようがないのです。それは女房もわかっています。
 そもそも津軽は神秘的な土地柄で、日本最古の文字と言われる『津軽草文字=つがるくさもじ』、幻の中世都市である『十三湊=とさみなと』、奇書とされる『東日流三郡誌=つがるそとさんぐんし』など、興味の尽きない地域なのです。(p.45)
 やや横道にそれてしまうけれど、津軽地方を拠点としていたアラハバキに関しては、下記のリンクに。
    《参照》   『いよいよ「超霊的パワー」が世界を解放します』 田村珠芳 (徳間書店) 《前編》
              【アラハバキ族】

 

 

【言霊】
 無農薬・無肥料栽培を始めてから、畑の状態はどんどん悪くなっていました。いろいろ試してきた病虫害対策として散布する食品も尽き、失敗続きで34歳を迎えたわたしは万策尽き果て完全に行き詰まっていましたが、「言葉にはものすごい力がある」ということに気づきました、
 それはリンゴの木が教えてくれました。(p.78)
 衰えてグラグラになりかけていたリンゴの木たちに祈るような気持ちで話しかけていたのだという。
「こんなにしてしまってごめんなさい」
「花を咲かせなくても、実をつけなくてもいいから、どうか枯れないで耐えてください」
 木に優しく触れて、労わるように、ぬくもりが伝わるようにしながら、「どうにか頑張ってくれ」という正直な気持ちが通じるように語りかけました。(p.78-79)
 こんな風に、800本余りある木に時間をかけて話しかけていたという。ところが、捨てたはずの虚栄心が残っていて、隣の畑や道路との境界線にある木には話かけるのをためらってしまった。すると、
 話しかけなかった、隣との境界線や道路沿いにある1列82本は、畑を縁取るようにことごとく枯れてしまったのです。(p.80)
 人間でも、動物でも、樹木でも、植物でも、機械でも器具でも工具でも同じである。
 言霊は、波動だから、すべてに浸透する。
 愛念の波動が途絶えると、衰えるし枯れるし壊れるのである。
 作業によってはひとつの畑にかかりっきりになることもあります。そういうときは残りの畑へ行き、
「いまこういう作業をしているから、ちょっとしかいられないけど、頑張ってちょうだいよ」
 と挨拶だけして、また作業している畑に戻ります。(p.116)
 講演や農業指導でしばらくいない時も、リンゴの木に「しばらく来れないけど、頑張ってね」って話しかけているという。
 人間がすごいのは、「思い」や「気持ち」の持ちようで、いくらでも物事を変化させられることです。心の眼が開くのです。その力は、だれにでも、いつでも発揮できます。
 わたしは作物の気持ちを理解しようとしました。(p.123)

 

 

【奇跡のリンゴを可能にしたもの】
 木村さんが無農薬・無肥料でリンゴ栽培を可能にしたヒントは、自殺しようとして紛れ込んだ山中で見た野生のリンゴの木の周辺の土壌の様子だった。それは「多くの微生物が共生できるフカフカの土壌状態」である。しかし、そのような生物学的状態が整いさえすれば、リンゴが豊かに実を結ぶというのではない。それでは野生のリンゴの木ほどにしか実をつけないはずである。野生のリンゴの木と、木村さんの畑のリンゴの木の違いは、それを育てる人の愛念の有無なのであり、これこそがイヤシロチの最大因子なのである。
 自然農法は、農薬散布や施肥によって創出された人工農法よりは遥かにマシなイヤシロチ化農法だけれど、それを更にイヤシロチ化するのは、人間の想念(愛念)なのである。木村さんは愛念を言霊に乗せて、常にリンゴの木に送り続けていた。
    《参照》   『イヤシロチ』 船井幸雄 (評言社)
              【イヤシロチ】
              【場所と人】

 

 

【「時間がない」】
 世間から「まともな人間ではない」と看做され、精神的にも経済的にもどん底状態だった頃、木村さんは二人組の宇宙人に出会っていた。その直後に木村さんが見た内容は、下記リンク著作など、いろんな著作に引用されている。
    《参照》   『龍蛇族直系の日本人よ!』 浅川嘉富 (ヒカルランド) 《後編》
              【木村秋則さんの体験】
 「意外に早く終末を迎えるんだなぁ」と驚かざるを得ない数字でした。
 それも含めて大事なことは、ソクラテスから「口外してはいけない」と、龍と同じように固く口止めされました。いまだに女房にもいっていません。もし命が脅かされる事態に陥ろうとも、口は割らないと思います。
 重要なことは、なにより「時間がない」という事実です。(p.91)

 

 

【吊し上げ】
 なかでも忘れられないのは、仙台で行われた肥料農薬工業会が主催したシンポジウムでのことです。・・・中略・・・。
 いかに農薬や肥料が安全であるかを語る場で、「日本の農産物は世界に類を見ないほど安全である」というタイトルがついていました。
 わたしとはまるで関係ない場所ですが、そこに招待されたのです。(p.133)

 「わたし、この方の畑を視察に行ってきました。やはり大きな間違いがありました」
 もちろん、私の許可を取っているわけではありません。間違いもなにも、わたしのやり方を知らない人がわたしの畑を見ても、なにひとつ理解できるわけがありません。
 結局、発言する機会はなく、後ろ指を指されに行っただけでした。
 吊し上げに遭うために一張羅を着て仙台に行ったのです。
 無農薬・無肥料でりんご栽培を成功させたわたしは、農薬推進の立場にいる人たちからすれば敵でしかなかったのです。(p.135-136)
 当の本人を呼んでおきながら、発言させずに、露骨な吊し上げをするというのは、極限的に悪質である。
 いつの時代でも、どのような分野でもあり得ることだろうけれど、大きな組織が個人を吊し上げるというのは、極めつきのチョー最低である。
 各地で講演をしたり農業指導をしたり、いろんな人が私の畑を見学に来る中で、なんとあの肥料農業工業会もやってきて、
「その節は大変失礼をしました」
 と謝ってくれたのです。
 正直いってこれまでで一番嬉しい謝罪でした。 (p.139-140)
 「だったら、許してやってもいいだろう」とは思わない。世間において、著者の評価が高まる一方の中で、肥料農業工業会は自分らの旗色が悪いことを思って謝罪しただけだろう。既得権を維持するため、カネのためにはどのようなことでも平気でする腐りきった人間組織というのは、巷にテンコモリ存在している。著者とは正反対な生き方をする連中である。こういう連中が、破局へと向かう地球の運命変更を阻んでいるのである。

 

 

【有機栽培の是非】
 農林水産省の公益法人である大日本農会からの依頼でしたスピーチの内容。
 農水省を批判するような話も入れました。日本は世界でも突出した農薬依存農法をとっており、そういった農薬漬け、肥料漬けの農業を見直す時期にあること、JAが認証している有機栽培した米や野菜はとても腐りやすいこと(逆に自然栽培は腐りにくいこと)、また農業による環境汚染について、そしてかねてから疑問に思っていた『特定農薬』についても触れました。(p.142)
 有機栽培した米と、自然栽培した米の腐敗実験写真が掲載されているのだけれど、有機栽培の米の写真を見て「ドヒャ!」という感じである。「有機栽培=健康によい」というのは、事実無根の思い込みなのか? と思ってしまった。それともJAが認証している有機肥料だけがどん底の偽物だということか。
 『特定農薬』の中には食酢や重曹も入っているのだという。つまり、農薬でないものまで指定して、有効な農法を封印しているのである。つまりその目的は、露骨な肥料業界の利権維持なのである。
    《参照》   『リチャード・コシミズの未来の歴史教科書』 リチャード・コシミズ (成甲書房) 《前編》
              【農産物市場】
    《参照》   『エコ・テクノロジー革命』 バイオベンチャー取材班  青山書籍
              【役人によるエコ・サイクル潰し】

 

 

【宇宙人との再遭遇】
 再びふたり組の宇宙人がやってきました。(p.154)
 で、知らぬ間にUFOの中に入っていて、そこで教えてもらったこと。
「地球で発見されている元素は120くらいですが、実際に使われているのは30くらいでしょう。しかし我々は256ある元素をすべて使っているのです」
「地球人は頭が悪い」といわんばかりの話でしたが、彼らが乗っているUFOと同じものを造る技術がないのは間違いありません。
 反論する気も起きず、黙って聞いていると、彼らは元素のほかにも、時間の感覚が全く違うことを教えてくれました。
「地球の時間で1000年かけないと移動できない距離も、我々は『そこに行く』と思った瞬間に移動できます」
 こうもいっていました。
「我々は時間と時間のなかをあるいて移動しているのです」
 わたしは高校生の時に見た、足を上げたまま固まったオヤジさんを思い浮かべました。(p.159)
 元素の数が256あることは、記憶しておいた方がいい。
 アセンション系の著作に馴染んでいる人々にとって、移動に関することや時間に関することは、十分理解済みのはず。
    《参照》   『戻ってきたアミ』 エンリケ・バリオス (徳間書店)
              【 “移動する” ではなく “位置する” 】

 この既述に継いで、宇宙人との遭遇体験が決して幻想などではないことを理解してもらうために、宇宙人たちは、その後に、この時の体験の裏打ちをするような事象を用意して著者に再体験させていたことが記述されている。

 

 

【タヌキとの共生、言霊、自然農法、宇宙人】
 宇宙人が著者を通じて地球人に知って欲しいことは、「愛が宇宙の基本法である」ということかもしれない。
    《参照》   『戻ってきたアミ』 エンリケ・バリオス (徳間書店)
              【文明人の三条件】
              【自然の定義】
    《参照》   『アミ小さな宇宙人』 エンリケ・バリオス (徳間書店)
              【宇宙の宗教】

 そして、そのことを全く自覚しないまま「終末の時」を迎えるというのなら、一体全体何のために、このタイミングで地球で生きることを選択したのか? ということだろう。

 

 

<了>