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 著者は昭和5年生まれの方なので、最近はもう高齢でテレビに出ていないけれど、かつては有名なテレビ番組をもっていて総理大臣より影響力のある人とも言われていた。この著作には、その頃の興味深いエピソードがいくつも書かれている。
 宮仕え的な生き方が好きではない人にとっては、大いに背中を押してくれるような、気分の晴れる著作。若者が生き方論として読むのにいい本である。98年10月初版。

 

【自分の目で判断する】
 私が浜田幸一氏に初めて会ったのは、彼が防衛政務次官のときだった。あのラスベガス賭博事件が報道されるずうっと前のことである。・・・中略・・・。
 賭博事件以来、彼の評判はあまりよくなかったかもしれない。しかし評判がどうであろうと、たとえ、学歴のない人であろうと、そういうことに惑わされず、自分の見た眼を信じるという姿勢を私は常に大事にしているだけのことなのだ。(p.29-30)
 評判や噂話で人を判断する人は、自己判断抜きにそれで“嫌な奴”を判断するのだから、実に大衆的で平凡極まりない生き方をする。自分の目で見た事実以外の言論に依存するということは、自分に確かな判断力その他がない証拠。だからこそ、そういう人々は、容易に“烏合の衆”を結成する。
 自分の目で判断できる人でなければ、嫌な人と付き合うことなどできないだろう。そういう人であれば、付和雷同する烏合の衆に対して超然としているはずである。

 

 

【あなたの目を曇らせているもの】
「ホウ、おまえさん、高卒やったんか」と私がいったら、5,6人いるスタッフの連中が「ワタシも高卒です」、「ボクも高卒です」と異口同音に声が上がった。総勢6人のうち、大学出はたった一人しかいなかった。私は5年も10年も同じ会社で仕事をしていて、初めて彼らの学歴を知ったのである。
人物本位で人間を判断する ーー いつ、どんな時でも、これが私の信条である。(p.34)
 今や、猫も杓子も大卒であったり大学院卒である。それにどれほどの価値があるというのか。4年6年全く別のことをやっていた人間の方がずっと希少価値で面白いだろう。

 

 

【ズケズケ言う奴になろう】
 偉い人というのは、いつも周囲をイエスマンに取り囲まれている。だからこそ、ズケズケといいたいことをいってあげると、意外に「こいつ、オモロイやっちゃな・・・」と目をかけてくれるきっかけになるのである。(p.74)
 地位の確立した偉い人に対しては、これも可能だろう。偉い人と言っても利権争奪戦という欲心まみれの軍団を率いて選挙に勝った成り上がり者程度だったら、キャパはチッチャイだろうからそうはいかない可能性が高い。
 世間一般のいわゆる“いい人”というのは常識通りの生き方をしているわけで、逆にいえば毒にも薬にもならない人種だといってよい。(p.177)
 “いい人”の常識は保守的で狭苦しく、“嫌な(ヘンな)奴”の常識は革新的で間口が広い可能性が高い。時代を変えるのは後者である。

 

 

【番組成功の理由】
 私の番組が成功した理由は、番組の担当者が、私を含めてだれもかれもみな、ひとクセもふたクセもある人物だったことだと思っている。
 担当者の一人はヤクザみたいな顔つきをしている。もう一人も濃いサングラスをかけて、我が家に打ち合わせに来たときも、家内がこわがって奥にひっこんでしまったくらいである。番組の責任者もまた、テレビ局の幹部の中ではよく週刊誌ダネになる異色人物である。
 ところがその三人が三人とも、私の性格をよく見抜いていて、私になんの注文もつけなかった。たた一言「テレビでは、ときどき怒鳴りなさい」というアドバイスだけだった。(p.80)
 記述の趣旨は良く分かるし「なるほど」と思うけれど、「テレビ局の人ってガラ悪いのねぇ~」なんて思ってしまった。

 

 

【竹村学校】
 私は以前、京都で、経営者を集めて『竹村学校』というセミナーをやっていたことがある。
 セミナーの場所は、いわゆる会議室だとかコンベンションホールといったようなところではなかった。実に様々な場所でやった。
 たとえば、サウナ風呂でやったことがある。経営者同士が腰にタオル一枚を巻いただけの、文字通りの裸の付き合いである。ところがこれが実に大きな成果がある。(p.83)
 裸の付き合いがいい結果をもたらすのは分かるけど、女性の経営者は参加できないじゃん。「だったらいっそのことラブホで・・・」なんて不謹慎なことを思いついたら、「会議はラブホで」という下記の事例を思い出した。
    《参照》   『大人のスピード読書法』 中谷彰宏 ダイヤモンド社
              【変な場所で、本を読もう・・・!?】

 

 

【“謙譲の美徳”は、無能と理解する外国人】
 外国人は「オレのほうがこいつよりも上だ」と思うと、とたんに態度がデカくなるのである。
 そのかわりに、こちらの突っ張りが功を奏すると、相手は恐れ入りましたとばかり、実に率直に話してくれる。相手が外国人の場合はすべてこういう調子だから、日本式の“謙譲の美徳”を発揮していては、最初からばかにされて十分な情報も与えてくれなくなる。(p.90)
    《参照》   『フェラーリと鉄瓶』 奥山清行 (PHP) 《中編》
              【草食vs肉食】
    《参照》   『中国人民に告ぐ -痛憤の母国批判-』 金文学 (祥伝社)
              【中国人に日本人の慎みや謙虚さは通用するか】
 まず初めはでっかい態度に出る。それで相手が恐れ入ってしまえば、その男の勝ちである。もし相手が自分より格上とわかれば、手のひらを返したように下手に出る。
 しかもその豹変ぶりは、彼らにとってははずかしいことでもなんでもなく、ごく当たり前のことなのである。
 ここに、日本人と外国人の大きな差がある。日本ではガラリと態度を変えるとさげすみを受けるけれども、彼らにとっては日常茶飯事であるからなんとも思わない。(p.94-95)

 

 

【電子メディア時代の希少価値】
 『マクルーハンの世界』でブームを起こした私としては、ここでちょっと補足説明しておこう。
 マクルーハンの真意は、こういうことであった。
 1980年代以降は、電子メディアの時代に入っていく。・・・中略・・・。“電子人間”とはどういうことかというと、つまり活字人間にくらべて注意力の持続が少ない人間のことである。興味の持続時間が短い。モノゴトを系統的、論理的につきつめていくという努力を嫌い、ハプニング的な思考法に走る ーー そういうタイプの人間のことである。(p.111)
 この電子メディア時代には、モノゴトを論理的につきつめ、持続して深く掘り下げていくタイプの人間がドンドン減っていく。そうした特質を活字に習熟することによって磨き上げトレーニングしていけば、間違いなく“希少価値”としてモテはやされるに違いない。(p.112)
 電子メディア時代は、右脳活性化の時代なのだけれど、時代を進展させるには、右脳と左脳の両方の活性化が必要。読書は左脳の力を強化する。
 その際、ではどんな本を読んだらいいのか? という問題が出てくる。
 しかし、私の考えでは、そこになんのセオリーも経験則も存在しない。きわめて自己流ないい方だが、とりあえず“なんでも読む”ことをおすすめしたい。とにかく手当たりしだいたくさん読むことである。(p.113)
 だったら、チャンちゃんのこの読書記録を踏み台として活用できる。
 どんな生き方であってもよい。
 ただ、人より多く本を読むことはおすすめする。とくに、偉大な人物のたちの伝記を読むことである。そこには、自分が今やっていることよりももっと大きな目標、自分にもやれる、もっと大きな意義のある人生の存在の発見が必ずある。(p.128)
    《参照》   『経営に生かす聖徳太子の教え 深見所長講演録4』 (菱研)
              【趣味は読書】