イメージ 1

 広範囲に言及している文明論かと思ったら、多くが鉄道に関する交通文明論だった。ちょっと期待外れ。2008年3月初版。

 

 

【日本経済が世界最強である秘密】
 日本経済が世界最強である秘密は何かというと、世界中の先進国でいちばん人口密度の高い大都市圏と、この大都市圏をおおう世界中でいちばん利便性の高い鉄道網を持っていることだ。なぜ諸外国がキャッチアップできないかというと、人口密度の高い大都市圏と利便性の高い鉄道網の間にはお互いに相手を高めあう「ポジティブ・フィードバック」の関係があるからだ。(p.20)
 自動車に比べて鉄道の1人キロ当たりの輸送コスト(消費エネルギー)は極めて小さい。諸外国の都市圏に比べて、鉄道網が充実し、しかも鉄道乗車率が非常に高い日本の都市圏は、輸送エネルギー効率が際立って高くなっている。
 全てがガソリン車から電気自動車に置換されたとしても、電車の輸送コストを上回ることはできない。そもそも自動車は駐車スペースを必要とするから、土地の有効利用という面でも劣っている。
 故に、発達した鉄道網というインフラの効率から見た日本経済の強さは抜きんでているといっている。この考えを押し進めて、日本経済復活のポイントは、さらなる都市化の促進であると。
 論旨としては一貫しているけれど、この考えには全く同意できない。そもそも経済成長優先という視点を墨守する気もないからである。

 

 

【鉄道の文明論】
 「ネットワーク性の高い鉄道網」といういささか同義反復気味のフレーズこそ、日本は世界に冠たる文明をすでに築き上げているというこの本を貫くメインテーマだ。そして、なぜ日本だけがメットワーク性の高い鉄道網を構築できたのかを文明論の視覚から解明するのが ・・・(中略)・・・ テーマとなる。
 ここでは簡単に結論だけを書いておこう。欧米は階級社会でえらい人が自分の立派さを誇示するための記念碑として駅を作ってきた。その結果、非常に大きくて立派だけれども、機能性の悪い駅ができてしまった。それに対して日本の鉄道は、基本的に大衆の需要にこたえるように創られているので、見かけは貧層だけれども利便性が高い。その差が一番大きな要因だ。(p.33)
 具体的には、日本の駅は、門司港駅のような特殊な例を除いて、大都市の拠点駅であれ殆どが通過駅なのに対して、欧米の主たる駅は頭端(ターミナル)駅であること。頭端駅とは、つまり線路が行き止まり形状の駅であり、この形状にすると幾つもの車両が停車する線路及びホームを作る必要があり、広大な敷地面積を要する。
 欧米式の頭端駅は、土地の有効利用という面から見ても都市の効率を下げていることが分かる。
 そもそも欧米の地下鉄以外の駅は、都市の中心部から離れたところにあることに日本人はビックリするのだけれど、それは広大な面積を必要とする頭端駅を作るには、地価の安い所を選ばなければならなかったから。
 

 

【例えば、マイセーユ・サンシャルル駅】
 マルセーユにお出かけの機会があったら、鉄道を利用するご予定があろうとなかろうと、ぜひ一度はメインターミナル、マイセーユ・サンシャルル駅を訪れていただきたい。 ・・・(中略)・・・ それでもヨーロッパの頭端駅に荘厳さや華麗さしか感じず、こうした駅の立地がいかに酷薄な大衆蔑視の思想にもとづいているかをお気づきにならなかったとしたら、・・・あなたは鈍感すぎる。(p.156)
 「こんな所に何で駅を作ったの」という感じである。階級社会の上位に君臨する者たちは、最初から大衆のために鉄道を作る気などなかったのである。
 ここからついでに、銃社会、クルマ社会との心理的関係。
 欧米ではエリートと大衆の間には、慢性的に険悪な空気が漂っている。エリートたちは、自分たちの境遇は実力で勝ち取ったものであり、大衆が自分たちと同じように豊かになれないのは、能力が低いから自業自得だと思っている。大衆は自分たちをアゴで使うだけで、体を使って働いているわけではないエリートたちが、自分たちよりはるかに高い報酬を得ているのは不当だと思っている。
 この状況が、クルマという「自分だけの空間」にたてこもっている時くらいしか、あるいは銃火器を振り回している時くらいしか、自分の運命を決めているのは自分だという実感をもてない人々の人数を増やしている。それが、クルマ社会化が進んだ欧米諸国の実態だ。(p.212-213)
 広大な敷地を有しながら利便性の低い頭端駅は、それほど大衆によって利用されない。
 大衆は自家用車を持つようになる。車社会はまた広大な駐車スペースを必要とする。
 鉄道利用率の低い都市は、必然的に空間的にもエネルギー的にも効率が悪くなる。

 

 

【例えば、中国・南京駅】
 人口の多い中国における鉄道は、過密なダイヤにせず、一度に多量の客を運ぶというシステムにしているので、駅には列車ごとに広~~~い待合室がいくつもあり、列車はたくさんの車両を連結していてとてつもなく長い。故に、中国においても駅の敷地は非常に広くなっている。だのに出口と入り口は別々にたったの一か所という構造をしているから、運が悪いと、ホームに入ってから乗るまで、または、電車を下りてから駅を出るまで、とんでもない距離を歩かされることになる。さらに追い打ちは、駅前広場に出たときに遭遇する、客引き達の凄まじいばかりの喧騒の嵐である。
 海外の鉄道をいくつか体験すれば、日本の鉄道は、乗客本意にできていて非常に便利であることを実感できるだろう。

 

 

【都市の比較】
 欧米社会の大都市は、機能分化・粗放・排除型だ。景観的には整然としてきれいだが、住居、生産、消費、娯楽と言った機能がそれぞれ違う場所に集中していて効率が悪い。居住地差別、大都市中心部のスラム化、郊外への人口流出と中小衛星都市のエッジシティ化が起きてしまう。エッジシティとは、交通量の多い幹線道路沿いにだらだらとロードサイドショップやショッピングモールが並ぶ、中心街のない「都市」のことだ。
 日本の大都市は、多機能混在・集約・包摂型だ。景観的には雑然としていて見栄えが悪いが、人間が町に要求するさまざまな機能が混然一体となっているので、とても効率がいい。居住地差別もほとんどなく、大都市中心部もスラム化しない。(p.70-71)
 日本の都市は、日常生活者にとっては便利だけれど、景観は冴えずゴチャゴチャという感じは否めない。
 欧米の都市では、観光都市としての景観維持のために、日常生活者は多大な不便を被っている。
 2003年に、ヨーロッパが記録的な猛暑になったときに、フランス中で約1万5千人、バカンスに行けないような貧しい家庭の、あるいはひとり暮らしの年寄りなどの体力的に弱い人たちがバタバタ死んでいった。パリと周辺部の被害がとくに大きかった。
 何故かというと、パリの街並み自体があとからエアコン一つ入れるにももの凄く金がかかるようなところで、とうてい庶民にはエアコンを入れるような工事費を負担できないような不細工な都市になっているからだ。見かけはすばらしくきれいだが、欧米的なエリート主義による、機能性より外見にばかりこだわる街づくりの典型と言ってよいだろう。しかも、パリはこの外見ばかりきれいだが機能性の悪い街並みを貴重な観光資源として、もう150年以上そのままで残しているわけだ。(p.238-239)

 

 

【アダとなる鉄道経営の封建領主的発想】
 大体、世界中の鉄道王と称されるような人たちは、自分が経営している鉄道を封建領主か何かのように思っている。だから、自分の会社が運航する路線以外との相互乗り入れは、やりたがらないものだ。これは、決して欧米諸国の鉄道王だけの問題ではない。(p.167)
 大阪圏における阪急、東京圏における京成と京急がその例である。独立志向のこれらの路線は、住民にとっては利便性が低いので、沿線の街は発展せず、地価は万年低水準だという。
 パリでは、3つ巴の主導権争いの結果、1895年に認可を得た事業主が、将来にわたって相互乗り入れができないように特別の工夫を凝らした地下鉄が作られた(p.241)と書かれている。住民無視の縦割り行政的なこの縄張り争いは、日本の比ではないらしい。
 交通システム上の不便だけでなく、人間性による交通不便も多々ある。
   《参照》   『ヘンな感じの日本人』 カイ・サワベ (講談社) 《前編》
             【パリの通勤電車】

 

 

【地球温暖化説の本質】
 地球温暖化説の本質は何だろうか? とにかく悲観論をまき散らして人を不安に陥れることを崇高な使命と感じている悲観論バイアスの強いマスコミと、万年不況から脱出したい原子力産業と、「従来どおりの環境論議では飯が食えなくなる」という危機を察知した自然科学者たちの連合勢力が繰り広げる政治的な意図の見え透いたキャンペーンではないだろうか? (p.286)
 違う。
 原発利権勢力や石油利権勢力や自然科学者たちによる意図的な情報操作ではない。近年の地球は気候の変動が非常に大きくなっているけれど、その中でも、毎朝、日の出の太陽を見ていたら分かるはずである。かつては昇る朝日を長時間見つめることなど当たり前にできていたものだけれど、最近は眩し過ぎて裸眼で見つめることができなくなっている。最近生まれた子供でもないかぎり、普通の大人なら分かることである。
 太陽の活動が、かつての状態とは異様に異なっているのである。科学者達の観測データなどなくたって自分で見てみれば分かるだろう。
   《参照》   『地球維新 黄金神起 黄金伝説 封印解除』 白峰監修 (明窓出版) 《前編》
             【3つの太陽】

 著者の主旨である大都市圏集中による日本経済復活という論旨に同意できないのは、まさにこの太陽に異常亢進状態が続いているからである。すでにヨーロッパと日本は冬季であっても北極海航路で行き来が可能になっている。地球全体の海水面が上昇しつつあることははっきりしているのである。ホーッケースティック曲線のカカト部分を過ぎ、漸増段階から急増段階に移行してようやく、全世界の人々が「もう避けられない」と等しく認識するようになるまで、あと数年だろう。それまでマスコミは従来どおりの経済指標をベースに成長幻想のカラ騒ぎを続けるのである。
 著者の分析にあるように、日本の経済力は平野部にある大都市圏が殆どを支えている。ということは、海面上昇が避けられないとはっきりした時、日本経済の力は他の国々に比べて顕著に激減するのである。都市部のインフラ整備は水疱に帰するだけである。
   《参照》   『高次元の国日本』 飽本一裕 (明窓出版)
             【地球の現状】
   《参照》   『分裂する未来』 坂本政道 (ハート出版) 《前編》
             【自然環境】

 

 
<了>