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 ヨーロッパに30年も住んでいる著者が、日本にいてもつ違和感が書かれている。短期間の海外旅行に行っただけでの人でも、著者のもつ違和感に同感できることはいくつかあることだろう。2009年3月初版。

 

 

【ドアの開く方向】
 そこで僕は、ゴッツ~~~ンと頭をたびたびドアにブチ当てる。 “押した” ドアが開かないからだ。
 ヨーロッパでは、ドアは内側に押して開ける。日本では外側に引いて開ける。
 こんな単純なことを忘れていた。 (p.26)
 この違いの理由が書かれていないけれど、以下のリンクに書いてある。
   《参照》   『美しき運命の傷痕』 仏・伊・ベ・日・合作
            【扉で見る文化】

 

 

【白川郷を保存した人 と ヨーロッパ人の日本ファン】
 飛騨白川郷の合掌作りの家屋に日本の美を見出し、取り壊されようとしていたのを保存させたのはドイツ人建築家、ブルーノ・タウトだ。1935年のことだった。
 時が経つこと、それから4分の3世紀。東京を訪れる多くのヨーロッパ人が日本ファンになって帰ってくる。
 その理由は 「雑で騒がしい日本の都市風景と異種文化が交差して出てくる “現代日本の風景” が彼らを魅了するからだ」 ということが、この頃よくわかる。(p.55)
 あまりにも不統一な建物形状と数多のネオンが煌めく異空間に “困惑する” という話なら何度か聞いたことがあるけれど、“彼らを魅了する” という文章は始めて読んだ。日本製アニメやPCゲームを通じてもった好印象が、“日本は素晴らしい国(なんじゃないかなぁ~)” という偏向グラスになっているのかもしれない。

 

 

【パリの通勤電車】
 自分が降りるべき駅に無事に到着してそこで降りることができることだけを考えている人が入り口付近に溜まっているから、入り口付近だけがスシ詰め状態になるのだ。東京の出入口がいっぱい付いている山手線のような車両こそ、パリの通勤電車に最も必要なものだと思う。 ・・・(中略)・・・ 。
乗車の際、「すみません、乗せてください」 とお願いしても、第1列目の人はよけてくれるかもしれないが、第2列目の人は知らんぷり。(p.112)
 パリの中心から15km程度のところに住んでいた著者は、何本か乗れずに見送るという。
 フランスはエリート階級が厳然と官僚支配する国なので、このような公共交通機関は、乗客の立場での車両設計とかサービスなど、とうてい思いつきもせず行き届いていないのだろう。
 それに、日本人なら、不便であっても乗客どうし乗れるようになんとか協力し合うだろうけれど、外国では乗客もあっけらかんと自己中なのが普通である。
 フランスではなく中国の例であるけれど、上海市内のバス停でバスが5分ほど止まっていたことがある。乗りたい客と、乗れないと言い張る運転手の言いあいが延々と続いていたのであるけれど、バスの前方は乗客で混んでいても、後方はスキスキだったのである。乗客だって開けてあげればすぐに乗れて出発できるのに、唖然とするほど思いやりがない。
   《参照》   『中国人民に告ぐ -痛憤の母国批判-』 金文学 (祥伝社)
             【中国での実体験】
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 台湾の大学内にあるエレベーターの扉にも、「降りる人が先、乗る人は後」 などと当たり前過ぎることが書かれた赤いステーッカーが、わざわざ貼られていたりする。(上掲写真)

 

 

【素材の味がわかる食品】
 「新米は味が違う」 というのが分かるくらい、日本人はお米に繊細だ。
 これ同様、あるドイツ人の知人は、マナの肉の臭いをかいで、「 “いい肉か悪い肉か” の違いが分かる」 という。
  ・・・(中略)・・・ 
 ヨーロッパでいちばん素材の味を生かした料理は、焼いただけのステーキだ。
 日本に帰って醤油味に飽きてきたとき、「血のジュース」 が滴るステーキがやたらと食べたくなる。(p.118-119)
 ドイツ人の主食はジャガイモと思われがちだけれど 「違う」 と著者は書いている。主食はあくまでも ”肉” だという。主食なのだから、それぞれに関してそのような嗅覚や味覚が発達していたとしても不思議はない。
 ところで、日本と欧米ではタンパク質の摂取において、植物性と動物性の摂取比率が逆転する。動物性タンパク質の過剰摂取は、明らかに人体の老化(酸化)を促進する。ワールドカップドイツ代表フォワードのクローゼが、僅か4年であんなにシワシワになっていたのでビックリした。動物性タンパク質ばかり摂っていると、年齢の割に間違いなくシワシワになっちゃう。そうでなければエッチのし過ぎである。

 

 

【家に入って靴を脱ぐ欧米人もある】
「欧米人は、家に入っても靴を脱がない」 というのは、昨今のヨーロッパではすでに100%定説ではない。
  ・・・(中略)・・・ 
 10年前には売っていなかった日本風のスリッパが、今やドイツやフランスの雑貨屋で売られているのは、 『脱がない』 神話が崩れてきた証拠だ。(p.129)
 それでもこれらは少数派で、ヨーロッパ人はまだまだ根本的には他人のお宅を訪問するときは靴を脱がないという。その理由は 「臭いから!」 というのが本当のところ。