4国の合作映画だけれど、舞台も俳優もフランス。
この映画、登場人物が多いので、あらすじ程度は事前に読んでおいた方がいい。


【テーマは何なの?】
 三人姉妹の起伏あるそれぞれの人生が交錯しながら描かれて、最後に母親の元に集まり、「それでも後悔はしていない」 で終わっている。そういう人生だった、というだけで何をいいたいのだろうこの映画は。
 「どのような人生であれ、その人生を受け入れる」 ってだけのことを言うために作られたのか? 
 「親子の人生は、同様な軌跡を辿るもの」 という、家族心理学的な様相を描きたかったのか? 
 どちらであるにせよ、私にとっては見る必要を感じない映画だった。


【演出は良かった】
 それでも、登場するいかにもフランス人的なアクター、アクトレスと、フランスの風景を見ているのは楽しかった。ストーリー以外の、背景映像やBGMはこの映画の雰囲気を高めていた。
 いくつもの、世界中の映画を見ることで得るものとは、映画のテーマ以外に、世界の国々の風景や文化が分ることである。心で感動できなくとも、もう一度見てみたいと思う映画がある。この映画は、私にとってそんな映画である。


【扉で見る文化】
 フランスなど、西欧の建物の扉は、必ず内開きである。日本は引き戸以外は、必ず外開きである。これは、安全に対する認識の違いから生じている。
 激昂しているダンナが押し入ろうとするのを、重たい家具を押えにして防いでいる場面があった。外開きでは外的の進入を防げない。こんなところからも、日本が如何に平和で安全な国であったかが分るというのも。


【 「いかにも倦怠感と思索に満ちたなフランス映画」 ではない】
 フランスといえば、私は直ぐに「倦怠感」という言葉を思い出す。正直好きになれない。学生の頃、フランソワーズ・サガンの 『悲しみよ、こんにちは』 を読んで、「フランス文学も、いいなぁ」 と思ったもの。しかし、それ以外のサガンの作品を読んで、あのかったるい倦怠感に、「もういいや、フランスは」 と思ってしまったもの。『悲しみよ、こんにちは』 が例外的だったのだ。
 そして、哲学的というか思索好きなフランス映画に、たいていの日本人はチョットついていけない感じを持つことが多いと思う。この映画にも、恋愛に関して意味だの思想だのの会話がでてくる。しかし、あまりくどくない程度なのでまだマシなほうだと思う。
 いずれにせよ、フランスの作品には、なにがしかの解決の道筋を予感させてくれるような期待ですら持てない。メビウスの帯上を駆け巡るかのような、思索の堂々巡りを永遠に繰り返すような閉塞感に終始している。


【年齢で見る世界の映画文化】
 西欧は老人である。老人には体力がないから、永遠なる思索は、自己満足として必要不可欠なのである。
 アメリカは大人の国なのに、若くあろうと背伸びの努力を永遠に続ける国である。だから、アドベンチャーやバイオレンスなど何でもありである。
 日本は中年でパワーは衰えつつあるが、江戸時代以来のニッチ文化、即ちオタク文化がしっかり生きている国である。『メゾンド・ヒミコ』 みたいな作品が作れる日本映画は、日本の文化力を示す一側面である。
 日本以外の東アジアは若い。若者はパワーとスピードと表面的美しさと憧れを要求する。

 


<了>