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 著者は、日本に住んで15年になるというイタリア人。異文化ゆえに違和感をもついろんな事例が書かれている。物事には長短の両面があるからどっちから見て語るかが問題なのだけれど、これは日本人向けの著作だから、著者はイタリア人の歴史的アイデンティティーを保持した視点で、日本人に気づきを投げかけてくれている。2010年6月初版。

 

 

【すぐに日本に恋をする外国人・・・その後は?】
 初めて日本を訪れ、すぐに日本の大ファンになる人のことです。
 そうなるのは、貧しい国や苦しい境遇から逃れてきた人だけではありません。外国で日本よりも高度な技術や、豊かな暮らしを楽しんでいる人々でも、比較的裕福な人々でも日本の次のような面に魅了されます。
 たとえば、日本のサービスの質、交通機関の便利さ、技術の信頼性に。
 店の多さ、ものの流通の多さ、人の親切さに。
 大阪、御堂筋の地下鉄が、ラッシュ時なら30秒ごとに、それ以外は2分半ごとに来ることに。
 日本に来て、すぐにこの国のことが気に入ってしまう外国人は珍しくありませんが、その好意がどれくらい続くかは人によります。
 数年、数か月、または数週間。それにはさまざまな要因があるでしょう。(p.30-31)
 「日本の印象は?」と訊ねると、多くの外国人が「便利」と答えるのをかつて何度も聞いてきた。「便利以外では?」と追加質問すると、大抵は即座に答えが返ってこないのである。だから、暫くすると日本に対する印象が変容し出すのである。
 ところで、「コンビニ」に象徴される「便利」の功罪が、この本のタイトルの伏線の一つになっているような気がする。日本の若者にとって「便利」は当たり前のことであり、当たり前に何でも揃っていすぎて、そんなのは幸せの条件ですらない。それどころか、「便利さ」や「豊富なモノ」に満たされてしまっているが故に、最初から全部自力でやり遂げようとする輝く機会がもてない「不幸」に包囲されていることですら自覚していないんだろう。

 

 

【日本式生き方、イタリア式生き方】
 多くの人は仕事熱心で、自我を捨て、一生懸命に、黙々と、するべきことをこなします。社会は安定し、これからも同じシステムが継続することが約束されています。
 けれども、日本のシステムと日本人の生き方は、悪いことももたらしました。
 人々は、日本式生き方を完璧に遂行することばかりに集中し、肝心の日本式生き方が生む美点を存分に楽しむことができていません。また、個人個人が、自分の人生の根本をよりよいものへと改良していくことに対する関心があまりにも低すぎます。
 イタリア式生き方では、その生き方じたいの性質、くわえて国全体の秩序の欠落した状態が幸いして、人々はかえって特異な創造性や柔軟性を開発し、生きるなかでイタリアのシステムに次々と押し付けられる無理難題を克服する能力を養います。人々は、現状では満足することをよしとせず、つねにもっといい何かがほしいと探しています。(p.44-45)
 日本とは違って、ヨーロッパ世界は、歴史的に国家・宗教・戦争という社会的な問題を常に抱えてきた。世界史に名高いルネッサンス(人間復興)を生み出した根本原因は国家や宗教による多大な圧力だったのである。そんな状態の幾つもの都市国家がかろうじてまとまってイタリアという国家を形成し得たのは、今からわずか150年ほど前である。
 ヨーロッパ人は社会に圧迫されるが故に個人が強くあらねば生きていけないような歴史だったのだから、個性的であることと生きることが直に結びついているような人々なのである。そんな人々が、日本に来てまもなく「便利さ」に驚いて日本を好きになっても、そんなのは本質的な部分に触れてはいないが故の一過性の感情である。彼らが気づくべき本質的な部分とは、日本人は個性的である必要性のない歴史を生きてきた民族であるがゆえにイタリア人とは「幸福感」が違う、ということなのである。
 それぞれの長短はほぼ逆なのであって、イタリア人が日本人を「幸せになれない」と感じているほどに、多くの日本人は自分たちのことを「不幸とは感じていない」はずである。
 中国人が日本人に対して感じている違和感は、イタリア人のものと同じだろう。
   《参照》   『中国人の秘密』  ルー・ウェイ HIRA-TAI BOOKS
             【統制の対象が違う日中 ? 】

 チャンちゃんは性格的に日本人の類型からかなり外れているから、イタリア人や中国人の自己を活かそうとする生き方が良くわかるけれど、日本人だって日本でそれをやろうとすると深い徒労感のはてにグッタリしてしまうのである。(もちろん、国際的に活躍している企業内でだったら、そんなことはないだろうけれど)
 元も子もないことを書いてしまうけれど、「おそらく、個を主張したい日本人は、海外に移住した方が、個人にとっても日本にとっても幸せなんじゃないか」と、本心では思っている。

 

 

【個人を虐げるイタリアという国】
 自動車税を払っており領収書も保管しておいたのに、国から督促状受けとり、それをめぐって国家対個人の争いが13年間も続いたという呆れた顛末が5頁に渡って書かれている。官僚の横暴や腐敗は、日本だって同じようなものだけれど、違うとするなら「隠然」と「歴然」の違いだろう。
 それにしても、イタリアは住民一人一人に対するサービス精神が、公共・民間を問わず、かなり劣っているのは間違いない。この本にも下記リンク本にも、そんな事例がこってり書かれている。
   《参照》   『イタリアですっごく暮らしたい』 タカコ・半沢・メロジー (ベネッセ)
             【イタリア郵便】

 

 

【「縦社会」と「均質化」】
 世界レベルで見ても「聡明で勤勉で真面目な日本人」が、幸福ではない理由はどこにあるのか? というのが日本に暮らして14年余りにわたり最大の疑問でした。
 その原因は「日本のシステム」にあるのではないか、というのが、私が得たひとつの結論です。
 日本は、日本独特の価値観によって、「縦社会」に、「均質化」に向かおうとする見えざる力があるという考え方です。それが、後述する「日本のシステム」ということです。(p.68)
 「縦社会」と「均質化」の二つは、本来両立しない言葉である。未成熟段階で促成された共産主義社会ではこの二つが併存するけれど、表向き自由主義を謳いながら日本人は共産主義的社会を形成しているから、「日本のシステム」は“日本人を幸せにしない”と大枠で理解することもできる。
 この本には、日常生活者レベルでの様々なケースが書かれているだけだけれど、日本国家という大枠に当て嵌めれば、「縦社会」の主柱は「官僚」であり、「官僚」に支配された状態で、長らく良識的に理解されてきた“お上の手”による「均質化」の実態こそが、今日の日本の格差社会なのである。なるほど、官僚支配が続く限り、日本人は幸福になれない。それははっきりしている。

 

 

【自分で選択し、質問すること】
 日本人が幸福になれない、最も根本的な原因はこれだろう。
 人は、子どものときから自分で人生の選択ができるわけではありません。「できる」という考えは、幻想であり、危険な思い込みです。子ども時代という二度とない機会を無駄にしてしまう怖れがあります。
 けれども、子どものときから「小さな選択」になれることは大切です。そうしながら子どもは、「幸福とは何で、不幸とは何か」を見極めることを学びます。(p.73)
 親の指示どおりにしている子どもたちは、自己選択する能力が全く育たないから、親の価値観という穢れが染みついた心の洗濯もできないまま、魂が育っていない状態なので、大人になってからその代償として多大な時間を失うことになるのである。近年、日本の若者が関わる社会秩序が急速に綻び出しているけれど、その原因を作っているのは間違いなく親たちである。両親、特に母親の劣化がはなはだしい。

 

 

【自分の幸せを追求したい・・・?】
 日本のシステムは、自分の幸せを追求したいという人の気持ちを、どういうわけか実に上手にブロックしてきました。(p.178)
 それは日本という国土のもつ産土力が、世界でも特異な「最大融合極性」を示す土地だからである。
 「分離相対性」の強いヨーロッパという地場において「自分の幸せ」を追求するのは相応しいことであっても、「最大融合極性」を示す日本と言う地場(磁場)の中で「自分の幸せ」を追求しても、結果的に虚しいのである。
   《参照》   『ガイアの法則』 千賀一生 (徳間書店) 《前編》
             【経度0度と経度135度の文明的特徴】

 日本人なら、性別・年齢に関わりなく、 『青春の影』 という歌の中にある
 「自分の大きな夢を追うことが、いままでの僕の仕事だったけど、君を幸せにする、それこそが・・・」
 という気づきの真実性に関してダラダラ説明する必要はないはずである。

 

 

【日本人が忘れているもの・・・】
 ひとくちで言うと、日本人は「今を楽しめ」の概念をまったく大事にしません。「手に入らないことによる失望」を避けるために、最初からあきらめているようなのです。(p.235) 
 この本では「今を楽しむ」と表現されているけれど、神道的表現でいえば「中今を生きる」とか「只今を生きる」という表現になる。日本人の帰宅時の挨拶である「ただいま」は、「只今を生きる」を現わしているのである。これは神道のエッセンスと言うより、全世界のスピリチュアルティに共通する生き方の極意であり真髄のはずである。
   《参照》   『どこまでも強運』  深見東州  たちばな出版
             【神道の風土】

 「今を楽しむ」ことと「手に入れたい」ということは、まったく異なる基準に因っているのだけれど、同一だと思っている人にとってその基準とは「お金」なんだろう。完全に間違っている。魂に則する生き方を忘れた人間は、お金に隷属するようになってしまうのである。
   《参照》   『幸福の迷宮』 アレックス・ロビラ+フランセス・ミラージェス (ゴマブックス)

 

<了>