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 『幸せの青い鳥』 を、より気付きやすく具体的かつ詳細な比喩を用いて物語にしたもの。主人公の名前は、ギリシャ神話の 「赤い糸の伝説」 のアリアドネを用いている。

 

 

【アリアドナ・イン・メイズ】
「この先ずっとこんな人生が続いてゆくのかしら」 (p.8-9)
 と考えている町はずれの合成繊維工場で働いていた33歳のアリアドナという女性が、解雇を機に<嘆きの森>に分け入って迷宮(メイズ)に入りこむ。さながら、アリス・イン・ワンダーランドのような、アリアドナ・イン・メイズといった構成の物語。
 森で2番目に出会ったのは、“光の蝶” を探しているという探検家。彼が言ったこと。
 「ここは、人生の意味を見失った者の来るところ。迷える心が答えを求めにやってくる、人の心の中の迷宮です」(p.22)
 探検家は、迷宮のガイド役である。

 

 

【愛の銀行】
 おばあさんが教えてくれたこと。
「たくさんの人たちが <幸福の迷宮> で迷ってしまっているのは、愛を与え、愛を受ける秘訣を忘れてしまっているからなのよ。ここではそういう人たちに、はじめての預金を教えてあげるの。あとは簡単、実行するのみなのだから。ひとりひとりが 『愛の銀行』 なのよ、忘れないで」
「でも、この銀行はどういうしくみなんですか?」 アリアドナが訊ねた。
「無利子で愛を管理しているのよ。そうすれば、人が見返りを期待することもないでしょう? 微笑み、抱擁、愛撫、キス、いとおしむこと・・・、そういうことで預金ができるの。投資するものがなんであれ、必ず利益になって価値を増してくれる。多額の預金を引き出すこともできるけれど、この銀行では許すことと、時には沈黙する術と、人の好意に報いる方法を知るということを高く査定しているの。どんどん運用しなくちゃ!」 (p.42-43)

 

 

【プシケ】
 おばあさんの他にもいろんな人に出会った後、アリアドナは、再び “光の蝶” を探している探検家に出会った。
 彼はアリアドナの前に歩み寄ると 「まだ幸福を探しているのかね?」 と訊ねた。「いいかね、幸福は探しても意味がないんだよ」 アリアドナの答えを待たずに探検家は続けた。「探すものではなく、ひょっこり出会うものなんだ」
「出会うって、どこで?」 アリアドナは訊ねた。
「どこででも出会えるとも言えるし、そしてどこででも出会えないとも言えますな。なぜなら、幸福というのはゴールではないのですからな。ゴールではなく、香りなのですよ」
「香り?」 アリアドナは、意味がよく分からずに訊ねた。
「そのとおり。心打つものから漂ってくるかおりのようなものなのだよ。すばらしい夕焼けとか、子犬を撫でたりすることとや、愛する人から向けられたまなざしや、美しい歌・・・。そんな忘れられない瞬間からね。だから蝶みたいに捕まえたりはできやしないんだ」 (p.105-106)
 アリアドナが思いだして “光の蝶” は見つかったの? と訊ねると、探検家はこう答えている。
 ギリシャ語では蝶を、魂を意味する言葉でもある 『プシケ』 という名で呼ぶのを知っていますかな?  ・・・(中略)・・・ 。だから捕まえるのが難しくても当然のことですな! 蝶を捕まえるのは魂を捕まえるようなもの。魂はいろいろなものに宿りこそすれ、そこにとどまり続けたりはしないのですからな。幸福の香りなのですよ。分かりますかな?」 (p.107)

 

 

【迷宮の真ん中へたどり着くためのヒント】
 “迷宮のド真ん中” で出会えるのは、実は本当の自分自身。台風の目の中心みたいに最も穏やかで最も安定したところ。そこに辿りつくために苛烈な暴風雨圏を突破するパワーって誰にでもあるわけではないし、そのようなパワーって必ずしも必要なものでもない。
 この著作の中に記述されているような、ちりばめられたヒントに気付ければ、迷宮のド真ん中にワープできていることだろう。巻末には、いろんな人の言葉が、ヒントとして記述されてもいる。
 他の何にでも備えてあるのに
 ここで今を生きることにだけ
 備えていない人がいる。   ――― ジョン・レノン (p.153)

 決心は運命の蝶番。   ――― エドウィン・マーカム

 幸福のドアは内側に向かって開くから、
 開ける時は一歩下がらないといけない。
 押せば押すほど閉まってしまう。 ――― セーレン・キルケゴール (p.155)

 

 

<了>