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 タイトルの作品を含む6つの短編が掲載されている。「神の子どもたち・・・」 も印象的ではあるけれど、この中では、「アイロンのある風景」 が一番、意味深である。

 

 

【焚き火】
「焚き火が好きなのね」
 三宅さんはうなずいた。「もう病気みたいなもんや。だいたい俺がこんなへそのごまみたいな町に住み着くようになったのもな、この海岸にはほかのどの海岸よりも流れ着く流木が多いからなんや。それだけの理由や。焚き火やるために、ここまできてしもたんや。しょうもない話やろ」   (p.55)
「焚き火が好きなのね」 と問いかけた順子は、ジャック・ロンドンの 『焚き火』 に思い入れのある女性。三宅さんは流木が流れ着くこの関東の町に、関西から一人でやってきたおっさん。
「三宅さん、火のかたちを見ているとき、ときどき不思議な気持ちになることない?」
「どういうことや」
「私たちがふだんの生活ではとくに感じていないことが、変なふうにありありと感じられるとか。なんていうのか・・・・・、アタマ悪いからうまく言えないんだけど、こうして火を見ていると、わけもなくひっそりとした気持ちになる」
三宅さんは考えていた。「火ゆうのはな、かたちが自由なんや。自由やから、見ているほうの心次第で何にでも見える。順ちゃんが火を見ててひっそりとした気持ちになるとしたら、それは自分の中にあるひっそりとした気持ちがそこに映るからなんや。そういうの、わかるか?」
「うん」
「でも、どんな火でもそういうことが起こるかというと、そんなことはない。そういうことが起こるためには、火のほうも自由やないとあかん。ガスストーブの火ではそんなことは起こらん・・・(中略)・・・」   (p.54)
 炎の効用は、自分の中にあるものの反映というだけではない。おそらく炎には、思念の停止に類する効用もあるはずだと思っている。思念の停止が先にあって、深層意識や潜在意識を引き起こす顕在化が起こるのだろう。
 仏門に入った者が調理場を任されることは重要な修行過程となっている。しかし、その寺の調理場がガス器具で調理するようになってしまっているのならば、それは完全に形骸化してしまっている寺である。
   《参照》  『惑星地球を癒す5つの魂』 ジョヤ・ポープ  徳間書店

            【暗黒の時代だからこそ、「炎」によるセルフ・ヒーリング】

 

 

【 『アイロンのある風景』 】
「三宅さんってどんな絵を描いてるの?」
「それを説明するのはすごくむずかしい」
 順子は質問を変えた。「じゃあ、一番最近はどんな絵を描いた?」
「 『アイロンのある風景』 、三日前に描き終えた。部屋の中にアイロンが置いてある。それだけの絵さ」
「それがどうして説明するのがむずかしいの?」
「それが実はアイロンではないからや」
順子は男の顔を見上げた。「アイロンがアイロンじゃない、ということ?」
「そのとおり」
「つまり、それは何かの身代わりなのね?」
「たぶんな」
「そしてそれは何かを身代わりにしてしか描けないことなのね?」
三宅さんは黙ってうなずいた。 (p.63)
 「何かを身代わりにしてしか描けないこと」 がある。だからこそ文学小説がこの手法を用いて描いている。それを、著者は 『アイロンのある風景』 というこのタイトルとこの短編に託している。
 それを象徴的に表わしているのが、「焚き火が消えたら、・・・・」というクロージングである。

 

 

【焚き火が消えたら、寒くなっていやでも目が覚める】
「ねえ三宅さん」
「なんや?」
「私ってからっぽなんだよ」
「そうか」
「うん」
 目を閉じるとわけもなく涙がこぼれてきた。・・・(中略)・・・身体は細かくぶるぶると震えた。
「ほんとに何もないんだよ」と彼女はずいぶんあとになってかすれた声で言った。「きれいにからっぽなんだ」
「わかってる」
「ほんとにわかってるの?」
「そういうことには結構詳しいからな」
・ ・・(中略)・・・。三宅さんの腕に抱かれているうちに、だんだん眠くなってきた。・・・(中略)・・・。
「少し眠ってもいい?」 と順子は尋ねた。
「いいよ」
「焚き火が消えたらおこしてくれる?」
「心配するな。焚き火が消えたら、寒くなっていやでも目が覚める」

 彼女は頭の中でその言葉を繰り返した。焚き火が消えたら、寒くなっていやでも目が覚める。それから体を丸めて、束の間の、しかし深い眠りに落ちた。   (p.66)
 からっぽな人を、束の間の深い眠りで慰撫するのみで、救済はない。文学がするのはそこまでである。

 

 

<了>