皆さま

 

こんなことをしてみたい、と

思えるようになったら、やっぱり

次に大切なのが、行動ですよね。

 

行動することで、目の前の現実も

変わっていきます。

 

詳しくは本文をお読みください。

 

本日もよろしくお願いします。

 

【自己紹介】

幸せな人生に転換できた僕の物語

 

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「畳職人、和(なごみ)の生き物語」

~⑤粘り強く行動してみることも大切~

 

前回のお話しはこちらです。

~①少年時代、不運な出来事が和を襲う~

~②愛されなかったと信じる子ども時代~

~③子ども時代に感じたワクワク感~

~④仕事を選ぶときのコツ~

 

高校卒業と同時に畳職人になろうと

決めた和(なごみ)は、行動に

移し始めます。

 

とにかく近所の畳屋さんから、

手当たり次第に連絡をしてみ

みたのです。

 

でも、ほとんどの場合、畳の

需要が減っていることもあり、

新たな人手を必要としていませんでした。

 

そうして、せっかく面接まで進んだとしても

和が左目が見えないことを伝えると、

多くの場合が、良い顔をされなくなって

しまうのです。

 

和は、そのことでずいぶんと落ち込みました。

でも、

「僕は、畳に救ってもらったような気がするし」

「畳の上で、生きる歓びを感じることができた」

「畳のおかげで、人がなぜ生きているのか知れたような気がした」

 

だから、畳職人になることを

決して諦めなかったのです。

 

来る日も来る日も畳屋さんを

探しました。

 

学校が終わるとすぐに、畳屋を

探すのです。

 

街の情報誌を読んだり、電話帳で探したり、

ときには、自転車で遠くの街まで畳屋を

探しにいったのです。

 

家に帰るのは遅くなりました。

 

それでも和は、諦めませんでした。

 

数か月ほど、その生活を続けましたが、

結果は畳屋への就職は決まらなかったのです。

 

さすがに和も自宅の畳の上で、

お手上げの意味を込めて、大の字に

寝転がりました。

 

「僕は左目が見えないし、これはきっと畳職人にはなれないってことなのでしょうか?」

 

誰に話しかけるでもなく、和は

疲れ切った身体を横たえて、

そんな風に呟いたのです。

 

もう和は、自分でやれることは

やりきったのです。

 

だからこそ、こんな風にお手上げの

状態になっていました。

 

すると、玄関のドアが開けられる音が

したのです。

 

「ただいまー」

 

仕事を終えて帰宅した和の母でした。

 

「おかえり」

和が少し疲れた声で答えます。

 

そして、和の母は思いもよらない言葉を

和にかけるのです。

 

そう、いつもは淡々とした母が今日は

なぜだか少し興奮気味でした。

 

そのことに和も驚きましたが、

母が話したそうなので、和は

黙って話しを聞きます。

 

「今日ね、会社に来た人の実家がね畳屋さんやっているんだって」

「え、畳屋?」

「そう、それで、古い職人さんが辞めたから、新しい職人になる人を探しているんだって」

「えー!」

「若い人なら、未経験でも育ててくれるって、和、面接受けてみたら?」

和も少し興奮を抑えられません。

「そうしたら、お母さんが紹介してあげるから」

「う、うん、そうだね、でも僕は左目が見えないんだけど、そのことは話してくれたの?」

「また、そんなこと言ってんの?それは面接のときに自分で話しなさい」

 

やっぱり、和の母は和がずっと思っていた通りの

人です。

 

ただただ、事実を事実として受け入れて、

そのことに振り回されず、淡々としています。

 

和が本当はもっと甘えたいけど、それを

させない何かがあることを伺い知ることできました。

 

でも、これは、母からしたら

とても大きな愛情表現でもあったのです。

 

大切なひとり息子の就職の手伝いが

できたからです。

 

和もそんな風に話してくれた母に、

ありがたいと感じていました。

 

そうして、様々に粘り強く畳屋を

就職先として探してきた和でしたが、

もうお手上げ状態と言うほどに行動を

してみると、思わぬところから新しい

話しが舞い込んできたのです。

 

和は、早速母に畳屋を紹介してもらい、

面接を受けに行きました。

 

和の内心は、また左目が見えないと

伝えたら、きっと断られるのだろうと

ビクビクしています。

 

これまで、そんな経験ばかりだったので

それもまた仕方のないことかもしれません。

 

面接で和は、畳屋の社長にこう話しました。

 

「私の左目は見えません。でも、左目が見えないからといって、諦めたことはほとんどありません。普通の人間として今まで生きてくることができました。それは、あくまでも普通のひとりの息子として育ててくれた母のおかげでもあります。だから、諦めることなく、私は、畳職人として畳を通じて、生きる歓びを広げていきたいと思います」

 

和のその姿は、凛としていました。

もう、迷いはなくなっているようです。

 

こうして見事に和は、母の手助けも

あって、畳職人になることに

なりました。

 

「おめでとう」

 

この日ばかりは、淡々とした母も

少しばかしうれしそうでした。

 

「和、今日はステーキ焼くわよ」

 

和の部屋にそんな言葉が、

転がり込んできたのです。

 

【続く】

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この物語を読んで何か一つでも

感じていただけたら嬉しく思います。

世の中が今よりも幸せな場所になっていきますよう

想いを乗せて書いています。

 

皆さまよろしくお願いいたします。