今日午前1時、JR横須賀線逗子駅近くにある「山の根踏切」が廃止された。
JR横須賀線の上下線に留置線6線、さらに総合車両製作所への入出場線と何と計9線も跨ぎながら
警報機も遮断機も無い第四種踏切というデンジャラスなロケーションだったが、人身事故も発生し
第一種格上げにも「開かずの踏切」化の懸念があり、やむなく踏切廃止との結論になった。
こういう時に決まって「住民無視の暴挙」とか「地域住民を無視するな」とかの論調も湧き出すが
近々の命を守らない動きに対してああだこうだ言ってるわりには、随分身勝手な言い分だなと。
過去に死亡事故も起こっていて、命を守る為にJRも行政もかなり苦しい決断だったと聞いている。
何より優先されるべきは安全であり、それができないのであれば致し方ないこと。
確かに日常使いに迂回はキツイかもしれないが、何ともモヤモヤした最後になった感じだ。
そんな今や唯一無二の存在と言っても良かったこの山の根踏切。
電車に乗っている時には何度もあるけれど、実際に渡ったことはこの10年で5回あった。
そのいずれも、東急車輌、のちの総合車両製作所横浜事業所からの新車の出場撮影の時。
何度か撮影に赴いているうちに存在に気づき(意外に世間知らず)撮影にも歩くようにもなった。
2011年12月1日木曜日 西武鉄道2000系甲種輸送
最初に山の根踏切の「存在に気付いた」のは、10年前のこの冬迫る頃。
更新改造を受けていた西武鉄道新2000系の出場回送をさらに先の山の根第二踏切(やはり四種)で
撮影して、逗子駅まで歩いて追っている時に初めてその存在を認識した。
その時の経験を経て、いざ訪問の動きに転じたのは翌2012年。
2012年1月31日火曜日 南海電鉄8000系甲種輸送
この時、初めて山の根踏切を渡り、踏切の佇まいを具に見ている。
改めて見て、そのロケーションの凄さにいたく圧倒されたものだ。
この時は、まさか令和のこの時代まで変わらずに生き永らえようとは思いもしなかった。
似たようなロケーションに拝島駅付近があったが、あそこは留置線・引き上げ線部分のみの四種で
ここまでの規模を一気に渡れる四種踏切は、ここが最初で最後の経験だった。
甲種輸送の時は、踏切手前で列車が一時停止する逆転停車が定番w
おかげで通過の直前直後にも渡ることができたわけで、間隔を測りつつ左右指差確認を行いながら
右に左に渡りつつ、目的編成の撮影をしたものだった。
少なくとも自分が行った時には余計な罵声や啀み合い等は一切無く、安全に留意しながら譲り合い
時には談笑しながら共に列車を待ち、撮影し、エールを送り合ったものだった。
逗子駅構内は中々に色々あったが、ここでは気持ち穏やかな時間が流れていた印象が強い。
それは、甲種輸送編成が逗子駅構内に入っていくために一時停止を繰り返し、やがては踏切上にも
停車してしまうほどののんびり感がそうさせていたのではなかっただろうか。
それは山の根踏切がなくなった今日以降も、その空気だけは続いていきそうである。
以来、全体撮影からしたら2割くらいなのだろうが、時間に余裕があると赴いていた。
中には、こんな特異な列車も撮っていたりする。
2012年9月27日木曜日 東武鉄道634型スカイツリートレイン甲種輸送
未だ現車には乗れていないけど、こんな貴重な一場面はしっかり収めに出向いている。
そして、甲種輸送で一番往来が多かった私鉄は、やはり東急電鉄であろうか。
ここ数年は出場に入場に、ほぼ毎月何かしらの往来があった。
もっとも、山の根踏切までわざわざ赴いたのはこの一度きりだったみたいだが。
それ以外は、神武寺駅や手前の山の根第2踏切で撮った後はスルーだったこともある。
2019年4月9日火曜日 東急電鉄3020系甲種輸送
踏切上で一旦停止するポイントに「のるるん」がいるなんて粋な演出もあったw
ただ、この時点で「先日人身事故が起きて、俄かに物議を醸している」なんて書いている。
この頃から、やがて廃止になるのではという危機感が出始めていた。
2019年7月23日 JR東日本E531系引き出し※
そんなことから、少し赴く機会を増やしたこともあったが…
2020年に入り、コロナ禍が暗雲を運ぶとそれもままならなくなってくる。
そして、2020年。
2020年7月16日 小田急電鉄5000形甲種輸送
この時、待ち時間に気が向いて留置線など横須賀線関連の撮影もしている。
すでにE235系の導入も目前だったから、記録する意識は高かったというところ。
もう一年以上前のこの時が自分にとって、最後の山の根踏切での撮影となった。
今にして思えばあの列車も撮りたかった、とかもついつい出てくるが…
寸暇を見ての訪問は容易ではなかったのだから、良い記録をしていたなと前向きに捉える。
撮り鉄に関する諸問題が年々厳しさを増す中にあって、この場所は自分にとっては比較的穏やかで
ゆっくり訪ねられる中々に稀有なポイントであったが、時代の流れには逆らえまい。
むしろ、よくここまで残っていたなとまた前向きに捉え、振り返って餞としたい。
そして…
そういえば最近はすっかり甲種輸送も撮影していないが、またゆっくり巡れる日が来ます様に。