『マナって一体何だろう?其の壱』で本筋から外れたため、一旦リセットして考える事にした。

改めまして、マナって一体何だろう?マナの真理とは何だろう?

困った時は聖書(⇆加藤さんの教え)。マナについて何と書いているのか見る事にした。聖書を解説している情報を探して、丁度良い記事を見つけたので、そこを手掛かりに加藤さんが何を伝えているのか考えた。

 

 

マナを与えられた状況

民の不満①

出エジプトの後、カナンの地を目指してモーセ一行がシンの荒野に入った時のこと、民は食べ物に飢え、生活の苦しみからモーセに不平を言いました。エジプトでは肉鍋を囲み、パンを満ち足りるまで食べた。だからその時に主の手にかかって死んでいたらよかったのに、と主の真意を全く知ろうともしませんでした。

神は、夕方には鶉を、朝にはマナを与えられました。朝露とともにマナは下りました。細かいものでした。これは何だろう「マーン・フー」と言ったところからマナと名付けられました。モーセは説明しました。コリアンダーの種のようで、白く、蜜を入れた薄焼きのパンのようだと。

 

民の不満②

毎日同じものだと飽きがきます。すると不満が出、欲望にとらえられてしまいます。肉が食べたい、魚も、ニンニク、タマネギ、スイカも、とエスカレートし、「今や、このマナを見るだけだ」(民数記11:4~6)と。

この時には吐き気をもよおすほどのウズラを神は与えられました。しかし同時に、過ぎた欲望を裁かれました。このようにして、カナンの地を向こうに見えるヨルダン川にやっとたどり着きました。

 

40年の教訓

モーセは言った。「この40年の間、荒野であなたを歩ませられたすべての道を覚えていなければならない」(申命記8:2)。これからのために絶対に必要なことでした。

「それは、あなたを苦しめて、あなたを試し、あなたがその命令を守るかどうか、あなたの心のうちにあるものを知るためであった。それで主はあなたを苦しめ、飢えさせて、あなたも知らず、あなたの父祖たちも知らなかったマナを食べさせてくださった。それは、人はパンだけで生きるのではなく、人は主の御口から出るすべてのことばで生きるということを、あなたに分からせるためであった」(申命記8:2、3)

「主は幾たびとなく救い出されたが・・・自分たちの不義の中におぼれた。・・・主は彼らのためにご自分の契約を思い起こし 豊かな恵みにしたがって 彼らをあわれまれた」(詩篇106:43~45)

こうして40年かかって学んだことは、「主を心に据えること」でしたパンは体を支える食物です。体の命をつなぐものです。天の父は重々ご存じです。だから「まず神の国と神の義を求めなさい」(マタイ6:33)

 

荒野での生活は、食べ物、物資が無いのだから、普通だと死んでしまう。おそらく、加藤さんが伝える間も無く訪れるであろう更なる破壊、荒廃の時代も、同じく普通だと死んでしまう様な過酷な状況、荒野での生活を意味するのだろうと考えた。その様な中で、物理的にパンを求めても、生き残るのは不可能。「主の御口から出るすべてのことばで生きる」→代弁者、「加藤さんのすべての言葉で生きる」事を学ばなければ、生き残れない。加藤さんに軸を合わせる、トリガーとなるアイテムを使うなどして「加藤さんを心に据える」のが重要だと伝えている理由にも、繋がる話だと思った。

 

 

マナが与えられた状況は過酷だった。動画の中の加藤さんの言葉、「マナはウエハースの様」だ言うのを聞いて、ウエハースを買ってマナを食べている風をイメージした。マナがどの様な味なのか知りたい気もするけれど、40年間ウエハースはきつい。1週間でも飽きる。それ以外無いなんて、かなりヤバい状況だと、ウエハースを食べながら想像した…