今日はこの曲を貼らないわけには。
3月9日。
この曲がいかに好きかというと、
瞳を閉じればあなたが
『僕は皆さんの何かになれましたか?』
私はむしろ彼に問いたい。
私たちはあなたにとって本当に
まあそんな自問を常に繰り返すということは
あなたにとってわたしもそうでありたい
と願っているということで、
裏返すと
わたしにとってあなたはそうである
ということではあるよな。
2020年の3/9に書いた記事に、
ありがとう=愛
と書いた。
今日、羽生選手のことを書いてみて
改めてこのことを思った。
2020年の記事を読んだら
元気だった頃のいちたんの画像が貼られていた
この頃は普通に元気だったな
それがいかにかけがえのないものだったか…
それを昨年の記事を書いた時には
痛感していたのだろうな
今またそれを改めて味わっている
2020.12.23に撮影
なんてことのない、かけがえのない風景
また3/9は
3/11の2日前。
わらしちゃん@warashichan_pnk平成23(2011)年3月9日午前11時45分さ発生しだ、三陸沖を震源どするマグニチュード7.3の地震がら11年だなっす。この時も青森県がら福島県さかけでの太平洋沿岸さ津波注意報が発表されで、大船渡で最大60センチの津波が観測されたんだなっす。
2022年03月09日 11:45
わらしちゃん@warashichan_pnk毎年この地震さついてツイートするど、あの日が近づいてきたことを実感するなはぁ。 https://t.co/B0STFzoK0t
2022年03月09日 11:47
いくつか紹介されているエピソードの中で
特に私の心に残ったのは、
釜石市鵜住居地区の人々が逃げ込んだという
栗林町の避難所の話だった。
以下に引用する。
鵜住居町から西に約6キロの栗林町。
山間地で津波に遭わなかったため、
鵜住居の人たちが
命からがら逃げ込みました。
最初に逃げてきた人は、
ずぶぬれでけがをしていて、
「津波にのまれ、一緒に逃げていた
おばあさんの手を離してしまった」
と話しました。
電話も携帯も通じず、
鵜住居町の状況は
何もわかりませんでしたが、
栗林町の人たちはこの一言で
「大変なことが起きている」と判断。
自ら避難所を開き、運営を始めました。
(中略)
気付けば食べていたおにぎりが、
なぜ絶えず届いていたのか。
支援物資がいつも公平に配られ、
争いが起きなかったのはなぜなのか。
大変だけれど楽しかった避難所の
思い出の中で、
岩崎さん夫婦は、
当時疑問にすら思わなかった
栗林町の人々の思いに触れました。
人知れず差し伸べられた手の温かさに、
「ありがとう」の思いがあふれます。
・お誕生日から得られるデータ
・トートタロットリーディング
の2本立てで
あなたの持つ美しさを
見える化していきます。
今日も世界は豊かで美しい。
あなたも私も佳く生きている。
思いがけず長くなってしまった。
このような長文をお読みくださいまして
本当にありがとうね。
どうしても今日伝えたかったのだ。
*
このブログを通して出会ってくださいまして
ありがとうございます。
多分2021年末頃にいちたんにお供えしていたお花
ご登録くださった方に
トートタロットひとことオラクルを
プレゼントしております。