全てのインタビューを見たわけではないし、情報も追い付けてないし、見聞きしたことを自分の頭で全然整理できていないから、話せることはほとんどないのだけれど、でも「問われている」から、今書いておかなければと思ってここにきました。



[ NHKのインタビューを見て ]


インタビュアーが聞きました。

「故郷、仙台市とか、被災地への思い、ファンへの思いはいかがでしょうか」

私は
「なんで、いつもそれを聞くのかな、さっきの会見でも、過去にも、もう十分にそういうことは話してきてるし今聞かなくてもいいことなのに」
と思いました。

でも同時に、
羽生くんはきっと、いつものように丁寧に何か前向きな言葉を発するのだろうな、、とも思いました。

すると
その瞬間に彼から出た言葉たち。

「僕は皆さんに問いかけたいです、ちょっと。僕は皆さんの何かになれましたか?って。これまで金メダルを持ってきて、結果というもので恩返しできたと思ってますけど、今回は何も持ってこれなかったなと思っているので、皆さんの何かになれてたらいいなって、たとえそれが物じゃなかったとしても、たとえそれが演技そのものだったとしても、たとえそれがたった1回の4Aという挑戦だけだったとしても、皆さんの何かになれていたらいいなって思ってます。」














はっきり言って
この問いかけを聞いたとき、
頭を殴られたような感覚がありました。
逆質問くるとは思わなかったし。

胸元つかまれて
「ねえ、どうなんだよ!」
と聞かれているような…


動揺しながら、
今まで仙台は、羽生結弦選手に甘えていたんだなって、なぜか思いました。( これは私個人の思いです。)





そしてですね。

後から見直すと、そんな強く問いただすように羽生くんは言ってないんですよね。
羽生くんが「仙台市民の私に向かって訴えてきた!」と私の脳が勝手に反応したみたいでした。













でも、改めて見ても思うのは、
羽生くんは本当に本気で死ぬ気で金メダルを目指していたのだということ。
欲しかったんだよね。
故郷に持って来たかったんだよね。

なぜそこまで思うのか。


ソチオリンピックのときの「無力感」を思い出します。

金メダルをとったけれど、自分は一体何ができたのかと言っていた。

けれど、そのあと被災した中学校を訪問して、皆が金メダルを見て喜んでくれているのを目の当たりにして、そこで初めて、自分の成したことを実感できたんだよね。

だから、、羽生結弦選手にとっては、
それが、
金メダルというものが、
やっぱり必要だったんだなと思いました。自分の夢とみんなの夢。それが形になって存在しているものとして。

努力が報われるとは、
「自分の努力に相当する成果や成功を得ること」と辞書に書いてある。

羽生くんのものすごい努力に対して、金メダル(成果)は得られなかった。だから「努力は報われなかった」しかし、4A認定は成されたから「少しは報われた」と思えたのですね。

挑戦したことは称賛されていますが、
4Aがどれだけ困難な道のりであったのか、世間にもう少し伝わって欲しいなあと思います。あの羽生結弦でさえ、完全な成功はならなかった。そういう技のジャンプであることを。




始めに戻って羽生くんから投げかけられた言葉。



「みなさんの何かになれたか?」


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何かになれたに決まってる!

羽生くんは仙台の誇りなんだよ!



もしね、世界初の4A認定おめでとうパレードがなされたら、きっとソチや平昌のときよりたくさんの人々があの道路を埋め尽くすはず。

スケート道を極めていくあの美しい演技と、知性と優しさ溢れる心に魅了され、増え続けたたくさんの世界中のファンが集まってきてね。
きっと新幹線が増便されて、ホテルは満杯で。


そして今までも、これからも、
ことある毎に、羽生くんが紹介されるとき、そこに必ず「仙台出身」がつくんだよ。


「Yuzuru Hanyu is from Sendai.」
   
     SENDAI

SENDAIは世界中に名前が広がったんだよ。羽生結弦の名前と一緒に。
そしてSENDAIという街を知った人は、来たことがなくても、そこがいい街だと思ってくれる。それは羽生結弦さんを通してこの街SENDAIを見るから。

羽生くんは何度も「仙台が好き」と言ってくれる。それを聞くたび嬉しくて誇らしくて、自分は何もしてないのに、たまたま同じ街に生まれた奇跡に感謝するのみ。
本当にありがとう。仙台に生まれ、この街を愛し、この街にいてくれていることに心からありがとう。

仙台の礎を築いた伊達政宗公も喜んでいると、私は本気で思っている。

日本のみならず、世界中の多くの国々の人に愛されている仙台市民は羽生結弦さんしかいない。


金メダルという「物」が手のひらにつかめていないから「努力は報われなかった」かもしれない。ものすごく頑張って努力してきた羽生くんに他人が何を語っても、そこの部分の空白を埋めることはできないかもしれない。

でも、羽生くんはいつも前を向いているし、倒れても必ずそこにある何かをつかみとって立ち上がる人だと知っている。
形としてなくても、そこに至るまでに価値があることもわかっていると知っている。


もし、金メダルを
目の前に見せてもらえたら、にっこり笑うと思うよ。嬉しいと思うよ。

でもね、それは羽生結弦さんが持ってきて差し出してくれる金メダルだからこそ嬉しいのです。


あなたが話したこと、行動してきたこと、故郷にずっと心寄せてきたこと、みんな知っているから、あなたそのものの胸にはもう金メダルがかかっているのです。


そして
今、両手に持っている金メダルは、あれからずっと輝いていたし、これからも「羽生結弦のスケートに誇りをもって生きて行く」ことで更に輝きが増していくと思います。



一昨日、地元NHK仙台ローカルニュース「てれまさむね」で、羽生くんのインタビューが放送されていました。短い時間のニュースなので、あの問いかけていた部分だけ。

夕方だから見た人は多いと思います。皆さんどう思ったかなあ。それぞれに胸にとめて考えてくれていたらいいなと思います。

たぶん皆同じ思い。おねがい











毎日新聞の貝塚太一カメラマン撮影写真
お借りしました。ありがとうございます。


心からの美しい演技はいつまでも見ていたいのですよね。












ピンクハート最後まで読んでくださってありがとうございました。