「わたしに従ってきなさい」の聖句学習 -80ページ目

「わたしに従ってきなさい」の聖句学習

末日聖徒イエス・キリスト教会が提供する「わたしに従ってきなさい」の聖句を学ぶために、ここではその聖句を引用している現代の預言者のお話を中心に、主に総大会からご紹介します。

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

教義と聖約52:9

彼らは、そこから先は途中で御言葉を宣べ伝えながら旅をしなさい。しかし、預言者たちや使徒たちが書き記したことと、信仰の祈りによって慰め主により教えられることのほかは何も語ってはならない。

 

「教会の弱い者や純朴な者」2007年10月、ボイド・K・パッカー、十二使徒定員会

教会で行われるすべての業,すなわち導くこと,教えること,召すこと,聖任すること,祈ること,歌うこと,聖餐を準備すること,助言をすること,そのほかあらゆる事柄が,「世の弱い者」教義と聖約1:19-24である普通の会員によって行われています。

 

ほかのキリスト教会は,聖職者を探すのに苦労しているようです。しかし,わたしたちにそのような問題はありません。ひとたび福音が宣べ伝えられ,教会が組織されたなら,証を持ち,奉仕の召しに喜んでこたえる忠実な兄弟姉妹は尽きることがないのです。彼らは主の業に自らをささげ,求められる標準に従って生活します。

 

会員はバプテスマを受けた後,聖霊を授けられます教義と聖約33:1535:6照)。聖霊は会員たちを教え,慰めをお与えになります。すると彼らは,責任や必要とされることが何であれ,導きと指導を受ける備え,また過ちを正される備えができるのですヨハネ14:26教義と聖約50:1452:975:10参照)。

 

 

 

 

聖句とそれを引用した預言者たちの言葉2025年版(BOX)

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

教義と聖約52:8-10

また、わたしの僕ジョン・マードックと、わたしの僕ハイラム・スミスも、デトロイトを通って同じ所に旅をしなさい。

彼らは、そこから先は途中で御言葉を宣べ伝えながら旅をしなさい。しかし、預言者たちや使徒たちが書き記したことと、信仰の祈りによって慰め主により教えられることのほかは何も語ってはならない。

二人ずつ組んで行きなさい。このようにして、旅の途中すべての会衆の中で教えを説き、水によって、また水辺での按手によって、バプテスマを施しなさい。

 

「何か大きな事」2001年10月、ジェームズ・E・ファウスト、大管長会

ジョセフは、教会を導き、現在わたしたちに与えられている啓示を授かりました。そして、ハイラムはこの弟ジョセフのすべての必要、そして要求にこたえました。ハイラムは毎日、毎月、そして長年にわたって確固として忠実でした。兄アルビンの死後、ハイラムは両親のために白い家を建てました。ジョセフが金版を受け取ったときはそれを保管し守るための箱を用意しました。版が翻訳されたとき、ジョセフはハイラムを信頼し、印刷するための原稿の写しを託しまるした。ハイラムは毎日、ほとんどはオリバー・カウドリとともに、その原稿を持って印刷所までの道を往復しました。(ロナルド・k・エスプリン、“Hyrum Smith: The Mildness of a Lamb, the Integrity of Job,“ Ensign, 2000年2月号、32)

 

ハイラムは農夫、または労働者として家族を支えました。しかし、1830年に教会が設立されるとコールズビル支部を管理する責任を受けました。彼は妻と家族を連れてニューエル・ナイトの家族とともに住み、そのほとんどの時間を「福音の話に耳を傾ける人がいるかぎりどこででも教え」ることに費やしました。(“Scraps of Biography”, Classic Experiences and Adventures, ‘Newell Knight’s Journal’”の項 (1969年)65)また常に良い宣教師として自分の家の近隣だけではなく、アメリカの東海岸や南部にも赴きました。1831年にはジョン・マードックとともにミズーリへの行き帰りを通じて福音を宣べ伝えました。教義と聖約52:8-10参照)

 

1833年にカートランド神殿建設の構想が伝えられると、ハイラムはすぐに長柄の鎌かまを手にし、神殿用地の雑草を刈り、基礎を掘り始めました。1834年にシオンの陣営が組織されたとき、ハイラムはライマン・ワイトを助け、人員を募り、ミシガンからミズーリまで聖徒らのグループを導きました。

 

これらの小さな事柄を通じて、ハイラム・スミスは1834年12月、教会の大管長補佐に任命されました。彼は自分の弟である預言者ジョセフの指示の下に仕えたのです。彼は教会の業に携わっているときでも、リバティーの監獄に捕らえられているときでも、弟ジョセフにとって、常に力と慰めの源でした。1844年に迫害が猛威を振るい、ジョセフが暴徒から逃れようとノーブーを去ったとき、ハイラムは同行しました。彼らが川岸に立って、戻るべきかどうか熟考していたとき、ジョセフはハイラムの方を向いて言いました。「あなたの方が年上です、どのようにしたらよいでしょうか。」

 

ハイラムはそれに対し、このように答えました。「戻って、姿を現し、どのようなことになるか見てみようではありませんか。」Hyrum Smith-Patriarch, Ensign, 2000年2月号、36で引用)

 

彼らはノーブーに戻り、やがて、カーセージの監獄に連れて行かれました。そこで、お互いに数分たかわず、命を奪われ、殉教者として亡くなったのです。ハイラムは寄せられた信頼に対して、死に至るまでも忠実でした。すべての点において彼は救い主の弟子でした。しかし、彼をまことに大いなる者としたのは、日々の熱心な働きでした。

 

 

 

 

 

聖句とそれを引用した預言者たちの言葉2025年版(BOX)

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

教義と聖約51:20

まことに、わたしはあなたがたに言う。わたしはイエス・キリストであり、あなたがたの思いがけないときにすぐに来る。まことにそのとおりである。アーメン。

 

「再臨への備え」2004年4月、ダリン・H・オークス、十二使徒定員会

主の来臨の日時を知ることはできないと絶えず警告されています。マタイ24章でイエスはこうお教えになりました。

 

「だから,目をさましていなさい。いつの日にあなたがたの主がこられるのか,あなたがたには,分からないからである。

 

このことをわきまえているがよい。家の主人は,盗賊がいつごろ来るかわかっているなら,目をさましていて,自分の家に押し入ることを許さないであろう。」マタイ24:42-43「〔そして〕用意をしていたであろう。」ジョセフ・スミス―マタイ 1:47

 

「だから,あなたがたも用意をしていなさい。思いがけない時に人の子が来るからである。」マタイ24:44教義と聖約51:20も参照)

 

もし主が明日来られるとしたらどうでしょうか。早すぎる死や予期せぬ主の来臨によって,明日主にお会いすることが分かったなら,わたしたちは今日何をするでしょうか。何を告白するでしょうか。どのような習慣を断ち,どのような問題を解決し,どのような赦しの手を差し伸べるでしょうか。また,どのような証をするでしょうか。

 

主の来臨のときにそうするのであれば,なぜ今しないのでしょう。得られるときに平安を求めないのはなぜでしょうか。備えのランプが消えかかっていたら,すぐに油を補充しましょう。

 

再臨のときに起こると預言されている事柄に対して物質的および霊的な備えをする必要があります。最も怠りがちな備えは,目に見えにくく,より難しい霊的な備えです。緊急物資を集めた72時間キットは,この世的な問題に対して価値があるでしょう。しかし,思慮の浅いおとめたちが悲しみのうちに学んだように,霊的に備えるための24時間キットには,はるかに大きく永続的な価値があります。

 

 

 

 

聖句とそれを引用した預言者たちの言葉2025年版(BOX)