ジョセフは、教会を導き、現在わたしたちに与えられている啓示を授かりました。そして、ハイラムはこの弟ジョセフのすべての必要、そして要求にこたえました。ハイラムは毎日、毎月、そして長年にわたって確固として忠実でした。兄アルビンの死後、ハイラムは両親のために白い家を建てました。ジョセフが金版を受け取ったときはそれを保管し守るための箱を用意しました。版が翻訳されたとき、ジョセフはハイラムを信頼し、印刷するための原稿の写しを託しまるした。ハイラムは毎日、ほとんどはオリバー・カウドリとともに、その原稿を持って印刷所までの道を往復しました。(ロナルド・k・エスプリン、“Hyrum Smith: The Mildness of a Lamb, the Integrity of Job,“ Ensign, 2000年2月号、32)
ハイラムは農夫、または労働者として家族を支えました。しかし、1830年に教会が設立されるとコールズビル支部を管理する責任を受けました。彼は妻と家族を連れてニューエル・ナイトの家族とともに住み、そのほとんどの時間を「福音の話に耳を傾ける人がいるかぎりどこででも教え」ることに費やしました。(“Scraps of Biography”, Classic Experiences and Adventures, ‘Newell Knight’s Journal’”の項 (1969年)65)また常に良い宣教師として自分の家の近隣だけではなく、アメリカの東海岸や南部にも赴きました。1831年にはジョン・マードックとともにミズーリへの行き帰りを通じて福音を宣べ伝えました。(教義と聖約52:8-10参照)