「わたしに従ってきなさい」の聖句学習

「わたしに従ってきなさい」の聖句学習

末日聖徒イエス・キリスト教会が提供する「わたしに従ってきなさい」の聖句を学ぶために、ここではその聖句を引用している現代の預言者のお話を中心に、主に総大会からご紹介します。

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

イザヤ40:5

こうして主の栄光があらわれ、

人は皆ともにこれを見る。

これは主の口が語られたのである」。

 

「主イエス・キリストは再びおいでになります」2024年10月、ラッセル・M・ネルソン大管長

愛する兄弟姉妹の皆さん,目の前で起こっていることが見えていますか。わたしたちがこの荘厳な瞬間を見逃すことのないようにと,祈ります。主は確かに,御自身の業を速めておられます。(教義と聖約88:73参照)

 

このように前例のないペースで神殿を建設しているのはなぜでしょうか。主が命じておられるからです。神殿の祝福は,幕の両側でのイスラエルの集合を促進します。この祝福はまた,世を主の再臨に備えさせる民が,自らを備える助けにもなります。

 

預言者イザヤが預言し,ヘンデルの「メサイヤ」の歌詞にもあるように,イエス・キリストが再びおいでになるとき,「主の栄光があらわれ,人は皆ともにこれを見る」(イザヤ40:5)のです。

 

その日,「まつりごとはその肩にあり,その名は,『霊妙なる議士,大能の神,とこしえの父,平和の君』ととなえられ〔ます〕。」(イザヤ9:6)

 

イエス・キリストは旧エルサレム(ゼカリヤ14:4-7;教義と聖約45:48-66;133:19-21参照。ミカ4:2「律法はシオンから出,主の言葉はエルサレムから出るからである。」も参照)と,「アメリカ大陸に築かれる」(信仰箇条1:10。エテル13:3-10;教義と聖約84:2-4も参照)新エルサレムの両方から統治されるでしょう。この二つの中心地から,主は主の教会の諸事について指示されます。

 

その日,主は「王の王,主の主」として知られるようになります。主とともにいる人々は,「召され…,選ばれた,忠実な者たち」です。(黙示19:16;黙示17:14)

 

兄弟姉妹の皆さん,今こそ皆さんやわたしが,救い主であられる主イエス・キリストの再臨に備えるときです。(アルマ34:32参照)今こそ,わたしたちが弟子としての務めを最優先するときです。この世的な興味を強烈にそそるものが至る所にある世の中にあって,どうすればそれができるでしょうか。

 

神殿で定期的に礼拝することが助けになるでしょう。主の宮で,わたしたちはイエス・キリストに目を向けます。主について学びます。主に従うという聖約を交わします。主を知るようになります。神殿の聖約を守ると,人を強める主の力にあずかることができます。神殿で,この世の攻撃から守られます。イエス・キリストと天の御父の純粋な愛を豊かに味わいます。この世の嵐とは対照的な,平安を感じ,霊的な安心感を得ます。

 

 

 

 

聖句とそれを引用した預言者たちの言葉2026年版(BOX)

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

イザヤ28:10

それは教訓に教訓、教訓に教訓、

規則に規則、規則に規則。

ここにも少し、そこにも少し教えるのだ」。

 

「個人の啓示の枠組み」2022年10月、デール・G・レンランド、十二使徒定員会

自分の問題に当てはまる個人の啓示を受けていて,その状況が変わっていなければ,神はすでにわたしたちの問いかけに答えておられます。(ジョセフ・スミスは次のように教えました。「わたしたちは,その事例に合った啓示が前に与えられていない場合を除いては,決して神の御手に特別な啓示を求めることはしない。」(in History, 1838–1856 [Manuscript History of the Church], volume A-1, 286–87, josephsmithpapers.org))例えば,わたしたちは赦されていることを再度確認するために何度も祈り求めることが時々あります。わたしたちが悔い改め,喜びと良心の平安に満たされ,罪の赦しを受けているならば,再度求める必要はありません。神がすでに答えを与えてくださっていると信頼することができます。(モーサヤ4:3参照わたしたちが真心から意識的に悔い改めた後にも引き続き罪の意識や後悔の念を感じる場合,それは通常,イエス・キリストに対する信仰と主が完全にわたしたちを赦し癒してくださる力をお持ちであることへの信仰が足りないからです。時々,わたしたちは赦しはほかの人々のためであって,自分には当てはまらないと思うことがあります。これは,主が無限の贖罪を通して成し遂げてくださったことに対する信仰の単なる欠如です。)

 

神から以前与えられた答えを信頼しながらも,わたしたちはさらなる個人の啓示に対して心を開いておく必要があります。結局,人生において無着陸飛行で到達できる目的地はほとんどありません。わたしたちは個人の啓示が「教えに教え,訓戒に訓戒を加え」るように与えられることと,(イザヤ28:10;2Ne28:30;David A. Bednar, “Line upon Line, Precept upon Precept,” New Era, Sept. 2010, 3–7 参照)啓示される導きが多くの場合徐々に与えられることを理解しなければなりません。(しかし,もし神があなたに啓示を与えてくださらなければ,求め続けてください。リチャード・G・スコット長老は次のように教えています。「信頼を胸に前進してください。……皆さんが義にかなった生活を送っていて,神を信頼して行動しているならば,間違った決定をしている場合,神は警告的な気持ちを与えないまま,皆さんが進みすぎてしまうのを黙って見ているようなことはされません。」(「祈りという天与の賜物を用いる」『リアホナ』2007年5月号,10))

 

 

 

 

聖句とそれを引用した預言者たちの言葉2026年版(BOX)

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

イザヤ26:3

あなたは全き平安をもって

こころざしの堅固なものを守られる。

彼はあなたに信頼しているからである。

 

「恐れることはない。ただ信じなさい」2015年10月、ディーター・F・ウークトドルフ、大管長会

兄弟の皆さんに証します。最も困難なときでさえ,救い主はこうおっしゃるでしょう。ガリラヤの混雑した道にいた心配そうな父親にかけたのと同じ言葉です。「恐れることはない。ただ信じなさい。」(マルコ5:36)

 

わたしたちは信じることを選ぶことができます。

 

なぜなら,信じるときに,光が見え出すからです。

 

わたしたちは真理を見いだすでしょう。(モロナイ10:3-5 参照)

 

平和を見いだすでしょう。(イザヤ26:3参照)

 

信心のおかげで飢えることも渇くこともないでしょう。 (ヨハネ6:35参照)神の恵みの賜物により,わたしたちは信仰に忠実に生活し,「永遠の命に至る水が,わきあがる」 泉のようにわたしたちの心は満たされるでしょう。(ヨハネ4:14)わたしたちは永続する真の喜びを味わうでしょう。(2ニーファイ2:25 参照)

 

ですから愛する友人である,神の神権をもつ兄弟の皆さん,

信じる勇気を持ちましょう。

恐れずに,ただ信じましょう。

ダニエルのようになりましょう。

 

老いも若きも,わたしたち皆が信じるための力と勇気,そして望みを新たにすることができるよう祈ります。わたしたちの主イエス・キリストの御名により,アーメン

 

 

 

 

聖句とそれを引用した預言者たちの言葉2026年版(BOX)