「わたしに従ってきなさい」の聖句学習 -2ページ目

「わたしに従ってきなさい」の聖句学習

末日聖徒イエス・キリスト教会が提供する「わたしに従ってきなさい」の聖句を学ぶために、ここではその聖句を引用している現代の預言者のお話を中心に、主に総大会からご紹介します。

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

創世1:1

はじめに神は天と地とを創造された。

 

「神の家族の集合」2017年4月、ヘンリー・B・アイリング、大管長会

わたしは今日,別の集合について話すよう促されています。この集合は,総大会のように,6か月に1度だけ起こるようなものではありません。そうではなく,教会が回復された初期の時代から続く集合であり,近年その集合は速められています。わたしが話しているのは,神の家族の集合のことです。

 

この集合について説明するには,わたしたちが生まれる前のこと,聖書で言う「はじめ」の前から始めるのがよいでしょう創世1:1。そのときわたしたちは,天の御父の霊の子供として,御父とともに住んでいました。かつてこの地上に生を受けたすべての人に当てはまることです。

 

「兄弟」「姉妹」という呼び名は,わたしたちにとって,単なる親しみを込めたあいさつや愛称ではありません。それは,神が文字どおり,全人類の御父であられ,わたしたち一人一人が御父の永遠の家族の一員であるという,永遠の真理を表すものなのです。御父は完全な父親の愛をもってわたしたちを愛しておられ,わたしたちが成長し,前進し,御自身のようになることを望んでおられます。御父は一つの計画を定められました。わたしたちが地上で家族のもとに来て,いつか御父のもとに戻り,御父のように生きる備えとなる経験を得られるようにです。

 

この計画の中心となる要素は,イエス・キリストが御自身を犠牲としてささげ,わたしたちを罪と死から救ってくださるという約束でした。計画におけるわたしたちの務めは,福音の律法と儀式に従うことにより,救い主の犠牲を受け入れることです。皆さんとわたしはこの計画を受け入れました。実際,それは御父のみもとを離れ,御父との経験を忘れてしまうことを意味していましたが,それでもわたしたちはこの計画を喜んだのです。

 

 

 

 

聖句とそれを引用した預言者たちの言葉2026年版(BOX)

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

詩編23:6

わたしの生きているかぎりは必ず恵みといつくしみとが伴うでしょう。わたしはとこしえに主の宮に住むでしょう。

 

「イエス・キリストとあなたの新たな始まり」2025年10月、パトリック・キアロン、十二使徒定員会

イエスは常に御父の御心にかなうことを行われ、ヨハネ8:29参照)「すべてのことについて父の御心に従〔われた〕」3ニーファイ11:11ので、皆さんもわたしも新たな始まりを得ることができます。どうか新たな始まりを、今日、そして今すぐ受け取ってください。イエス・キリストはわたしたちの信仰の創始者であり完成者であられ、わたしたちとともに数え切れないほどの新しい章を綴ってくださいます。主は始まりであり終わりであられます。わたしたちの恥と苦しみの終わり、主における新たな命の始まりであられます。主の恵みをお与えになり、過去を捨て去り、何度でも新しい夜明けをもってやり直せるようにしてくださいます。まことに、「〔わたしたちの〕生きているかぎりは必ず〔主の〕恵みといつくしみとが伴うでしょう。」詩篇23:6イエス・キリストの御名により、アーメン

 

 

 

 

聖句とそれを引用した預言者たちの言葉2026年版(BOX)

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

詩編23:4

たといわたしは死の陰の谷を歩むとも、わざわいを恐れません。あなたがわたしと共におられるからです。あなたのむちと、あなたのつえはわたしを慰めます。

 

「昇栄への招き」(英文)1988年4月、トーマス・S・モンソン、大管長会

神の戒めに従順になることにより,私たちは次のイエスの言葉の中にある「家」にふさわしくなるのです。「わたしの父の家には,すまいがたくさんある。……わたしは……あなたがたのために,場所を用意しに行くのだから。……わたしのおる所にあなたがたもおらせるためである。」ヨハネ14:2-3

 

このような遠大な事柄に目を向けていると,私たちの思いは生まれたばかりの無力な幼な子に向いていきます。実際,赤ん坊ほど完全に他に頼りきった者はいません。子らは肉体には栄養を,そして心には愛を必要とします。母親にはこの二つを満たすことができるのです。私たちをこの世に送り出すために,神と共に手を取り「死の陰の谷」詩篇23:4に降りていった母親に,その使命を託するにあたって,神が力を与えられないことなどあり得ません。

 

数年前,ソルトレーク・シティーの新聞に,私の親友の死亡広告が載りました。母であり妻である彼女は,人生の盛りに亡くなったのです。私は,取り乱した夫と,母親を失った子供たちを慰めるために集まっていた人々に加わり,埋葬場を訪ねました。すると,一番下のテリーという子供が私を見つけるや,手を取って言うのです。「来てちょうだい。」そして彼女は私を,母親の遺体が納められている棺のところに連れて行きました。「モンソン兄弟,私,泣かないわ。兄弟もそうでしょ。お母さんは天のお父様のことと,生きること,死ぬことを何度も教えてくれたの。私はお父さんとお母さんの子供だから,またいつか一緒になれるわ。」

 

涙にかすむ目で,私は美しい,信仰に満ちた笑顔を見ました。小さな手で私の手をしっかりと握りしめたそのかわいい親友にとって,希望のない夜明けはなかったのです。命は墓を超えても続くという,彼女のような揺るぐことのない証に支えられていれば,彼女はもちろん,父親や兄,姉たちも,そしてこの真理にあずかる人々はすべて,世に向かってこう宣言できるのです。「夜はよもすがら泣き悲しんでも,朝と共に喜びが来る。」詩篇30:5

 

 

 

 

聖句とそれを引用した預言者たちの言葉2026年版(BOX)