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「わたしに従ってきなさい」の聖句学習

末日聖徒イエス・キリスト教会が提供する「わたしに従ってきなさい」の聖句を学ぶために、ここではその聖句を引用している現代の預言者のお話を中心に、主に総大会からご紹介します。

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

創世45:24

こうしてヨセフは兄弟たちを送り去らせ、彼らに言った、「途中で争ってはなりません」。

 

「郷愁」(英文)19992年10月、マービン・J・アシュトン、十二使徒定員会

時折私たちは、トレーニングに全力を傾けるよりもどのようなジョギングスーツを着たらよいかに関心を持つ、場慣れした選手のような行動をとる危険を冒していないでしょうか。

 

C・S・ルイス(1898-1963年、イギリスの小説家・批評家)は、このようなジレンマを次のように巧みに表現しています。

「人は中途半端な生き物で、永遠の喜びが与えられているのに、酒や性的な快楽や野心に振り回される。それは、海辺で休日を過ごすことがどんなに楽しいかを知らないために、スラム街でどろんこ遊びを続けたがる無知な子供のようである。……つまらぬことですぐに満足してしまうのはなんとも遺憾である。」(『目覚めた心』p.168)

 

預言者モルモンは別の言い方をしています。

「なぜキリストの御名を受けることを恥とするか。永遠の幸福はとこしえに止まない不幸にまさって価値があるのに、なぜあなたたちは世の誉れを思ってこのことを信じないのか。」モルモン8:38

 

私たちは何のためかわからずに強いあこがれを感じることがありますが、おそらくそれは、私たちの心の中心である主を求め、主から離れず、この世が与えるものよりもより高く、より良く、より満ち足りたものを求めているからではないでしょうか。

 

ヤコブの一番下の息子のヨセフが兄たちに再会した後、カナンの家に戻り父ヤコブをエジプトに連れてくるように頼みました。兄たちが出発の準備をしていると、ヨセフはただこう言いました。

「途中で道をそれてはいけません。」欽定訳創世45:24

 

私たちが地上への旅路に就くために天父のそばを離れるとき、天父は同じような助言をしてくださったのではないでしょうか。

 

郷愁の念がこの世で正しく生活するのに必要な動機となり、天の家へ帰り父なる神と共に永遠に住めるようになりますよう、へりくだりイエス・キリストのみ名によりお祈りいたします。アーメン。

 

※(ブログ主注)創世記45:24の “See that ye fall not out by the way”fall out は「道を外れる」というより「争う・仲違いする」という意味です。したがって最も自然な訳は 「道中で争い合うことのないようにしなさい」 となります。アシュトン長老はこれを、人生の旅路で神から離れたり互いに争ったりしないようにという霊的教訓として、神が望んでおられる道から外れないようにという意味として用いているものと考えます。

 

 

 

The two ways by Jorge Cocco Santangelo

 

聖句とそれを引用した預言者たちの言葉2026年版(BOX)

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

創世45:5

しかしわたしをここに売ったのを嘆くことも、悔むこともいりません。神は命を救うために、あなたがたよりさきにわたしをつかわされたのです。

 

「この世に輝いている」(英文)1983年4月、ニール・A・マックスウェル、十二使徒定員会

同様に、どんなに不当な扱いを受けても正しいことをあくまで貫き、決して腹を立てたり悪い気持ちを持ったりしない人は賞賛に値します。「神に向かって愚かなこと」ヨブ1:22を言うのはほかの人にまかせましょう。このような忠実な人々は寛大で心が広く、間違ったことをした兄弟たちを赦したあのエジプトのヨセフのようです。「しかしわたしをここに売ったのを嘆くことも、悔むこともいりません。神は命を救うために、あなたがたよりさきにわたしをつかわされたのです。」創世45:5他の人たちが復讐心を燃やすことでも、聖徒たちは赦すのです。

 

 

 

 

聖句とそれを引用した預言者たちの言葉2026年版(BOX)

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

創世45:5、7

しかしわたしをここに売ったのを嘆くことも、悔むこともいりません。神は命を救うために、あなたがたよりさきにわたしをつかわされたのです。

神は、あなたがたのすえを地に残すため、また大いなる救をもってあなたがたの命を助けるために、わたしをあなたがたよりさきにつかわされたのです。

 

「思いやり」2001年4月、トーマス・S・モンソン、大管長会

わたしはミュージカル「キャメロット」に思いをはせました。より良い世界、理想的な人と人とのつながりを夢見ていたアーサー王は、円卓会議の目的を心に描いてこのように言いました。「暴力が強さでもなければ、思いやりが弱さでもない。」

 

この言葉を感動的に描写する出来事が旧約聖書に見られます。ヨセフは父ヤコブから特別に愛されていたため、兄たちは反感と嫉妬を覚えていました。そしてヨセフを殺す企みが仕組まれました。その企みが実行され、ヨセフは深い穴に投げ込まれて、命をつなぐ食物も水も与えられませんでした。そこを通りかかった隊商を見た兄たちは、飢え死にさせるよりも売ってしまった方がよいと考えました。ヨセフは引き上げられ、銀20シケルで商人に売られました。ヨセフは最終的にエジプトのポテパルの家に引き取られました。ヨセフはそこで繁栄しました。「主がヨセフと共におられた」創世39:2からでした。

 

豊作の年が続いた後に、飢饉の年がやって来ました。この飢謹が続いた年のさなかに、ヨセフの兄たちは穀物を買うためにエジプトへやって来ました。彼らは好意的なエジプト人、実は自分たちの弟から多くの穀物を与えられました。ヨセフは以前に冷淡で無慈悲な仕打ちをした兄たちに対して仕返しをすることもできました。しかし彼は兄たちを親切にまた寛大に扱い、このような言葉と行いによって彼らの好意と支持を勝ち取ったのでした。

 

「しかしわたしをここに売ったのを嘆くことも、悔むこともいりません。神は命を救うために、あなたがたよりさきにわたしをつかわされたのです。… …

 

神は、あなたがたのすえを地に残すため、また大いなる救いをもってあなたがたの命を助けるために、わたしをあなたがたよりさきにつかわされたのです。」創世45:5、7ヨセフは思いやりという徳をすばらしい方法によって示したのでした。

 

 

 

 

聖句とそれを引用した預言者たちの言葉2026年版(BOX)