たといわたしは死の陰の谷を歩むとも、わざわいを恐れません。あなたがわたしと共におられるからです。あなたのむちと、あなたのつえはわたしを慰めます。
「昇栄への招き」(英文)1988年4月、トーマス・S・モンソン、大管長会
神の戒めに従順になることにより,私たちは次のイエスの言葉の中にある「家」にふさわしくなるのです。「わたしの父の家には,すまいがたくさんある。……わたしは……あなたがたのために,場所を用意しに行くのだから。……わたしのおる所にあなたがたもおらせるためである。」(ヨハネ14:2-3)
このような遠大な事柄に目を向けていると,私たちの思いは生まれたばかりの無力な幼な子に向いていきます。実際,赤ん坊ほど完全に他に頼りきった者はいません。子らは肉体には栄養を,そして心には愛を必要とします。母親にはこの二つを満たすことができるのです。私たちをこの世に送り出すために,神と共に手を取り「死の陰の谷」(詩篇23:4)に降りていった母親に,その使命を託するにあたって,神が力を与えられないことなどあり得ません。
数年前,ソルトレーク・シティーの新聞に,私の親友の死亡広告が載りました。母であり妻である彼女は,人生の盛りに亡くなったのです。私は,取り乱した夫と,母親を失った子供たちを慰めるために集まっていた人々に加わり,埋葬場を訪ねました。すると,一番下のテリーという子供が私を見つけるや,手を取って言うのです。「来てちょうだい。」そして彼女は私を,母親の遺体が納められている棺のところに連れて行きました。「モンソン兄弟,私,泣かないわ。兄弟もそうでしょ。お母さんは天のお父様のことと,生きること,死ぬことを何度も教えてくれたの。私はお父さんとお母さんの子供だから,またいつか一緒になれるわ。」
涙にかすむ目で,私は美しい,信仰に満ちた笑顔を見ました。小さな手で私の手をしっかりと握りしめたそのかわいい親友にとって,希望のない夜明けはなかったのです。命は墓を超えても続くという,彼女のような揺るぐことのない証に支えられていれば,彼女はもちろん,父親や兄,姉たちも,そしてこの真理にあずかる人々はすべて,世に向かってこう宣言できるのです。「夜はよもすがら泣き悲しんでも,朝と共に喜びが来る。」(詩篇30:5)


