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「わたしに従ってきなさい」の聖句学習

末日聖徒イエス・キリスト教会が提供する「わたしに従ってきなさい」の聖句を学ぶために、ここではその聖句を引用している現代の預言者のお話を中心に、主に総大会からご紹介します。

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

イザヤ24:5

地はその住む民の下に汚された。

これは彼らが律法にそむき、定めを犯し、

とこしえの契約を破ったからだ。

 

「山から切り出された石」2007年10月、ゴードン・B・ヒンクレー大管長

主が設立された教会は,救い主がこの世を去られてから,次第に背教の道をたどりました。イザヤの次の言葉が成就したのです。「地はその住む民の下に汚された。これは彼らが律法にそむき,定めを犯し,とこしえの契約を破ったからだ。」(イザヤ24:5)

 

神の真の属性を知ることの重要性に気づいた人々は,神を定義する方法を見つけようと奮闘しました。学識ある聖職者たちは互いに論じ合いました。4世紀にコンスタンティヌス帝がキリスト教に改宗したとき,神の真の属性についての理解に到達できるだろうとの望みを抱いて,こうした学者を大勢集めました。しかし,到達できたのは,様々な見解の妥協にすぎませんでした。その結果,紀元325年にニカイア(ニケーア)信条が発布されました。この信条とその後に追加された信条が,それ以降,大部分のキリスト教が信奉する神の属性に関する教義の宣言書となりました。

 

わたしはそれらの信条のすべてを何度も読みましたが,理解できませんでした。ほかの人も同じだろうと思います。多くの人が理解できないことを,主もきっと御存じだったのでしょう。そこで1820年に,たぐいまれな示現の中で,少年ジョセフに御父と御子が御姿を現されたのです。少年が聞くことのできる言葉を語られ,少年も御二方に話しました。御二方は見たり,話したり,聞いたりすることがおできになりました。それぞれ別個の御方であり,実在の御方でした。架空の存在ではなく,肉体を持った御方でした。その経験から,神の属性について,わたしたち独自の,真の理解が生まれたのです。

 

 

 

The first vision by Jorge Cocco Santangelo

 

聖句とそれを引用した預言者たちの言葉2026年版(BOX)

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

イザヤ14:12-13

黎明の子、明けの明星よ、

あなたは天から落ちてしまった。

もろもろの国を倒した者よ、

あなたは切られて地に倒れてしまった。

あなたはさきに心のうちに言った、

『わたしは天にのぼり、

わたしの王座を高く神の星の上におき、

北の果なる集会の山に座し、

 

「あなたの大いなる冒険」2019年10月、ディーター・F・ウークトドルフ、十二使徒定員会

わたしたちは神がどれほど自分を愛しておられるか知っていました。主はわたしたちに命を与え,わたしたちが成功するよう望んでおられます。それで,わたしたちのために救い主を備えてくださったのです。「それでも,あなたは自分で選ぶことができる。それはあなたに任されているからである」と天の御父は言われました。(モーセ3:17)

 

現世の冒険が,神の子供たちにとって心痛や脅威をはらむものになるのは明らかでした。それは,わたしたちの霊の兄弟姉妹の多くがその機会を拒むことにしたことから分かります。(ヨブ38:4-7 (「神の子たちはみな喜び呼ばわった」);イザヤ14:12-13 (「わたしの王座を高く神の星の上にお……こう」);黙示12:7-11 (「天では戦いが起った」)参照)

 

道徳的な選択の自由という賜物と力により,わたしたちは,自分が学び得る事柄,永遠になり得る姿には,危険を冒す価値が十分あると判断しました。(「預言者ジョセフ・スミスは選択の自由についてこう説明している。『個人として自由に考えることのできる特権であり,最もすばらしい賜物の一つとして天が恵み深くも人類家族に授けてくださったもの』である。」[ Teachings of the Prophet Joseph Smith,comp. Joseph Fielding Smith (1977), 49])

 

こうして,人は神とその愛される御子の約束と力を信頼して,そのチャレンジを受け入れたのです。

 

 

 

 

聖句とそれを引用した預言者たちの言葉2026年版(BOX)

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

イザヤ5:20

わざわいなるかな、彼らは悪を呼んで善といい、

善を呼んで悪といい、

暗きを光とし、光を暗しとし、

苦きを甘しとし、甘きを苦しとする。

 

「イエス・キリストは青少年の力です」2022年10月、ディーター・F・ウークトドルフ、十二使徒定員会

問題は,わたしたちは望んでいるほど物事をはっきりと見ていないことです。使徒パウロはこれを,「鏡に映して見るようにおぼろげに」見ている,とたとえています。何が正しくて何が悪いのかを分かりにくくする惑わしが,世の中にはたくさんあります。真実が曲げられて,悪が善に,善が悪に見えてきます。(イザヤ5:20 参照)

 

しかし,永遠に変わらぬ真理を熱心に求めるならば,何を選ぶべきかは非常にはっきりと分かってきます。確かに,それでも誘惑や試練はあるでしょう。悪いことはなくなりません。不可解なことや悲劇は起こります。しかし,自分が何者であり,なぜここにいるのかを理解して,神を信頼しているならば,対処することができます。

 

では,真理はどこで見つけることができるでしょうか。

 

それは,イエス・キリストの福音の中にあります。そしてその完全な福音は,末日聖徒イエス・キリスト教会で教えられています。

 

イエス・キリストは言われました。「わたしは道であり,真理であり,命である。だれでもわたしによらないでは,父のみもとに行くことはできない。」(ヨハネ14:6)

 

大事な決断を下さなければならないとき,最善の選択はイエス・キリストとその回復された福音です。疑問があるとき,最善の答えはイエス・キリストとその回復された福音です。自分は弱いと感じたとき,イエス・キリストはあなたの力になってくださいます。

 

イエスは疲れた者に力を与えられます。力がないと感じている者を強くしてくださいます。

 

主を待ち望む者は,主によって新たな力を得るでしょう。(イザヤ40:29-31参照)

 

 

 

 

聖句とそれを引用した預言者たちの言葉2026年版(BOX)