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「わたしに従ってきなさい」の聖句学習

末日聖徒イエス・キリスト教会が提供する「わたしに従ってきなさい」の聖句を学ぶために、ここではその聖句を引用している現代の預言者のお話を中心に、主に総大会からご紹介します。

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

サムエル上17章

 

「み旨のまま行ゆかん」2002年10月、ダリン・H・オークス、十二使徒定員会

この説教の題は,多くの世代にわたって忠実な主の僕をしてきた、次の賛美歌からとったものです。

 

「山の上や,荒れる

海を越え行き

また戦いくさの場にも

主は召したまわん

わが知らぬ道へと

呼ぶ声小ちいさくも

主によりこたえつつ

み旨のま行かん」

(「み旨のまま行かん」『賛美歌』172番)

 

末日聖徒ではない女性の詩人によって書かれたこの詩は,あらゆる年代の忠実な神の子どもたちの献身を表しています。

 

息子イサクを連れてモリヤの山へ向かう苦しい旅に出たアブラハムは,主が行くように望まれた場所へ患実に赴きました(創世22章参照)。巨人ゴリアテの挑戦に立ち向かうために,イスラエルの軍隊の前に出て行ったダビデもそうでした(サムエル上17章参照)。自分の民を救うようにという霊感を受けたエステルは,内庭にいた王に進言するために生命の危険を冒しました(エステル4-5章参照)。エルサレムを出発したリーハイ(1ニーファイ2章参照)と,貴重な記録を取りに戻った息子ニーファイ(1ニーファイ3章参照)は,「主よ,み旨のまま行かん」という強い気持ちに突き動かされました。ほかにも多数の例を聖典から引用することができます。

 

こうした忠実な人々は皆,主の導きに従い,主の力と慈愛に対する信仰を示しました。ニーファイはこう説明しています。「わたしは行って,主が命じられたことを行います。主が命じられることには,それを成し遂げられるように主によって道が備えられており,それでなくては,主は何の命令も人の子らに下されないことを承知しているからです。」(1ニーファイ3:7

 

 

 

 

 

 

 

聖句とそれを引用した預言者たちの言葉2026年版(BOX)

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

サムエル上17章

 

「神権の作戦ノート」2019年4月、ゲーリー・E・スティーブンソン、十二使徒定員会

自分は特別な人でも,傑出した業績を残す人でもないと考えているかもしれません。しかし,それは正しくありません。神がこう宣言されたのを知りませんか。「世の弱い者たちが出て来て,力ある強い者たちを打ち破る。」教義と聖約1:19

 

自分が弱いと感じますか。おめでとうございます。あなたは選手に登録されました。

 

自分は重要でないと感じますか。劣っていると感じますか。あなたはまさに神が必要とされ,お使いになる人かもしれません。

 

ここで最適な例は,恐るべき敵ゴリアテと戦うために戦場に進み出たダビデではないでしょうか。主を信頼し,計画を持ったダビデは,自分だけでなく,イスラエルの軍隊も救いました。サムエル上17章参照)主の側に立つために勇気を奮い起こすとき,主がともにいてくださることを忘れないでください。  「もし,神がわたしたちの味方であるなら,だれがわたしたちに敵し得ようか。」ローマ8:31

 

神は扉を開き,わたしたちが自分にあるとは知らなかった強さや能力を見いだせるように助けてくださいます。エテル12:27参照)

 

 

 

聖句とそれを引用した預言者たちの言葉2026年版(BOX)

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

サムエル上17:1-11

 

「聖きみたまとの交わり」(英文)1980年4月、ジェームズ・E・ファウスト、十二使徒定員会

末日聖徒は、按手によって聖霊の賜物を受けているため、人生の中の小さな出来事においても、また人生に立ちはだかる巨大なゴリアテのような試練に直面するときにも、個人的な霊感を受ける権利がありますサムエル上17:1-11参照)

 

エッサイの末子で、一介の羊飼いながら恐れを知らない少年ダビデは、自ら望んで巨人ゴリアテと戦いました。この恐るべき巨人は、ダビデやイスラエルの兵士たちを嘲弄し、侮辱しましたが、ダビデは自分にイスラエルを救うようにとの霊感があったことを承知していました。サウル王はこの少年の信仰と決意に動かされ、ダビデをゴリアテの挑戦者に指名しました。サムエル上17:32-37参照)

 

ゴリアテは素手の少年ダビデを見て愚弄しました。それに対してダビデは、自分は万軍の主、イスラエル軍の神の御名によって立ち向かう、「この戦いは主の戦いで」あって、主は救いを施すのに剣や槍を用いられない、それを全会衆に知らせるのだと返答しましたサムエル上17:47参照)

 

ダビデが石投げ器を使って投げた石は、勢いよく飛んでゴリアテの額に命中して深く突き刺さり、ゴリアテは倒れました。死んだようになって地に倒れたゴリアテを見て、ペリシテ人は震え上がって逃げ出しました。

 

ダビデを導いたこの生ける神はどうなったのでしょうか。旧約聖書のアブラハム、モーセ、イザヤ、その他の預言者たちにあのように自在に語られた神が、今は口をつぐみ、黙して語らぬと決め込むのはこの上ない冒瀆です。

 

どうなのでしょう。神は古代の預言者たちに導かれた民ほど私たちを愛しておられないのでしょうか。私たちには神の導きや教えが必要ないのでしょうか。そんなはずはありません。神はもう顔をそむけられたのでしょうか。声を失われたのでしょうか。永久の休みに入られたのでしょうか。眠っておられるのでしょうか。これらがどれも理にかなわないことは明白です。



 

聖句とそれを引用した預言者たちの言葉2026年版(BOX)