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「わたしに従ってきなさい」の聖句学習

末日聖徒イエス・キリスト教会が提供する「わたしに従ってきなさい」の聖句を学ぶために、ここではその聖句を引用している現代の預言者のお話を中心に、主に総大会からご紹介します。

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

イザヤ1:6

足のうらから頭まで、

完全なところがなく、

傷と打ち傷と生傷ばかりだ。

これを絞り出すものなく、包むものなく、

油をもってやわらげるものもない。

 

「わたしたちの良い羊飼い」2017年4月、デール・G・レンランド、十二使徒定員会

聖文の至る所で,神は罪に対する比喩として病を用いておられるので,「わたしたちの比喩的な病,すなわち罪に直面するとき,イエス・キリストはどのような反応を示されるだろうか」と問うのはもっともなことです。結局のところ,救い主は「ほんのわずかでも罪を見過ごしにすることはない」(教義と聖約1:31)と語っておられます。そうであるなら,救い主はどのようにして,嫌悪を抱き,愛想を尽かして見捨てることもなく,不完全なわたしたちを御覧になっているのでしょうか。

 

その答えは簡潔かつ明瞭です。良い羊飼いとして,(ヨハネ10:11,14,アルマ5:38,教義と聖約50:44 参照)イエス・キリストは御自分の羊の病を,治療や世話,思いやりが必要な状態と見ておられます。わたしたちの良い羊飼いであられるこの御方は,病にかかった御自分の羊が癒しに向かって進み行くのを見ることに,喜びを見いだされるのです。

 

救い主は「牧者のようにその群れを養い」,(イザヤ40:11)「うせ〔ている〕ものを〔探し出し〕,迷い出〔ている〕ものを引き返し,傷つい〔ている〕ものを包み,弱っ〔ている〕ものを強く〔する〕」(エゼキエル34:16)と預言しておられます。背教したイスラエルは,罪深い「傷と打ち傷と生傷」(イザヤ1:6)によって弱り果てていると表現されていますが,救い主は彼らを励まし,熱心に勧め,癒しを約束されたのです。(イザヤ1:18参照)

 

 

 

 

聖句とそれを引用した預言者たちの言葉2026年版(BOX)

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

箴言23:7

彼は心のうちで勘定する人のように、

「食え、飲め」とあなたに言うけれども、

その心はあなたに真実ではない。

 

「あらゆる思いの中でキリストを求める」2020年10月、ウリセス・ソアレス、十二使徒定員会

わたしたちが主を求める努力を続けていても,ふさわしくない思いが心に入ってくるかもしれません。そのような思いが入るのを許したり,ましてや抱き続けたりすると,そうした思いはわたしたちの心の願望を形成し,それがわたしたちがこの世でなる人物となり,やがてわたしたちが永遠に受け継ぐものとなってしまう可能性があります。(箴言23:7;エレミヤ17:10:2ニーファイ9:39;モーサヤ4:30;アルマ12:14;教義と聖約137:9参照)かつてニール ・A・マックスウェル長老は,この原則を強調してこう言っています。「望みが行いの結果を左右する〔のです。〕『召された者は多いが,選ばれた者は少ない』理由もそこにあります。(ニール ・A・マックスウェル「わたしたちの『心の望みに応じて』 」『聖徒の道』1997年1月号。マタイ22:14;教義と聖約95:5も参照)

 

 

 

 

聖句とそれを引用した預言者たちの言葉2026年版(BOX)

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

箴言22:6

子をその行くべき道に従って教えよ、

そうすれば年老いても、それを離れることがない。

 

「個人の平安を見いだす」2023年4、ヘンリー・B・アイリング、大管長会

サタンは,わたしたちの周りに憎しみと争いの種をまこうとさらに努めているようです。わたしたちは,国々や方々の都市,地域,電子メディア,また世界中でそれが起きている証拠を目にしています。

 

しかし,悲観する必要はありません。この世に生まれてくるすべての新生児がキリストの光を受けているからです。その普遍的な賜物とともに,何が正しいかの感覚,愛し愛されたいという思いがあります。死すべき世に来る,神のすべての子供には,生まれながらに正義と真理という感覚が備わっているのです。

 

子供の個人の平安についてわたしたちが楽観的でいられるかは,子供を養う人々にかかっています。救い主から平安の賜物を受け取るように努めながら子供を育て,接するならば,自分自身の模範と努力を通して,崇高な平安の賜物を受けるにふさわしくあるよう子供の信仰を鼓舞することでしょう。

 

聖文は次のように約束しています。「子をその行くべき道に従って教えよ,そうすれば年老いても,それを離れることがない。」(箴言22:6)そのためには,平安の賜物にふさわしくあるように子供を世話し養育する責任を負う人が必要です。

 

悲しいことに,霊的な両親—時には独り親—によって育てられた子供たちが,信仰と平安の一時期を過ごした後に悲しみの道を歩むことを選ぶとき,わたしたちは皆,痛みを感じます。

 

その悲しみが生じるときでさえ,主から頂くもう一つの賜物があるのでわたしは楽観的です。それは,主は信頼できる弟子たちの中から,平和を作り出す多くの人を立てられるということです。彼らは神の平安と愛を感じてきました。彼らの心には聖霊がおられ,主は,迷っている羊に手を差し伸べるように彼らを導かれます。

 

 

 

 

聖句とそれを引用した預言者たちの言葉2026年版(BOX)