「わたしに従ってきなさい」の聖句学習 -6ページ目

「わたしに従ってきなさい」の聖句学習

末日聖徒イエス・キリスト教会が提供する「わたしに従ってきなさい」の聖句を学ぶために、ここではその聖句を引用している現代の預言者のお話を中心に、主に総大会からご紹介します。

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

箴言3:5-6

心をつくして主に信頼せよ、

自分の知識にたよってはならない。

すべての道で主を認めよ、

そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。

 

「キリストとその福音に畏敬の念を抱く」2022年4月、ウリセス・ソアレス、十二使徒定員会

愛する兄弟姉妹の皆さん,完全で無限の愛をお持ちの救い主は,わたしたちの生まれながらの属性を知っておられ,(『聖句ガイド』「生まれながらの人」の項参照)わたしたちが霊的無関心のわなに陥らないようにする方法を定めておられます。救い主の次の招きの言葉は,特にわたしたちが住む複雑な世界について考える際に,広い視野を与えてくれます。「わたしに学び,わたしの言葉を聴きなさい。わたしの御霊の柔和な道を歩みなさい。そうすれば,あなたはわたしによって平安を得るであろう。」(教義と聖約19:23)救い主のこの招きを受け入れるとき,わたしたちは謙遜さと学習意欲,そしてもっと主のようになりたいという望みを示します。(『聖句ガイド』「謙遜」の項参照)この招きには,「〔わたしたち〕の心と,勢力と,思いと,力を尽くして」(教義と聖約4:2)主に仕え,神の子供たちにミニスタリングを行うことも含まれます。この旅路におけるわたしたちの努力の中心となるのは,もちろん,二つの大切な戒め,すなわち,主なる神を愛することと,自分を愛するように隣人を愛することです。(マタイ22:36-40参照)

 

この主の行いは,イエスの神聖な特質の一部であり,この世で務めを果たしておられる間にされたすべてのことに表れていました。(『聖句ガイド』「イエス・キリスト」の項参照)したがって,意識的に,また心から自らをささげて主を仰ぎ見て,主の完全な模範から学ぶとき,(教義と聖約6:36参照)わたしたちは主をもっとよく知るようになります。そして生き方の究極の基準,示すべき模範,従うべき戒めを自分の生活に取り入れたいという熱意と望みが高まります。また,神と隣人に対する,さらなる理解と知恵,神聖な特質,優しさを受けます。(ルカ2:52参照)救い主の影響と愛を感じる能力は生活の中で高められ,信仰と,義にかなった行動をしたいという望み,主とほかの人に仕える意欲が増すと,わたしは断言できます。(『聖句ガイド』「義」の項参照)さらに,現世で経験する祝福や試練に対する感謝の気持ちが強まり,真の礼拝の一部となります。(『聖句ガイド』「感謝」の項参照)

 

愛する友人の皆さん,これらすべてのことによって,わたしたちが経験する試練や困難のただ中にあってさえも,福音に対するわたしたちの霊の驚嘆は深まり,主と交わした聖約を喜んで守るように促されます。もちろん,このような結果を得るには信仰と誠意をもって救い主の教えを実践し,(2 ニーファイ32:3参照)主の特質を自分の生き方に取り入れるように努力する必要があります。(『わたしの福音を宣べ伝えなさい―伝道活動のガイド』121-132参照)さらに,主を信じる信仰を働かせ,悔い改めによってさらに主に近づき,(ラッセル・M・ネルソン「行いを改善し,より良くなれます」2019年4月参照)生活の中で主の赦しと贖いの力を求め,主の戒めを守る必要があります。わたしたちが心を尽くして主を信頼し,すべての道で主を認め,自分の知識に頼らないようにするならば,わたしたちの道をまっすぐにしてくださると,主御自身が約束されました。(教義と聖約11:12-14参照。箴言3:5-6も参照)

 

 

 

 

聖句とそれを引用した預言者たちの言葉2026年版(BOX)

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

箴言3:5-6

心をつくして主に信頼せよ、

自分の知識にたよってはならない。

6すべての道で主を認めよ、

そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。

 

「わたしたちと神との関係」2022年4月、D・トッド・クリストファーソン、十二使徒定員会

結局のところ,わたしたちが求めているのは,御父と御子との親密でいつまでも続く関係という祝福です。それはすべてを変えますし,永遠に代価を払う価値があります。わたしたちはパウロとともに,こう証するでしょう。「今の〔現世の〕この時の苦しみは,やがてわたしたちに現されようとする栄光に比べると,言うに足りない。」(ローマ8:18)わたしは証します。現世での経験がどのようなものであろうと,わたしたちは神を信頼し,神に喜びを見いだすことができます。

 

「心をつくして主に信頼せよ,自分の知識にたよってはならない。

すべての道で主を認めよ,そうすれば,主はあなたの道をまっすぐにされる。」(箴言3:5-6)

 

イエス・キリストの御名により,アーメン

 

 

 

聖句とそれを引用した預言者たちの言葉2026年版(BOX)

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

箴言1:7

主を恐れることは知識のはじめである、

愚かな者は知恵と教訓を軽んじる。

 

「そこで彼らは恐れを静め」2015年4月、デビッド・A・ベドナー、十二使徒定員会

ここで説明しようとしている義にかなった畏れには,主イエス・キリストに対して深い崇敬と尊敬と畏敬の念を抱き(詩篇33:8;96:4参照),主の戒めに従い(申命5:29;8:6;10:12;13:4;詩篇112:1参照),最後の裁きと主の御手に正義を待ち望むことが含まれます。このように,主への畏れは主イエス・キリストの神性と使命についての正しい理解と,自分の思いを主の御心に喜んで従わせる意志と,全ての男女は裁きの日に自分自身の罪に対する責任を負うことになるという知識から生じます(教義と聖約101:78;信仰箇条1:2参照)。

 

聖文が明らかにしているように,主を畏れることは「知識のはじめ」であり(箴言1:7),「知恵の教訓」(箴言15:33),「安心を得」させるもの(箴言14:26),「命の泉」です(箴言14:27)。

 

主への畏れは,最後の裁きとわたしたち個人が自分の望み,思い,言葉,行いに対して責任を負うことについての理解に密接に関連していることに注目してください(モーサヤ4:30参照)。主を畏れるとは,裁きを受けるために主の御前に行くことにためらいと不安を覚えることではありません。わたしたちは主を怖いなどとは思わないと思います。むしろ,主の御前で自分自身のことをありのままに認め,自分が正当化してきた全てのことや見せかけの行為や自己欺瞞について「完全な知識」を得ることが怖いのです(2ニーファイ9:14。アルマ11:43も参照)。最終的に,わたしたちは弁解の余地がなくなります。

 

 

 

 

聖句とそれを引用した預言者たちの言葉2026年版(BOX)