「わたしに従ってきなさい」の聖句学習 -381ページ目

「わたしに従ってきなさい」の聖句学習

末日聖徒イエス・キリスト教会が提供する「わたしに従ってきなさい」の聖句を学ぶために、ここではその聖句を引用している現代の預言者のお話を中心に、主に総大会からご紹介します。

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

マタイ22:36-40
「先生、律法の中で、どのいましめがいちばん大切なのですか」。 イエスは言われた、「『心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。 これがいちばん大切な、第一のいましめである。 第二もこれと同様である、『自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ』。 これらの二つのいましめに、律法全体と預言者とが、かかっている」。


「いちばん大切な戒め」2007年10月、ジョセフ・B・ワースリン、十二使徒定員会
あるとき,パリサイ人がイエスをわなにかけようと,答えられそうにない質問をしました。「先生,律法の中で,どのいましめがいちばん大切なのですか。」(マタイ22:36)

パリサイ人はこの質問について議論を重ね,600以上の戒めを数え上げていました。学者ですら,それらに優先順位を付けるのは大変でした。それで,ガリラヤ出の大工の息子が答えるなど不可能に決まっていると考えたのです。

ですから,主の答えを聞き,弱点を指摘されたパリサイ人は,当惑したはずです。主は言われました。

「『心をつくし,精神をつくし,思いをつくして,主なるあなたの神を愛せよ。』

これがいちばん大切な,第一のいましめである。

第二もこれと同様である,『自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ。』

これらの二つのいましめに,律法全体と預言者とが,かかっている。」(マタイ22:37-40)

その日以来,この霊感あふれる宣言は何世代にもわたって繰り返されてきました。現在,わたしたちにとって,愛の大きさは,魂の偉大さを測る尺度です。

聖文にはこうあります。「人が神を愛するなら,その人は神に知られているのである。」(1コリント8:3) 何とすばらしい約束でしょう。神に知られるのです。自分が天地の創造主に知られ,純粋にまた永遠に愛していただけると考えると,胸が高鳴ります。

……

欠陥だらけの自分でも,天の御父が愛してくださっていると知っているわたしたちは,何と祝福されていることでしょう。御父の愛は深く,わたしたちが自分自身を見捨てたとしても,御父は決してお見捨てになりません。

わたしたちは自分自身の過去と現在の姿を見ます。天の御父は永遠という観点から御覧になります。わたしたちは低い次元で満足するかもしれませんが,天の御父は違います。御父はわたしたちの輝かしい可能性を御覧になっているのです。

……

皆さんは主を愛していますか。

主とともに時間を過ごしてください。主の御言葉について深く考えてください。主のくびきを負ってください。理解と従順を求めてください。「神を愛するとは,すなわち,その戒めを守ること」(1ヨハネ5:3) だからです。主を愛するなら,従順は重荷ではなく,喜びになります。主を愛するなら,自分の利益を求めなくなります。人々を祝福し,高める事柄に心を向けるようになります。

主への愛が深まるにつれて,思いと心が清められます。「悪を行う性癖をもう二度と持つことなく,絶えず善を行う望みを持つように,……わたしたちの心の中に大きな変化」(モーサヤ5:2) が生じます。

 

 

 

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

マタイ22:25-40
そして彼らの中のひとりの律法学者が、イエスをためそうとして質問した、 「先生、律法の中で、どのいましめがいちばん大切なのですか」。 イエスは言われた、「『心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。 これがいちばん大切な、第一のいましめである。 第二もこれと同様である、『自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ』。 これらの二つのいましめに、律法全体と預言者とが、かかっている」。


「わたしの孫たちへ」2013年10月、ヘンリー・B・アイリング、大管長会
結婚について考えているわたしの孫にとって,そしてすべての人にとって,困難に立ち向かいながらも幸福な家族を作るための最も重要な戒めがあります。それは状況にかかわらず,すべての人間関係に当てはまるものです。それは聖文や現代の預言者の教えの中で繰り返されてきたものです。愛と幸福の中で永遠にともに生活したいと望むすべての人に向けられた主の助言が,聖書の中にこう記されています。

「そして彼らの中のひとりの律法学者が,イエスをためそうとして質問した,

『先生,律法の中で,どのいましめがいちばん大切なのですか。』

イエスは言われた,『「心をつくし,精神をつくし,思いをつくして,主なるあなたの神を愛せよ。」

これがいちばん大切な,第一のいましめである。

第二もこれと同様である,「自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ。」

これらの二つのいましめに,律法全体と預言者とが,かかっている。』」(マタイ22:35-40)

この言葉から始めるならば,家族を幸福へ導く選択についてのわたしの経験を要約するのは難しくありません。まず,こう自問します。「どのような選択が,心を尽くし,精神を尽くし,思いを尽くして主を愛するようにわたしを導いただろうか。」わたしにとってそれは,主の贖いによる赦しの喜びを感じられるような選択をしたときでした。

 

 

 

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

マタイ22:14
招かれる者は多いが、選ばれる者は少ない。


「あらゆる思いの中でキリストを求める」2020年10月、ウリセス・ソアレス、十二使徒定員会
わたしたちが主を求める努力を続けていても,ふさわしくない思いが心に入ってくるかもしれません。そのような思いが入るのを許したり,ましてや抱き続けたりすると,そうした思いはわたしたちの心の願望を形成し,それがわたしたちがこの世でなる人物となり,やがてわたしたちが永遠に受け継ぐものとなってしまう可能性があります。(箴言23:7エレミヤ17:102ニーファイ9:39モーサヤ4:30アルマ12:14教義と聖約137:9参照) かつてニール ・A・マックスウェル長老は,この原則を強調してこう言っています。「望みが行いの結果を左右する〔のです。〕『召された者は多いが,選ばれた者は少ない』理由もそこにあります。」(ニール ・A・マックスウェル「わたしたちの『心の望みに応じて』 」1996年10月マタイ22:14教義と聖約95:5も参照)

古代と現代の預言者は,わたしたちが人生において霊的な駆動力を失ったり,混乱したり,方向が分からなくなったり,素直でなくなったりするのを避けるために,絶えず注意を喚起しています。

例えて言うならば,誘惑に屈するとは金属を磁石に近づけるようなものです。磁石の目に見えない力が金属を引き付け,しっかりと固着させるのです。磁石の力が及ばなくなるのは,その金属の物体を磁石から遠く離れた場所に置いたときだけです。ですから,磁石が遠くにある金属を引き付けることができないのと同様に,わたしたちが誘惑に抵抗するならば,誘惑の影響は弱まり,わたしたちの思いと心,ひいては行動に対する誘惑の影響力はなくなります。